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昨日の記事は、別にたいした話しでは無いのですが、
みなさまからのメッセージを見てみますと、
物凄い、違和感に包まれたひとも多いようです。
難しい話しじゃないんだけどなー。
み「あなたの身に起こること、全てを受け入れましょー。ウヘヘヘヘへー。」
って、へんなスピリチュアルな人が言ってたとするでしょ?
最近、よく聞くよね?
「全てを認めろ」てきな?
「あがらうな」てきな?
「批判してはいけない」みたいな?
昨日も言ったとおり、(⇒昨日の記事読んでね⇒)
「批判してはいけない」という言葉自体がものすごい矛盾を抱えているのに。
「○○はダメですよ」と言ったが最後、
それもダメなんだから、無限の連鎖が始まります。
だからと言って、
「ダメと言えないから、全てにYESと言おう」とすると、
そこにも恐ろしい矛盾が待っています。
全てにYESと言うためには、
平和運動している人に対して、
「平和は素晴らしい、平和はYES!イマジン、俺、暇人!」
って言いながら、
マシンガン持って、その平和運動家の集会に突撃してきた兵隊に、
「戦争は素晴らしい、戦争はYES!」
って言う事になる。
「おまえ、どっちなんじゃい!!」
ってスパイ並みの扱いを受け、拷問の刑に処されちゃう。
全てにYESって言う事は、(矛盾なしには)絶対に出来ない。
だけど、何かに「ダメ」と言うこと自体、原理的におかしい。
「何かにNOと言ってはイケません」
だからといって、
「すべてにYESとも言えません」
・・・
ねぇ。
気が狂いそうになるくらいなら、
もう、何かを批判しても良いんじゃね?
「あの人が嫌い!!」
って、批判しても良いんじゃね?
「レジ袋を批判するなんて、ダメな外人だな!!」
って批判する人を批判しても良いんじゃね?
全てを許してあげれば良いんじゃね?
「批判しても良いですよ、批判しなくても良いですよ。
わたしが、なにをしたって、良いですよ。」
って。
「だから、そーすると、スパイ並みの拷問を受けるって、
てめー、自分で言ってたじゃねーか。同じことだろ?
だから、『全てを許す』ってことは、矛盾してるだろ。」
えぇ。
でも矛盾したって、良くね?
全てを許すって、そういうことだよ?
どうして、「全てを許す」って言っておきながら、
「だけど矛盾している自分は許せない」ってなるの?
それじゃあ、全てを許してないがな。
例外なく、全てを許さないと。
全てを許すって、そういうことだよ?
何しても良い。
何しなくても良い。
何しないようにしなくても良い。
何しないように、するように、しても良い。
平和運動をしても良い。
戦争をしても良い。
そんな矛盾を抱えている自分の態度でも、良い。
だから、ブログ、もう、終わっても、良い?
(⇒だけど明日に続く⇒)
↓最後の最後に『良い』って言えることが肝心なんです。
「全てを認める」とは、矛盾も認めることです。
「すべてを認めるんだな、よし。批判したらダメってことだな!」
ってのは、飛躍です。
「~してはダメ」っていう形式になってると、昨日みたいに原理的に破綻します。
でも、「~しても良い、~しても良い」ってすると、
矛盾しても良いになりますから、原理的にはおかしくなりません。
矛盾スパイになって、拷問の刑に処せられるかもしれませんが、
それでも良い。
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