いつも繰り返しているパターン〜私は空っぽです〜 | 素直な気持ち

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floweringセラピーが好き
お料理が好きな私が素直な気持ちを背伸びをせずに自分らしく表現するブログです。
人生諦めていたところから、心の学びをし、いろんな出来事や出会いがあり、自分を愛せるようになってきました。

こんにちは、みつこです♪

 

これからの人生

自分を大切に生きること

愛に生きることを決めました。

 

出来事を通していろいろ揺れ動きながら成長していく私の表現の場で

 

読んでくださる方の勇気や愛に

つながるブログです!

 

今日のテーマ

 

    

いつも繰り返しているパターン

〜私は空っぽです〜

 

 

  先生や親、上司などから、集団の中で何かをたきつけるように問われた時

 

やりたくないのに引き受けてしまったり

 

質問があるか?と問われれば何か聞かなきゃいけない

沈黙に耐えらず求められていることをやろうとしたりするパターン

 

はたまた、質問はあるけれど(したいけど)

こんなことをみんなの前で聞くのはどうなんだろうか?

みんなに関係ないことで、個人的なことを聞くことに罪悪感が湧くパターン

 

後で後悔するパターン

 

頭がグルグルする。

 

求められることをやらない私はダメな私で価値がない

否定されると(否定されていると感じると)挫けてしまう

 

どんだけ学んでも

どんだけセラピーを受けても

 

私はダメなんだ

 

幸せになんてなれないし

 

成功なんて手にできるはずがない

 

そんなことは夢物語りで

 

どうせ私は愛されない

 

というお馴染みのストーリーの脳内DVDの再生が始まった。

 

この暗い&自己否定のDVDは見飽きたから、もういいよと思っていたけれど

久しぶりに再生された。

 

 

他者の言葉に傷ついているとするならば

 

それは自分がそれを否定している✖︎自分がそう思っているということなのだろう。

 

空っぽだと言われたこと

その空っぽを子どもで満たそうとしている

 

そうなのかもしれない。

 

空っぽ

空っぽ

空っぽ

空っぽ

 

空っぽか、私

 

空っぽなんてダメなことだ、価値がない

価値がない私なんて、人とのコニュニティーにいてはいけない

ごめんなさい、こんな私は、ここにいない方がいいよね・・

立ち去りたくなる私が出てくる

 

私じゃない、エゴの声だ。

 

 

エゴが過去に傷ついた私を、これ以上傷つかないように守っていたけれど

 

体に溜まっている感情を感じるために、起きる出来事

 

強い口調で何かを言われるのが苦手だ

 

責められていると感じてしまう

ここにいてはいけないんだと消えてしまいたくなる

 

強い口調というのも私の捉え方で

目の前の相手はダミーなのだから

投影なんだろうと思う

 

望むようにできなくてごめんなさい

 

そんな感情も湧いてくる

 

ごめんなさい

ごめんなさい

ごめんなさい

 

あなたを怒らせる、私が悪いんです。

 

一体何に、誰に謝っているんだろう。

 

こうやって自分が悪いことにして

自分を責めて終わるのがいつものパターンだ。

 

久しぶりにやってきたどうしようもない感情を

無理にポジティブに捉え直しをしようとせずに

感じるままにして、一人で泣いた。

 

気づいたら、また愛の乞食になっていた。

 

まだ、他人に愛を求める私がいる。

 

 

安心して過ごしたい

人と仲良くなりたい

自分らしく生きたい

 

自分らしくってなんだろうか?

 

ホリエモンが言ってた。

 

保育士は誰でもできる仕事だって。

 

これには、現場の保育士たちは怒りの声を上げた。

 

国家資格である保育士資格

いろんな心理学、生理学や保健、障害児保育、児童福祉法、いろんな専門的な学びをした。

 

ただ子どもと遊んでいるだけだと思われている仕事

 

世の中に、保育士の仕事の認知がされていないと感じる。

 

どれだけ懸命にやろうとも、そこに金銭的な利益なんて出ない

 

何が言いたいのかよくわからなくなってきたけれど

保育士をしているのも

空っぽの自分を満たすためなんだろうか?

 

「このままの自分で世の中に通用すると思うか?」

 

そう問われて

答えはNOだった

 

自分でも愕然とした。

 

そりゃあ、通用しない現実やってくるよね。

 

 

失敗したと思う

 

何も言わなきゃよかったとか

もっと上手くやれたんじゃない?とエゴがいう。

 

そう、もっと上手く相手に合わせることもできた。

 

以前はそうしていた。

相手の望むように答える方が楽だったから。

 

だから、これはきっとエゴが打ち砕かれて

成長する機会なんだ。

 

一度壊れて

恥も

情けなさ

惨めさも

感じて

 

で、どうしたいの?

 

本当に欲しいものは何?

 

と自分のハートに問う。

 

 

価値がない

そんなことを大事な自分に思うなんて

自虐プレイが相当好きなようだ。

 

価値ってそもそもなんだろうか?

 

誰かの娘でもなくて

誰の親でもなくて

なんの仕事の役割もなく

受講生でもなければ

コミュティの役割もない

 

何の役割もない私

 

そしたら、私はただの命

 

目の前のお花と同じ命で

 

命は等しく尊く、どんな命もここにいていい。

 

 

「7つの習慣」を最近読み返している。

 

著者が、地下鉄に乗っていたある日のこと

 

車内は静かで平和だったところに一人の男性が子どもたちを連れて乗り込んでくる。

 

子どもたちは大声で言い争い、物を投げあげくに乗客の新聞まで奪い取る。

男性は、著者の隣の席に座り目を閉じていて何もしようとしない。

 

著者は親として、何の責任も取ろうとしない彼の態度に苛立ちを抑えられず

「お子さんたちが皆さんの迷惑になっていますよ。少しおとなしくさせていただけませんか?」と忠告した。

 

男性は目を開けて

「ああ、どうにかしないといけませんね・・病院の帰りなんです。1時間ほど前、あの子たちの母親が亡くなって・・

これからどうしたらいいのか・・・あの子たちも動揺しているでしょう・・・」

 

著者のパラダイムが一瞬にしてシフトした。突然子どもたちの様子が全く違って見え、著者の考えも、感情も、行動も変化した。

男性の苦しみに共感し、同情と哀れみの感情がとめどなくあふれ出した。

 

 

・・・というこのストーリーを読んだ時に、目の前の出来事をあるがままに見られていないということが腑に落ちた。

7つの習慣には他にもハッとする事例が載っている。

 

7つの習慣の言葉で言えば

世界をあるがままに見ているのではなく、私たちのあるがままの世界を見ているのであり、

条件づけされた状態で世界を見ている。

 

これは、やり始めたコースインミラクルズの練習も同じだ。

 

私ごとに置き換えると

 

私もまた、あるがままに見れていないのだと思う。

条件づけされた状態

 

自分では認識しにくい。

 

今までの前提をパラダイムを変える

 

パラダイムシフトをしていかない限り

この世界は辛く苦しいものであり続けるのかもしれない。

 

全ては愛を学ぶための出来事なのだとしたら

 

今回の出来事も愛を学ぶために

パラダイムを変えるために起きているのかもしれない。

 

 

今日は、PCのキーボードを打ちながら

一体自分は何が言いたくて

 

どこに着地したいのかわからない。

 

きっと、すぐに眠れないだろうからと

書き始めたブログが長くなってしまった。

 

 

あなたは本当に役にためだけにここにいます。

 

あなたは大いなる存在を代表して今ここにいます。

 

大いなる存在が示してくれるので

あなたは何を言うべきか、何をすべきか心配する必要がありません。

 

あなたがどこへ行こうとも

大いなる存在が共に歩んでくれるのであなたはここにいられることに

満足しています。

 

大いなる存在が癒し方を教えてくれるので

あなたは癒されます。

 

 

**

 

意外にも私を癒してくれたのは

今ここにいることと

 

コーチングで教えてもらった

5行の祈りだった。

 

全てはきっとつながっている。

今までも、何かガツンという衝撃が起きることがあって

 

自分では受け入れ難いことがあって

 

でもそれはその後のことに繋がっている。

 

だから、信頼して

出来事と私に時間とエネルギーと愛を送ってくれた方へ感謝して

 

前を向いていこうと思う。

 

そういえば、メンターかめちゃんが

私に行動の宿題と言って出した「ベリーダンス」

 

今取り組んでいることの困難さに一昨日挫け

 

ベリーダンスなんてやりたくないと思っていたけど

思考がどうにも止まらず、今ここにいることも難しく

 

強制終了すべく、体を動かすためにベリーダンスの体験を今日してきた。

 

あんな、肌を露出して踊る姿は理解不能、何が楽しいんだ?

って思っていたけど、先生が美しくて素敵な方だったことと

 

イメージと違って、やってみたら意外と楽しかったこと

別に肌を露出しなくていいところ、女性だけのレッスンなこと

に安心感を感じた。

 

何か夢中でやっていたら思考が止んだ。

 

お金の不安に、こんなことにお金と時間を使っている場合か?

と言うエゴの逆をやってみた。

 

体験後の入会は入会金がかからないという、あるあるな入り口だったけど

またやろうと思うと入会金がかかるのであれば

ひとまず少しやってみて、嫌なら辞めたらいい。

 

入会した教室は、別にベリーダンスでなくても

ヨガをやってもいいし、その他のダンスやプログラムに変更しても

 

いつ行っても、何をしてもいい

自由な教室だ。

 

強制的に思考を休ませる時間を作って

体を感じる時間を作る。

 

今できることが他にあるのかわからない。

 

塩麹を発酵メーカーにかけっぱなしだったことを今思い出した。

 

ひとまず塩麹をしまって、寝ようかな。

もう2時だ。

 

明日は、次女のピアノの発表会がある。

ここのところ、発表会やコンクールなどが続いている。

音楽科の受験に向けて頑張っている次女を

応援したい気持ちがある。

 

空っぽかもしれないけど

執着かもしれないけど

 

身支度も整えてあげたい。

 

それは、小さい頃にできなかった自分にしてあげたいことかもしれない。

 

おっと!どこまでもグダグダかけてしまいそうだから

強制終了!

 

 

感謝