織田無道さんとの思い出 | ヒーリング・カウンセラー  天里美月

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織田無道さんの逝去に際し謹んでお悔やみを申し上げます。


先日、所縁あった織田無道さんの訃報を織田さんのご家族から頂きました。

突然の訃報に言葉もありませんでした。


織田さんに初めてお会いしたのは恐らく1990年代の初め、とあるバラエティー番組での収録でした。


〇〇ガールズと名のつく女性グループが大勢いた華やかなる時代、当時役者見習いの私は、ドラマに出演できるきっかけになればと、某TV局の深夜のバラエティー番組にレギュラー出演させて頂いており、あるお盆の時期の回でゲストとしてあの山伏のような出立ちの織田無道さんがお越しくださいました。


お盆という時節柄もあり、何人かの女性グループのメンバーたちと私は並んで正座をし、アドリブで織田さんの選んだ「何かに取り憑かれた子」の設定の女性がひとり警策で打たれるということでしたが、それが本番では私の役割となって「先祖が家系の衰退を案じているぞ!」と叫び背中をビシッと打たれたのでした。


収録後、若い当時の私は「どうして私なのでしょうか?」と織田さんに抗議も込めて伺ったところ「この中で一番寂しそうに見えたから、番組的に良かったんだよ」と仰り、衰退を心配した先祖からのメッセージについては見事ウインクでスルー技を決められ(笑)、代わりに本番では眼光鋭く喝を入れていた目を蒲鉾形に緩ませながら、ご自身のお嬢様の自慢話をされていました。


その自慢の可愛い娘さんと、私は後に生活の拠点となる海外で出逢い友人になるわけですから、今世で出会う人は極めて限られているのだと、ご縁を大切にすべきであると実感せざるを得ません。


織田無道さんは癌により余命宣告を受けていたにも関わらず

2018年にお嬢様を交えて再会しさせて頂き、また既に芸能界を引退されていたにも関わらず20194月には私の出版イベントのトークショーにも病を押してご出演下さいました。


TVに毎日のように出演されていた時代のエピソードや、世界に数台しかないご自慢の愛車が誰もが知る映画に出たこと、など、蔵出しの楽しいお話しで会場を沸かせて下さいました。


お酒もお食事も今まで生き甲斐のように楽しんで来られたのに、そのイベント後の会食はご遠慮されたことから、相当無理をされてのご出演だったと思い申し訳なく、また感謝の思いで一杯です。


その後、現在迄お嬢様を介しての伝言での交流となり、

covid193rdwaveと言われる中、帰国してお別れのご挨拶に伺うことが叶わないことが口惜しく堪りませんが、今でも携帯を鳴らしたらあの大きな声でお出になりそうで私は未だ実感が湧いておりません。


温厚で優しく純真な子供のような一面や、最近は私如きにも非常に気を使われるところは、織田無道ブームを知る人にとっては意外かも知れません。


しかし波瀾万丈な人生のうんと終わりにお会いした織田無道さんは、すっかり毒が抜けて、家族や友人への愛と感謝や愛犬への慈しみなどに満ち、生や死も達観され、まるで悟りの境地におられるかのようでした。


訃報を頂いた日から数日間、私の住む地域では虹が出ていました🌈

まるで「虹の橋の向こうに着いたよ。」と仰るかのように。

とても寂しくてなりませんが、病からの解放を感じ、柔かな笑顔を浮かべておられるように思えてなりませんでした。


織田無道さん

長らくの闘病お疲れ様でした。

どうか安らかにおやすみください。

心から、ありがとうございました。


天里美月