私と母の物語、書き続けられるかなぁと思いながらかきはじめましたが、

 

③までくることが出来ましたニコニコ

 

 

 

私が生まれた2年後に妹も生まれ、私たち家族は6畳2間の小さな借家で暮らしていました。

 

今はただなつかしいこの“小さな借家”が、マイホームを夢見ていた母の苦悩となり、

 

思春期の私たち姉妹の悩みとなり、そしてきっと父の居心地を悪くしてのだなぁと思います。

(この家は3年ほど前に父が要介護になったのをきっかけに引っ越しましたが、その時のことは今でも私にとって大切な体験として残っています。前にブログでも記録を残していたのですが、削除してしまってました、、、また機会があったら書きます鉛筆

 

 

 

 

私に物心着いた時には、母はこの家の中でミシンをふんでいました。

 

後々思春期の悩みの種になったこの狭さも、小さな頃は、“いつでもお母さんが近くにいてくれる”安心の場だったんだな、今ではそんな風に思う。

あんなに早く家を出たかったのに、あの家であったこと感じたことがあたたかくてなつかしく感じられる。それが不思議でありがたいおねがい

 

 

 

 

 

母の影響から、私の昔の夢はデザイナーで(もっと昔は“お母さん”だったと思う。家で働くお母さんになりたかった。今その夢は叶っていてそのことが嬉しく生活も気に行っているニコニコ そして書きながら思うのは、“私ってお母さん大好きだったんだなぁ”です笑)

 

 

 

​​​​​​“本当は教師になりたかった”母がそう言う時はいつもネガティブな印象をうけていたし、

 

“お母さんは仕事が好きじゃないんだな”と長い間感じていたけど

 

 

数年前一緒に仕事をした体験がきっかけで

 

“洋裁や裁縫が大好きなんだな”にかわりました。

 

 

 

 

そして私のこと。

 

 

私はと言うと、

同じく(笑い泣き)“本当は別の事がしたいけど”と思いながら、母の願いで高校→アメリカのカレッジと進学をしたのでした。

 

 

自分には叶わなかった“進学”をすれば娘は幸せになるんだと思っていたのかな?と私は今でも勝手に思ってますが、

 

もっと家族間でコミュニケーションとれればよかったなぁとも 思ったり、

 

だけどそれもやっぱり“これが正しい、私が正しい”の主張と正義感の強い母に対して、“私の話は聞いてもらえない”とか“言わなきゃよかった”と感じることを繰り返しているうちにそうなっていったんですよね。

(それに、さらにさかのぼり私の中に“私が悪い”とう思い込みが出来ていたと最近カウンセリングで見つけてもらえたので、今となっては、まぁ、じゃあそうなるよねと笑うしかないのです爆  笑

 

 

 

そして“そうなるよね”と笑えるようになった時に、笑うたびに、思い出すたびに疼いていた心が癒されていくのかな、と感じています。

 

 

 

 

と、ここまで書いて一週間ほどストップしていました。笑

 

 

 

今日は5月5日の子どもの日です🎏

 

先ほど、母とちょっとした言い合いになり、母がすねて帰りました。

 

 

この“私と母の物語”は、もともと平行線ばっかりぶつかり合っていた私と母の関係性がどんどん気持ちいい関係性に変わってきています、というテーマで書いていたはずなのですが、、、、笑い泣き

 

 

このタイミングで久しぶりにこんなことが起こってくれました。  

 

 

“せっかくの子どもの日なのに、、、”としばし感じたのもつかの間、“子どもの日だから”か、と気づきました。

 

また長くなってしまったので、④へ続きますニコニコ