何かやらないといけない気持ちと何もやりたくない気持ちが交差する。そんなときに読書に走ってしまうことが多い。そんな日が月曜日以外ならば、無意識に図書館へと向う。でも、運悪く月曜日が多い。部屋には読みかけの本、未読の本がゴロゴロしている。もし、それらの本に手を伸ばせば、一歩も外へ出ずに、ああ、無意味に一日を過ごしてしまったと後悔するに違いない。読書は暇つぶしの1つにしかならず、無意味な一日を埋めるほどの行為でもない。
どうしたものか、いつのころからか部屋で過ごすことが苦痛に感じてくるようになった。それはぼくが「行動的な男」と言っているのではない。部屋にいると無力感が漂い。次第にまどろみ。ねむ気がしてきて、横になって、昼寝ばかりしてまう一種の「欝」状態に陥ってしまう。これじゃいけないと重い体を起こして、バイクに跨るか、窓を全開にして車を走らせる。全身が風に包まれた瞬間から、まどろみの奥にいたぼくが目覚め、自分らしくなってくる。どうもいつも風を感じていなくてはダメな体になってしまったようである。
雨が降りそうなので車で出かけた。ひとり遊びの休日が長く、うんざりしているが、平日の午後に急に電話して会える友達もなく、街に出て声をかけてナンパする度胸もなく、暇つぶしの読書の種となる本を眺めにリサイクル書店へ向った。運転するトラックに屋根と後部座席をつけたRV車は、後部窓が開閉できて、全開にすれば気持ちい風が車内を満たしてくれる。一瞬、この心地いい風に包まれたままでいたらさぞかし気持ちいいだろうな、と思った。でも、どこを走ればいい?どこまでいけばいい?考えるだけでも億劫で、とにかくのんびりしたい一日でもある。
リサイクル書店で105円均一の棚から数冊選んで買うことにした。読みたいから買うのだが、なぜか未読の本が溜まっていく。不思議だ。
リサイクル書店がある大型スーパーの建物から屋上の駐車場に出ると日が長くなったせいか、外は明るい。窓を全開にして車の中で買ったばかりの文庫本を読むことにした。ほどよく風が抜けていき、読書に適していることに驚いた。時計をしていないからどのくらい読み耽っていたかはわからない。でも、隣に停まった家族連れが買い物に行って帰ってきた後も車にいたから、相当長く車の中で読書をしていたかもしれない。
読んでいないと思った沢木耕太郎著「夕日が目にしみる」を読み進めていたら、「いま、私の机の上には四冊の『何でも見てやろう』がある。」のくだりが出てきた。なんと、前に読んだ本である。しかも、家にあるはず。リサイクル書店は目の前。『1冊から買い取ります』と宣伝しているだけに105円均一の文庫も買い取ってくれるかもしれない。でも、昔、数十冊持ち込んで四分の一以上の本を「これは値段が付きませんがどうしますか?よろしければ、うちで処分しましょうか?」と言われ、どうせゴミに出すしかないから持ち帰るのも面倒だからと処分を頼んだことがある。しかし、翌日には処分するといった本が105円均一の棚に並んでいて唖然としたことがあった。あのときは大量に持ち込んけれども、一冊だけ、それも105円均一の文庫を持ち込んだらどうなるかな?という興味も出てきた。新刊文庫本なら喜んで買い取ってくれるだろう。はたして、どうやって手垢の付いた古本を断るか。でも、駄々をこねるお客さんの役を演じることは、かなり苦痛と労力を必要とする。
ぼくは別の本に手を伸ばし、それから三十分ぐらいして駐車場から出て行った。
ああ、今日も無意味な一日を過ごしてしまった。それでも仕事の疲れはなくなり、また明日から仕事ができそうである。こうして人は仕事をしながら老いていく。