吉田みつひろです。
いつも皆様には大変お世話になっております。
本当にありがとうございます。
岩手県の偉人は多く存在する。
総理経験者は4名。
米内光政、齊藤実、原敬、鈴木善幸。
それから
教育分野では新渡戸稲造、
日本語、アイヌ語研究では金田一京助など
多くの先達の資料が展示してある
盛岡市先人記念館を訪れる。
それから原敬記念館に赴く。
平民宰相といわれる原敬氏は、
新聞記者をしていて、井上馨などに才を認められて
外務官僚へ、その後大阪毎日新聞社社長などを経て
明治35年の衆議院議員初当選から連続当選8回。
政友会設立に携わり、のちに総裁へ
大正7年9月29日、寺内正毅より引き継ぎ
初の衆議院議員が総理となった。
それまでの過程が、具に見ることができた。
その後、小岩井農場へ
これも歴史的な農場である。
小岩井農場の加工工場前にて
明治24年、共同創始者である、小野義真氏(日本鉄道社副社長)
岩崎彌之助氏(三菱社社長)、井上勝氏(鉄道庁長官)の
3社の頭文字をとって、「小・岩・イ(こいわい)」と名付けられた。
その後明治32年に、岩崎彌之助の長男、岩崎久彌が引き継いだ。
小岩井農場の役割は非常に大きく、
当時の不毛な土地であった周辺を徐々に基盤整備し、
山林事業、畜産振興、乳業事業、育場事業、種鶏事業など
日本の殖産興業の一躍を担うべく発展し、
第2次大戦後は製造加工販売を展開し、
現在は、環境保全や景観保全など山林の多角的機能を
大事にし、環境緑化エンジニアリング事業を
立ち上げ、現在にいたっている。 詳細は → こちらから
まきば園は、チーズ作りやヨーグルトや生乳を食したり、
自然をいっぱいに感じながら、さまざまな体験ができる
施設となっている。大きく岩手山が横たわっています。
当時の実業家や政府など公も含め、
日本のチベットと言われた岩手県を
このように産業育成も含め、発展させていったのだ。
小岩井農場は、本当に緑が多く、
深呼吸すると、「空気がおいしい!」と
素直に思えた。
吉田みつひろでした。