吉田みつひろです。


いつも皆様には大変お世話になっております。


本当にありがとうございます。


沿岸部分をずっと南方向へ視察して、


大船渡を通過し、


吉田みつひろの一歩ずつ

最後に陸前高田市を見ることができた。


陸前高田市は、宮城県の気仙沼市の


すぐ北側にあたる。


陸前高田の様子は、多くの報道機関によって


知り得ることはできただろうが、


4か月たった現在の町の様子は相変わらずの状況。


陸前高田市の津波当時の様子 → こちらから


吉田みつひろの一歩ずつ

 陸前高田市の様子が見えてきました。


吉田みつひろの一歩ずつ
 ガレキの山が残っています。


吉田みつひろの一歩ずつ
 海岸沿いに立っていた松は後ろの一本だけ。


この一本の松は、復旧復興の希望のシンボルとして


陸前高田の皆様を精神的に支えているという。


吉田みつひろの一歩ずつ
 松が流され、山のように積まれる。



吉田みつひろの一歩ずつ
 むなしく、ふれあいセンターの石碑が残る。


吉田みつひろの一歩ずつ
 シアターであろうか?


吉田みつひろの一歩ずつ
 陸前高田市役所の様子。 


吉田みつひろの一歩ずつ

永遠とこのような情景が続いています。


住宅地があったところといっても


広がるのは、荒野とガレキ、


ときどき、車であったであろうという


鉄くずが残っていたり。


まちを流れる気仙川の流域は、


津波が洗いざらい襲っていった様子が窺えた。


津波の影響は、内陸まで。


陸前高田市の町の様子は、


かろうじて、おおきなスーパー、病院


JA会館などは残っているが、


電車が走っていたレールは跡かたも無く流され、


かろうじて道路にそって、


建物がたっていたんだなあと


わかる程度。


市民の方の多くは、仮設住宅や


県外に出て住んでいる様子。


正直、息が詰まる思いだった。


何をすればいいんだろう?


何もなくなったところに新たな都市計画を


ひいて復興するのか、


残っている建物を利用し、再生していくのか。


市町レベルの財政では


到底やってはいけないだろう。


国がどのようなビジョンを策定するのか。


「あきらめない」という思いは、


地元の方にすれば、当たり前。


今生きていることが、Never Give Up!!


「希望の光」を明日へ向けて


かならず照らさなければならない。


陸前高田の荒れ果てた状況を見ながら、


自分の無力さを改めて痛感した。


今自分ができること、


こうやって現実を、そのまま伝えていくこと。


4か月たった今の岩手沿岸部の様子を


こうやって伝えること。


目から、水っぽいものがあふれてきた。


悔しさなのか、悲しさなのか。


吉田みつひろでした。