吉田みつひろです。


いつも皆様には大変お世話になっております。


本当にありがとうございます。


釜石市は、新日本製鉄釜石製鉄所を抱えるまち。


新日鉄自体は、今回の津波の影響を直接受けなかったため、


電気やガスの供給が当面の課題であったそうです。


工場の敷地内には、ガレキが積んでありました。


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 新日鉄釜石の様子。


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釜石の町の津波時の様子 → こちらから



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パナマ船が流され、


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港に突き刺さった状況になっています。


現在もこの状態で、


お話によれば、このまま解体して処理されるという。


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 市場もご覧の様子。


津波の恐ろしさを改めて知らされた。


釜石の町は、比較的建物が残っている。


しかし、3階部分まで波が押し寄せたため、


甚大な被害を受けた。


釜石港は、昔から地形的に比較的深く、


平成21年には、深さ65Mにもおよぶといわれる


最大級の防波堤を構える。


現地の釜石ガスの松崎常務のお話を聞けた。


当時は、津波が一度来て、すーっと引いて行ったあと


大きな津波がドドッと押し寄せた感じだったようです。


一度波が引いたときに、


アクションを起こそうと、外へ出たり、


物を取りに階段を下りた方の


多くは流されたそうです。


復旧には8年かかると市も想定しているようだが、


国の指針も示されず、自治体も動かいため、


結局民間がすべてやるようになる。


特に、住居関係などは、支援の条件が示されるのが遅く


多くの方は、自身で投資し、改装や手を加えて


自宅に帰る方が増えたとか、


実際、改装している家がほとんどであった。


「行政を待ってられない」


と切実な思いが心に残った。


さらに、驚いたことに、釜石市の部長級の職員が


この時期に早期退職をしているという話があるようだ。


今が踏ん張りどころ、釜石市内の復旧の


グランドデザインをどう描いていくのか、


大事な時期での、退職は何とも無責任なのか、


そういった話がまちに出てくる状況は、


決していいことではない。


自衛隊の皆様の支援は、本当にありがたかったが、


行政のリードがもっとあれば、


もっと部隊の積極的な行動ができていたのではと


感じているということ。


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市役所へつづく、商店街の様子。


1階部分は倒壊しているが、


実際には3階まで津波の跡があった


というのだから、このあたりは、


海だったということになる。


信じられない、という思いでいっぱいだった。


ちょうどこの日、釜石市で


周辺市町村と政府との要望を聞く会が


開催されていたようだが、


もう被災から4か月。


ニーズも変わってきていると思われる。


求められているのは、どう動くかという


アクションの部分にきていると思う。


つづく・・・・・。


吉田みつひろでした。