吉田みつひろです。


いつも皆様には大変お世話になっております。


本当にありがとうございます。


実は午前中


お茶のレッスンを受けて参りました。


お茶の作法を知っておかなくては、と


お声掛けを戴いたのです。


その後、県立大学へ。


県立大学の記念式典のあと、


山口市民館 で行われていた


「和紙ちぎり絵展」に顔出し。


吉田みつひろの一歩ずつ-230521

和紙のちぎり絵って、本当にすごいですよ。


力強い作品から、とてもホンワカした優しい作品などもあり、


ふっと、芸術品の中で一呼吸でるような瞬間がありました。


「絵が描けると思ったこともない、あなたも


 和紙ちぎり絵は、素敵な美しい絵が描けるという


 自信を持たせてくれる、そういう絵です。」


と戴いたプログラムに記してありました。


チャンスがあれば、一度ちぎり絵に挑戦したいと


思います。


むかし、「裸の大将」というドラマがあり、


ちぎり絵の素晴らしさを感じたことがありました。


そして、


山口市菜香亭 に移動し、


日英協会の講演会に顔出し、


吉田みつひろの一歩ずつ-230521
 今日の講師は、毛利博物館の小山館長様


毛利博物館 の小山館長のご講演


「杉 孫七郎の訪欧と長州ファイブ」と題し、


お話が始まっていました。


長州藩の老中:周布政之助がおじに当たるという。


幕府の訪欧派遣に同行する機会を得て、訪欧。


いわゆる遣欧使節団といわれます。


この海外視察が長州の若き青年たち、


いわゆる列強の知識と技術を習得するために


派遣された長州ファイブが生まれるキッカケを作ったのです。


といったお話を伺いました。


その他、遣欧使節団の訪欧に関する資料を見ながら、


その荷物の中には、醤油、味噌など、調味料なども


含まれていたという。


さらに、視察する国の順序を、英国より前に仏国を先に


したものだから、2番目に伺った英国の王族や政府要人は、


冷たい歓迎をしたとか。


当時の列強国は、マゲと刀姿の日本人が珍しく、


非常に笑いが絶えない歓迎だったとか。


逆に、今の韓流スターが来日した時のような


大歓迎と人気があったとか。


長州ファイブの一員である伊藤博文が


村田蔵六(大村益次郎)が開いてくれた送別会で


「益荒男の 恥を偲んでいく旅は 皇御国の為とこそ知れ」


と、当時の攘夷派が盛んであった長州藩藩士として、


叱られながらも、攘夷すべき外国に学びに行くという


その目的を、長州のためだけでなく日本皇国のため


という気持ちで出掛けて行ったという逸話など。


非常に興味深いことばかり、本当に楽しかったです。


そして、


ホテルかめ福に移動し、


自民党山口県連青年部・青年局の大会に顔出し。


吉田みつひろの一歩ずつ-230521

200名弱の青年部青年局員に皆様が一堂に会し、


今年の活動計画と大会決議を決定。


しっかりと活動していかなければなりません。


しかし、


時の政府の悪く口ばかりを言うのではなく、


自民党として今すぐできることを


「なすべきことをなす」


という、スピード感をもって、すぐ実行!


を実現できる人材を輩出し、積極的な組織であってほしい。


若いという武器を決して忘れるわけにはいかない。


国会議員の先生方のお話を聴きながら、


ふとそう思いました。同じことの繰り返しはしてはならない、と。


今日一日たくさんの方との


出逢いがあり、笑顔を拝見しました。


ありがとうございました。


明日もがんばります。


よろしくお願いいたします。


吉田みつひろでした。