吉田みつひろです。
いつも皆様には大変お世話になっております。
本当にありがとうございます。
実は午前中
お茶のレッスンを受けて参りました。
お茶の作法を知っておかなくては、と
お声掛けを戴いたのです。
その後、県立大学へ。
県立大学の記念式典のあと、
山口市民館 で行われていた
「和紙ちぎり絵展」に顔出し。
和紙のちぎり絵って、本当にすごいですよ。
力強い作品から、とてもホンワカした優しい作品などもあり、
ふっと、芸術品の中で一呼吸でるような瞬間がありました。
「絵が描けると思ったこともない、あなたも
和紙ちぎり絵は、素敵な美しい絵が描けるという
自信を持たせてくれる、そういう絵です。」
と戴いたプログラムに記してありました。
チャンスがあれば、一度ちぎり絵に挑戦したいと
思います。
むかし、「裸の大将」というドラマがあり、
ちぎり絵の素晴らしさを感じたことがありました。
そして、
山口市菜香亭 に移動し、
日英協会の講演会に顔出し、
毛利博物館 の小山館長のご講演
「杉 孫七郎の訪欧と長州ファイブ」と題し、
お話が始まっていました。
長州藩の老中:周布政之助がおじに当たるという。
幕府の訪欧派遣に同行する機会を得て、訪欧。
いわゆる遣欧使節団といわれます。
この海外視察が長州の若き青年たち、
いわゆる列強の知識と技術を習得するために
派遣された長州ファイブが生まれるキッカケを作ったのです。
といったお話を伺いました。
その他、遣欧使節団の訪欧に関する資料を見ながら、
その荷物の中には、醤油、味噌など、調味料なども
含まれていたという。
さらに、視察する国の順序を、英国より前に仏国を先に
したものだから、2番目に伺った英国の王族や政府要人は、
冷たい歓迎をしたとか。
当時の列強国は、マゲと刀姿の日本人が珍しく、
非常に笑いが絶えない歓迎だったとか。
逆に、今の韓流スターが来日した時のような
大歓迎と人気があったとか。
長州ファイブの一員である伊藤博文が
村田蔵六(大村益次郎)が開いてくれた送別会で
「益荒男の 恥を偲んでいく旅は 皇御国の為とこそ知れ」
と、当時の攘夷派が盛んであった長州藩藩士として、
叱られながらも、攘夷すべき外国に学びに行くという
その目的を、長州のためだけでなく日本皇国のため
という気持ちで出掛けて行ったという逸話など。
非常に興味深いことばかり、本当に楽しかったです。
そして、
ホテルかめ福に移動し、
自民党山口県連青年部・青年局の大会に顔出し。
200名弱の青年部青年局員に皆様が一堂に会し、
今年の活動計画と大会決議を決定。
しっかりと活動していかなければなりません。
しかし、
時の政府の悪く口ばかりを言うのではなく、
自民党として今すぐできることを
「なすべきことをなす」
という、スピード感をもって、すぐ実行!
を実現できる人材を輩出し、積極的な組織であってほしい。
若いという武器を決して忘れるわけにはいかない。
国会議員の先生方のお話を聴きながら、
ふとそう思いました。同じことの繰り返しはしてはならない、と。
今日一日たくさんの方との
出逢いがあり、笑顔を拝見しました。
ありがとうございました。
明日もがんばります。
よろしくお願いいたします。
吉田みつひろでした。


