吉田みつひろです。


いつも皆様には大変お世話になっております。

本当にありがとうございます。


さて、私の尊敬する福沢諭吉先生の書物を今後何度かに分けて、一部ご紹介しましょう。今日は『学問のすゝめ』です。その初編よりご紹介します。

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えり」ではじまる有名なこの作品ですが、その真意は何でしょうか?興味ありませんか?

「学問とは、ただむつかしき字を知り、解し難き古文を読み、和歌を楽しみ、詩を作るなど、世上に実のなき文学を言う」のではないと言っています。○○学や○○論などを勉強すること以前に、文字の読み書き、挨拶の仕方、手紙の書き方、数字の数え方など日常生活に必要なことを一つずつ学ぶことがまず必要と言っています。そして「学問をするには天の道理に基づき人の情に従い、他人の妨げをなさずして我一身の自由を達する」という「分限」を知ることが重要であると言っています。しかし、人は生まれながらにして、何にも縛られず自由であるため、分限がなければ、単なるわがままし放題に陥ってしまうことが多い。つまり「自由と我がままの界は、他人の妨げをなすとなさざるとの間に」あると言っています。

つまり、「大切なる目当は、この人情に基づきて先ず一身の行いと正し、厚く学に志し博く事を知り、銘々の身分に相応すべきほどの智徳を備え」ることであると言っています。

詳しくは、一度『学問のすゝめ』をお読みになることをお勧めします。政治、経済、日用社会、あらゆる場面にて、人がわが身を常に正し、悪きことを戒めていくことをしなければ、自分自身もさることながら、国も亡び夢のある方向に行くことが難しいということが記されています。


私の思いのひとつは、人を大切にしていく、人を育てていく仕組みが必要であるということです。『学問のすゝめ』にあるように、その学ぶことを通じ、まず自分自身を見つめなおし、徳を積み、正していくことが重要であると考えます。教育や環境、医療・福祉、そして1次・2次産業対策の重要性もさることながら、まず人が生きていくことの尊さを知り、人が生きていくことに対し、常に努力をしていくことが大切だと考えます。その方法は、常に政府や役所が用意してくれるものだと信ずる他力本願ではなく、まず自分ができることは何かを考え、努力する自立の姿勢がまず大変重要になってくるではないでしょうか。

現代社会が急速に発展し、豊かになったいるはずであったのに、『学問のすゝめ』が書かれた当時にも、今と同じことを言ってたんだなあと感じました。どんなにICT化が進んでも、最後は「人」に戻ってくるはずです。


吉田みつひろでした。


※本件、福沢諭吉先生の『学問のすゝめ』より引用いたしました。