「子持ち様批判」に見る分断 | 佐野みつひこ のオフィシャルブログ

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所沢市議会議員(1期目)
会派「自由民主党・無所属の会」
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前回、最下位当選!
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「子持ち様」なる用語が跋扈しています。
「子持ち様」というのは「育児を理由に仕事を切り上げたり育休を取る同僚」のことを指し、子持ち様による急な早退や休暇取得のあおりを受けている独身子なし層の恨みや憎しみが言語化された単語です。こんな単語が生まれる時点で、なんというか社会の分断が進んでいるようにも感じます。

また、これまでは、自分もいずれ結婚や出産に伴い迷惑をかける側になるのだからお互い様だ、ということで許容されてきたものが、生涯未婚率の上昇に伴い、この「お互い様」の文化が成立しなくなってきていることも発生要因の1つでしょう。

加えて、経済的理由で結婚や子育てを諦めざるを得なかった層による「なぜ結婚もできて子供までもうけることができた幸福な人のカバーを、結婚もできなかった孤独で不幸な自分がしなければならないのか」という、「幸福度と負担との逆進性」への不満も込められているように感じます。

確かに、子持ち様の急な早退や有給取得のせいで、自分の趣味や余暇の時間が無くなるということが何度も何度も続いて常態化していると、不満を持ってしまうというのもわからないでもありませんが、一方で、子どもの親というものは、養育義務や保護責任の義務がありますので、同僚に負担を押し付けてでも、何を差し置いてでも、子どもの保護を最優先する義務があります。法的な縛りがあるので「子持ち様」の振る舞いには正当性があります。
また、独身子無しが未婚のまま年老いた際に将来受け取る年金は、その時点での現役世帯(つまり他人の子ども)からのものになります。
その子達に養われることになるわけですから、独身子なしが「子持ち様」をカバーするくらい当然だという議論にもなるでしょう。

いずれの立場にせよ、自身のことや日々の生活のことで精一杯なので、なかなか相手の立場に立って考えられないという余裕の無さと、終身雇用制と女性の社会進出に伴う企業側の制度改訂の対応の遅れなどに、この分断の発生要因があると思っていますが、そういう問題以前に、やはりこれも、個人主義を優先させる戦後教育の悪質性という戦後民主主義が抱える宿痾に、根本要因があると思っています。
「個人主義」よりも「利他の精神」を尊ぶ教育を受けていれば、この手の問題はそもそも問題にすらならないと思います。

あと、「独身子なしが恵まれていない説」は、実のところ間違いでして、たとえ経済的な理由で結婚や子育てを諦めた層であったとしても、現役の子育て世帯に比べたら、時間的にも経済的にもはるかに豊かである点だけは強調しておきたいと思います。
「いや、そんなことはない、収入も少なく貯金だって雀の涙だったので結婚も諦めざるを得なかった」という反論も出て来そうですが、こういう反論をされる方は、子どもというものが1人できた瞬間に「懲役22年、借金3000万円」が強制確定するということをどのように考えているのでしょうか。

たとえ、独身で貯金が幾許かしかなかったとしても、実質マイナス9000万円からスタートしている3人の子供を養っている子持ち様に比べたら、経済的には圧倒的に有利であるはずです。さらにこういう「子育て様」には大抵子育てのためのマイホーム付きになってしまうので、マイナス1億数千万とかからのスタートになる場合さえあります。
これだけ巨額の負債を抱えている人たちが、「収入も貯金も少ないから結婚も諦めざるを得なかった論」に少しでも耳を貸すかと言えば、そんな訳がないのも頷けます。

そう考えれば、政府が進める「子育て支援策」が分断を加速させるという批判も的外れであることがわかるでしょう。子育て世帯は時間的にも経済的にも本当に大変でして、社会全体で負担をしなければならないわけです。「子持ち様」などと言って揶揄して良い存在ではありません。

ちなみに私は、独身子なしの立場として、子持ち様からの仕事のあおりを受ける側なのでしょうが、それで仕事や負担が増えようとも、自分の時間が犠牲になろうとも、甘んじて受け入れられるだけの寛容さは持ち合わせているつもりです。ただ、これは、自分自身のことを優先順位の最下位に置いて、公のため、国のため、地域のため、他人のため「だけ」に働くという、利他の精神に徹する職業(政治家)に就いていることによる一種の「職業病」で、そのように思うことができるだけなのかもしれませんね。

https://news.yahoo.co.jp/articles/11f8c997620114f88bce4629b7d06c29d6cb0807?page=2