益田ミリさんが「装画と本文挿絵」を担当されています(とてもいい感じ)。

文宝出版に勤める「田川美希」と「中野のお父さん」が主人公のシリーズで、文学界の謎を親娘て推理していきます。


「漱石と月」

これは夏目漱石が「アイラブユー」を「月が綺麗ですね」と訳したという…何というかある種の都市伝説のように伝わっているのは真実か?という謎です。

本文中にもありましたが『相棒』のネタにもなっているくらいなので(見ました)…信じている人は多いと推測しますが…

これは読んでいただくのがいいかと。中野のお父さんによる夏目漱石という人が「アイラブユー」をどう捉えたか、そして日本人にとっての《文学の八分》は《天地風月》と言っていたという解説は漱石の作品を読んだだけの私には驚く事ばかりでした。その漱石にどうして「月」が?という疑問にもお父さんなりの推測が出て来ます。引用されたのが「中勘助」の『銀の匙』でした。知らなくて読んだ私は「へぇ〜」の連続でした。

そして、翻訳という事で「二葉亭四迷」の紹介があって、その仕事の量と質に驚きました。「死んでもいいわ」は彼の訳(『片恋』)でした。


「清張と手おくれ」

『点と線』は私も読みましたが…記憶の彼方に、です。なのでこの作品が「失敗作」だと言われても「何が?」です。この失敗の理由が書いてあります。記憶にないので「そうなの?」としか。書くのが嫌だったというエピソードがあり、これはこれで面白いです。でも、清張先生のこの一作が「ミステリー」を「一般大衆化」させたと言われているのだそうです。


「白浪看板」と語り

ここからは落語家さんのお名前が出てきます。知識のない私には???なのですが…

池波正太郎生誕100年、という事で、池波先生と落語家の六代目三遊亭圓生とのあれやこれやが話題に。時代を考慮して言葉を使う。この言葉はこの時代からだから、というふうに。その言葉一つから拡がる世界。事の発端は「ベニヤ板」これは如何に?

中野のお父さんによれば池波正太郎は落語が大好き(お好きだったのは桂文楽さん)だった。そこから見ると…


「煙草入れと万葉集」

美希は原島博先生から「久保田万太郎」を知ってるか?と問われ…(説明がありますが私も知らなくて…「文学座」の創始者のお一人で、小説、戯曲、随筆、短歌でも大きな仕事をしていて落語にも通じている。文化勲章受賞者)

そしてここでも三遊亭圓生さんが。落語にも通じている久保田先生から出た「十二煙草入れ」がわからないと原島先生。その謎解きが美希へ。

これを知っているのが中野のお父さんなんです。落語から来たお話しなので圓生さんはどう話したかがヒントだと。《新聞の古いんで煙草入れを折って》と話してるから?何でしょう?

お父さんの話しは止まりません。古今亭志ん生さん、桂文珍さんのお話しが出てきます。そして、美希に『口訳万葉集』折口信夫にルビをふってごらんと。ここのお話しで桂米朝、桂枝雀、桂吉朝のお名前が出てきます。大阪に住んでいるのでお三人のお名前は知っています。特に枝雀さんは好きでした。落語ってこんなに面白いのって初めて思わせてもらったので(もう皆さん故人となられました)。この答えは「こうやくまんにょうしゅう」「まんようではなくまんにょう」。どうしてまんようからまんにょうになったかは説明があります。でも、米朝さんも枝雀さんも吉朝さんも「まんにょう」と。圓生さんもだそうです。

「落語が、活字ではなく、人の口から耳へと伝えられることの意味が、ここにある。敬愛する人の息づかいと共に言葉のバトンが渡される」お父さんの言葉です。


「芥川と最初の本」

本文の中で「日本近代文学館」の話しがあって、行ってみたいなぁと思いました。コーヒーとかの名前が作家の名前で洒落てます。

私には馴染みのないお名前ばかりでしたが、美希の後輩の誕生日が9月1日とわかり、話しは「関東大震災」へ。その時、芥川龍之介がとった行動というのが…あらあらでした。

そして、ここにお誘いいただいた原島先生から中野のお父さんに「『羅生門』の、漱石本にあやかって作られたところのうち、一目瞭然の箇所とはどこか」という挑戦状が出されました。

これにサラッと答えるのが中野のお父さんです(写真付き)。


編集者としてもベテランになった美希に後輩が。新卒で入った柴田李花ちゃんです。いろいろと指導しながら担当を引き継いでもらいました。

中野のお父さんは家庭菜園に勤しんでます。蔵書は増えるばかりのようです。

てっきり結婚するのかなぁと思っていた彼とはどうなったのかなぁと思いましたが…ない、みたいですね。今回も勉強になりました。落語家さんのすごさを知りました。



被災された皆様が早く落ち着かれますように…

世界が平和でありますように…

感染症に気をつけて😷(コロナの陽性率が⤴️してます。対策を)