養老先生の愛猫「まる」ちゃんの表紙で始まり、まるちゃんの写真が随所におり込まれ、裏表紙もまるちゃんで終わりました。

NHKの『ネコメンタリー 猫も、杓子も。』からで、「養老センセイとまる(2017.3.26放送)」と、特別編「養老センセイとまる 鎌倉に暮らす(2018.3.3放送)」、EテレとBSプレミアムで放送されたものをもとに構成された1冊です。



残念ながら、まるちゃんはもう亡くなってしまって…先生のお宅には次のネコちゃんがいます(名前は…)。亡くなって、先生のお宅のベランダの手摺りだったか、烏がお線香とマッチを置いて行ったので(それともお供え?)餌をやられるようになったそうです。まるちゃんの交友範囲に入るのでしょうか。

曽野綾子さんがご主人の三浦朱門さんを亡くなされた後に、まるちゃんと同じ種類のネコを飼い始められて「まるちゃんみたいに自分の食い扶持は自分で稼ぐようになりなさい」と言われたそうです。先生の娘さんも自分より稼いでいると。

じゃあ、まるちゃんは働きものなのか(写真集は売れた)、と言うとそんな事はないみたいですが、先生の思索には大いに関与、してるのかな?と読んで思いました。



先生がいろいろと話されてる中で、私が印象に残ったものの一つに「なぜ「猫に小判」なのか?」があります。人間にできて動物にできないことって?です。答えは「動物にはイコールがない」ということだそうです。動物は「違いの世界」に生きている(人間から見るとa=bもb=aも同じ、ですが、動物は違うと。aとbの位置が違うから)。では、違いとは?となると、それは「感覚でとらえる」ことだそうです(例えとして絶対音感をあげられてるんですが面白いです)。人間は感覚から入って来たものを頭の中で意味に直結させて=にしている。数学でいう「交換の法則」です。さらに=を重ねると「等価交換」。人間だとお金です。この「交換」という概念が対人関係になると、相手の立場に立って考えるということ。それは民主主義社会の基本でもあり、「平等」ということ。人間は意識に強く依存して生きてきてイコールの社会を作った。それが人間の特徴であり、進歩として捉えてきたもの。でも、進歩した社会が感覚を鈍麻させるという欠点は誰も指摘しない、と。先生は感覚に頼って生きる(動物)のと意識に依存して生きる(人間)のはどちらが幸せかということ。人はそれを時々、確認したくなる、と。「平等」の先にあるものは、と先生がよく言われていますから…



スウェーデン🇸🇪出身の漫画家さんが、🇸🇪社会は平等、平等と言って「平等の粗探し」をしているようと書かれていましたが、今、世界がそんな感じになりつつあるような気がします。

難しい…



先生とまるちゃんの素敵な写真を見ながら読んでください。2018年の出版なので今の社会と比較すると先生の言われようとすることが何かしらわかるかも知れません。





被災された皆様が早く落ち着かれますように…

世界が平和でありますように…

今日はすごい雨ですね。気をつけてください。