1990年代の事件
◎たった5分、されど5分!
男は立ち上がらなければいけない。
普段は大人しくてもいいが、
イザという時には立ち上がる。
それが男だ!
例えばアリスの名曲「チャンピオン」
その中でも「立ち上がれ」と歌われている。
そう…男は立ち上がらなければならない。
立ち上がらなければ
チャンピオンにはなれない。
立ち上がって頑張ることこそ、
男であるといえる。
立たない男は男ではない。
ところで…立て立てというが…
どのくらい勃てばいいのだろうか?
これについては興味深いデータがある。
実際の挿入時間は5~15分が57.2%
5分以下は12.3%なのだ。
そして20代女性の場合、
理想は5~15分が39.7%
15~30分が43.6%
なんと30分以上が12.9%もいる。
あくまで理想ね!
それに対して5分以内が理想なのは3.8%。
つまりほとんどの女性が求めているのは
5分以上、できれば15分以上は勃って欲しい。
5分以下などは論外なのだ。
つまり男が勃たなければいけないのは
5分!
それによって評価が分かれる。
5分勃たなければ、
チャンピオンにはなれない。
絶対に!
そしてそれを体現した男がいた。
政界のチャンピオンと言えば、
総理大臣!
そしてそのほとんどの総理大臣は
自民党総裁がなる。
別に決まっている訳ではないが、
自民党がいつも選挙に勝つので
自然にそうなっている。
ところが自民党総裁でありながら
初めて総理大臣に成れなかった男
それがこの男!
元自民党総裁 河野洋平だ!

彼は自民党総裁の地位にありながら、
総理大臣に成れなかった。
※のちには谷垣禎一もいる。
それは彼が…河野洋平が…
たった5分間の我慢が、
できなかったからだ。
彼が自民党総裁だったのは
1993年7月~1995年9月
その間の政界は混沌としていた。
93年7月の総選挙では
大量の離党者を出した自民党が敗北し、
細川政権ができる。
これにより自民党は38年ぶりに野党となる。
※正確には自民党になってからは野党になっていなかった。
しかし翌年6月、自民党は
日本社会党と新党さきがけと連立を組み、
政権に復帰する。
その自社さ政権で総理大臣に成ったのは
日本社会党の村山富市氏!
つまり自民党は政権復帰するために、
総理大臣を他党に手放したのだ。
そして村山政権が成立して1年ほどたった
1995年に舞台は移る。
この時の自社さ各党の代表とは
・自民党総裁 河野洋平
・日本社会党委員長 村山富市
・新党さきがけ代表 武村正義
この3党では自民党が最大勢力だった。
更に1995年の参議院選挙で自社さは敗北。
ただし過半数は維持できる見込みだった。
そのため村山総理は
その後の進退を決めかねていた。
自社さ政権の最初の審判である
1995年7月の参議院選挙当時とは
以上のような政治状況だった。
そして本題に入る。
1995年10月6日の新聞に以下の記事が載った。
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禅譲の筋書き狂い
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禅譲?
これはどういうことか?
参議院選挙の投開票日である7月23日の夕方
後藤田正晴元副総理の自宅電話が鳴った。
かけたのは村山総理!
村山総理は後藤田氏にこう言った。
「この際、第一党の自民党から総理を出すべき」
「ひいては河野氏に禅譲したい」
村山氏は河野総裁とそれなりにウマが合った。
それ故にこのような発言となった。
なぜ後藤田氏に電話をしたのかというと
後藤田氏は河野総裁の後見人だったから。
実は河野総裁誕生には
後藤田氏からの推薦があった。
自民党が下野する際、
党内は離党者が相次ぎバラバラだった。
そのため総裁には
”ベテランがいい”ということになった。
そこで皆に押されたのが後藤田氏だった。
しかし後藤田氏は健康状態に不安があり、
総裁の激務に耐えられないと自認していた。
そこで後藤田氏が推薦したのが河野氏だった。
それ以降、河野氏の後見人を務めていた。
後藤田氏は村山総理との電話を切ると
すぐに河野氏に連絡をした。
そして…
「禅譲は必ず受けろ」
と言った。
後藤田氏も河野氏が
総理大臣に成ることを望んでいた。
河野氏にはもう一人の後見人がいた。
それが元首相の宮澤喜一氏だった。
河野氏は元々中曾根派に入っていた。
理由は中曽根派が父親の派閥の後継だったから。
その後、自民党を離党して
新自由クラブを立ち上げた(1976年)が、
1986年には自民党に出戻った。
その際、タカ派体質の中曽根派ではなく、
ハト派の宮澤派に入った。
それ以来、宮澤氏も河野氏を目にかけていた。
宮澤政権では官房長官にもなっている。
その宮澤氏が河野氏を
フォローするために送り込んだのが、
小里貞利氏だった。
小里氏は官僚出身が多い宏池会の中でも
党人派で通っていた。
鹿児島県議を6選して、県議会議長も務めた。
二世議員の河野氏とは違い、
バリバリの叩き上げだった。
その小里氏を連絡役兼指南役として
宮澤氏は送り込んだのだ。
その小里氏は河野氏にこう入れ知恵をする。
この日は参議院議員の投開票日だ。
それ故にこの後、夜遅く3党会談がある。
選挙を受けて、今後の体制を相談するのだ。
その際、村山氏は河野氏への禅譲を申し出る。
※先の後藤田氏への連絡はそのこと。
そこで河野氏は次の筋書きに沿って行動する。
1.村山氏からの禅譲の申し入れに、
「党に帰って相談する」と言い席を立つ。
2.武村代表(新党さきがけ)が何を言っても無視する。
3.外に出れば、メディアが「村山退陣」と書く。
そうすればその流れで、党内も反対できない。
小里氏の戦略は村山退陣の流れを作るため
とにかく河野氏を一歩でも外に出ること。
マスコミは選挙当日でもあり、
ネタに飢えている。
一斉に速報を打たれれば、流れは決まる。
そう河野氏に因果を含めたのだ。
そして河野氏にこう念押しした。
「たった5分で勝負は決まる」
「とにかく1メートルでも外に出ること」
それに対して河野氏は
「わかりました」と神妙にうなずいた。
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小里 立ちなさい
小里 とにかく立ちなさい
小里 そして1メートルでも外に出る。
小里 そうすると流れができる。
小里 それで勝負は決まる。
小里 今日は参議院選挙の投開票日
小里 この後、3党会談がある。
小里 自民党と社会党、新党さきがけ
小里 その代表者が集まって相談する。
小里 今後の各党の連携とかを。
小里 その際に村山氏から禅譲の話が出る。
小里 その旨を後藤田氏に言われたようだ。
小里 後藤田氏もあなたに言ったように、
小里 この話は受けるべき!
小里 しかしヘタを打ってはいけない。
小里 この千歳一隅のチャンスに
小里 フイにするわけにはいかない。
小里 つまり段取りを付けないと
小里 それが先に言った。
小里 立ち上がること
小里 そして一歩でも外に出ること
小里 そうすれば流れは決まる。
小里 なぜ?
小里 マスコミ連中はネタを探している。
小里 そこにあなたが出ていく
小里 そして党に帰って相談するという
小里 そうするとどうなる?
小里 村山退陣、後継河野
小里 各社一斉にそうやって速報を打つ
小里 これで流れはできる。
小里 そうすれば自民党内の反対派も
小里 反対できない!
小里 そして受ける!
小里 決して難しいことではない。
小里 むしろ簡単だ!
小里 立ち上がって出ていく
小里 それだけでいいんだ。
小里 一つの懸念は武村だけど
小里 あいつが何を言っても
小里 無視すればイイ!
小里 いいか?
小里 勝負は最初の5分
小里 禅譲の話を受けたらその5分
小里 立ち上がって出ていく。
小里 それで決まる。
小里 立つんだ
小里 立って出るんだ!
小里 勃ち上がれ!
河野 わかりました!
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と…いうことのようだ。
そう…たった5分で勝負が決まる。
5分間我慢すれば、
河野総理の誕生だったのだ。
◎勃たなかった河野洋平!
しかしお分かりにように
河野総理は生まれなかった。
それは彼が5分間を我慢できなかったから。
つまり河野氏は勃たなかったのだ。
ことの経緯はこうだ。
3党会談の際、
村山氏は後藤田氏への連絡の通り、
河野氏への禅譲の話をした。
その際に河野氏は
小里氏の戦略と違う行動をとった。
武村代表に意見を聞いたのだ。
小里氏の進言は
「武村氏の意見は無視する」
というものだったが、
河野氏は聞いてしまった。
そこで聞かれた武村氏は
「ここで賛成とは言えない」
「自民党の首相なら3党連立は白紙に戻す」
と述べた。
これに河野氏は激高!
武村氏と激しいやり取りとなった。
とにかく立ち上がって、
外に出ることを優先した小里作戦。
そのために立ち上がることが必要だったが、
それと正反対に腰を落ち着けて
武村氏と激論してしまった。
さらに誤算もあった。
それは五十嵐広三官房長官だった。
官房長官として同席していた五十嵐氏は
村山退陣に反対だった。
それ故、その流れを作らないように腐心した。
それは話がまとまるまでは
外に出さない!というもの。
小里氏の戦略と真逆だ!
まあ逆に言えば、
外に出れば「村山退陣」
外に出なければ「村山続投」ということ。
目の付け所は同じだった。
だから五十嵐長官は
絶対に河野氏を外に出したくなかった。
しかし当の本人が武村代表の発言に腹を立て
腰を落ち着けて激論をしていた。
つまり勃ち上がらないことで
河野総理の目はなくなった。
たった5分で勝負は決まると思いきや、
その5分も我慢できなかった。
これではチャンピオン(総理)にはなれないな!
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洋平 村山さん
洋平 お話はよく分かりました
洋平 私に禅譲したい
洋平 そう言うことですね
洋平 確かに自民党は今でも第一党
洋平 憲政の常道からいっても
洋平 自民党から総理を出すのが普通
洋平 そう言うことですね。
洋平 わかりました。
洋平 ところでこの話…
洋平 武村さんはどう思いますか?
小里 えっ?
小里 ちょ…ちょっと待て!
小里 何を聞いている?
小里 武村の話は聞く必要はない
小里 無視しろ!
小里 そう因果を含めたよな?
小里 何で武村の意見を聞いているんだ?
小里 連立仲間ではあるが、
小里 所詮20人くらいの政党
小里 自社だけでも十分政権を維持できる。
小里 それなら無視するに限る
小里 それより一歩でも外に出る
小里 そのために立ち上がる
小里 そう言っただろ?
小里 なんで立たない
小里 何で座っている?
小里 それどころか反対されて
小里 むしろ激論しているジャン
小里 むしろ腰を落ち着けてるじゃん
小里 早く立て
小里 立ち上がれ
小里 勃て洋平!
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もちろん小里氏は3党会談の現場にはいない。
それ故に上記にような話はなかったが、
きっとそう思ったことだろう。
総理大臣には並大抵の努力では成れないが、
たった5分頑張れば成れた人物。
それが1995年7月23日の
河野洋平だった!
しかしそのチャンスをフイにした。
それもただ立ち上がって外に出れば
決着がついたものを、
自ら武村代表の意見を聞くことで
そして腰を落ち着けて議論することで
総理の目を無くしてしまった。
まあ…こんな奴が総理にならなくて
よかったかもしれん。
因みにこの半年後、
1996年1月5日
村山総理は突然退陣を表明する。
そして後任になったのは
橋本龍太郎だった!
河野洋平はその前に
自民党総裁選挙に出馬できず、
引きずり降ろされていたのだ。
そして河野総理の目は
完全に無くなった。
しかし…
たった5分を頑張れなかったとは…
そして勃たなかったとは…
男としてどうなのか?