ご先祖様に顔向けできない話! | 最近の古いモノは!

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「最近の若い者は…」とよく言われますが、
そう言う「古い者」はそんなに立派だったのでしょうか?このブログでは過去の新聞記事等をベースに、「古い者」の昔を検証してみます。
「最近の…」と言われたら、「あなたの時代はもっと悪かった」と言ってやりましょう。




1980年代の事件



ご先祖様のおかげ!

お盆はどうなされますか?

お盆の時期は
日本全国で休みになる。


子どもたちはもちろん夏休みだが、
大人たちも休みになる。


盆と正月とはメデタイ日だ!


それ故の日本全国で休みとなる。



特にお盆にはご先祖様が参られる。


もちろん本当に来るわけではないが、
昔からの風習でそのようなお祝いをする。


実際は7月に祝うのだが、
仕事の関係もあり、8月に行うことが多い。


まあ本当は旧暦の7月なのだが、
今では7月か8月。多くは8月に行う。



そしてその期間には
ご先祖様があの世から舞い戻り、
子孫と一時期を過ごす。



それが日本の伝統だ!
中国などでも似た風習がある。




このようにご先祖様を大事にする。

それが日本人だ!



なぜご先祖様を大事にするか?


それは少し考えればわかるはず。





我々は全て父親と母親から生まれている。

当たり前の話だ!


どちらかが欠ければ、
あなたは生まれていなかった!


父親と母親がその後どうなったかはさておき、
何らかの交流があって我々は産まれた!

一つの例外もなく!



そして父親と母親も
父親と母親から産まれた!

これもまた当然の話だ!



つまり我々が産まれたのは
6(祖父母4人+父母2人)の協力が必要だった。



そして11代前から換算すると
4094の協力が必要となる。



このうち1人でも欠けたら
あなたは産まれていない!

この世に存在していない!



そう思えば今、生がある我々は

ご先祖様に感謝しなければならない。



名があろうと無かろうと関係ない。


全てのご先祖様に感謝しなければならない。








ところが…このご先祖様の意向を
踏みにじった人物がいた!



それもただの人ではない。


日本の歴史上、
ラストサムライとでもいうべき

ある面、日本人を代表する者が…


先祖の意向を無視していたのだ!



そしてそれは単に一つの家の問題ではなく、

日本の歴史そのものに関わる重大事だった。








毎週日曜日に放送されている大河ドラマ。

毎年、興味深いドラマが放映されている。


現在放送されているのは
どうする家康

その名の通り、徳川家康を中心とする物語だ。


少し前の放送では
三方ヶ原の戦いが描かれた。

三方ヶ原の戦いは
武田信玄と徳川家康の間で戦われ、
徳川家康が惨敗した!


そして家康は多くの家臣を失った。

その中には成瀬正義がいた。

「どうする家康」の主要キャストには名が無いが、

家康の家臣として、
織田信長上洛にも援軍の将として参戦。
六角氏攻めでは武功を上げた。



そして同じく三方ヶ原の戦いに参戦し、
家康とともに這う這うの体で逃れたのが、

成瀬正義の弟だった成瀬正一だった。


兄弟で生死は分かれたが、
お互いに大敗した戦で主君に奉じたのだ。


その後、兄の正義が継いでいた成瀬家は
弟の成瀬正一が当主となる。


その息子である成瀬正成
徳川御三家の一つ尾張徳川家の家老となった。

そして犬山城の初代城主にもなった!







この犬山城は木曽川の畔にあり、
現在の住所は愛知県犬山市

この天守は江戸時代のまま残っており、
現存12天守に選ばれている。



その素晴らしい犬山城だが、今から20年ほど前
2004年まで個人犬山城を所有していた。

因みに1980年時点で、
個人所有の城は犬山城だけ。

そして所有していたのは成瀬家という。

つまり当時の当主 第12代の成瀬正俊氏は

ラストサムライと言ってもよい方だった!



そのラストサムライともあろう人が、
ご先祖様の意向を踏みにじった。


なぜ成瀬氏は
ご先祖様の意向を踏みにじったのか?





ところで話は変わるが、
歴史の教科書には
昔の絵が載っていることがある。

絵巻物などと言われる。


特に合戦の様子を描いたものを
「合戦絵巻」「合戦図」という。


有名なものでは蒙古襲来これ


教科書にも載っている
誰でも見たことがある有名なものだ。


このような絵は単なる美術品ではなく、
当時の状況を知る手掛かりとなる。



それも写本などではなく、
原本を手に入れることができれば、
より克明に当時に様子がわかる。


その原本だが、
成瀬家所有の犬山城の蔵から発見された。


発見されたのは
長篠合戦図」と「小牧・長久手合戦図

両者とも有名な「長篠の戦い」と
小牧・長久手の戦い」を描いている。


これも教科書などでも載っている著名なものだ!
だから見たことがある人も多いだろう。



そんなものが個人宅(城だけど)の蔵から出た。

これは当時、大いに騒がれた。







19807月21日の新聞夕刊に
以下の記事が載った。

--------------
幻の”合戦屏風”発見
--------------



内容は上記の通り。

犬山城にある蔵から
国宝級であるこのお宝が出たのだ。




ところでこのお宝は
どうして発見されたのかというと、

出版社がお願いしたからだ。



どういうことかというと、
出版社の中央公論社(現中央公論新社)
「合戦屏風絵」の本を出版するにあたり、
成瀬家にお願いした。


しかし成瀬正俊氏は調べもしないで、
「うちには存在しない」
と述べ、まともに探そうとしなかった。


それでも繰り返しお願いする中央公論社に
成瀬氏は根負けして探してみた。


そこで世紀の大発見となった!



因みに「成瀬家にあるのでは?」というのは
その筋では有名な話だ!



どういうことかというと、

過去の文献に残っているからだ。


徳川家光の時代の公記に
「長篠合戦図」と「小牧・長久手合戦図」が
成瀬家に所有されている旨書いてある。


これを根拠に中央公論社は
成瀬正俊氏にお願いしていたのだ。


成瀬氏もこの記述は知っていたが、
紛失したものと思っていた。


しかし実際には350年に渡って
犬山城の蔵に眠っていたのだ。



うーむ!



出版社が偉いのか?
城主が怠け者なのか?


まあ働き者の城主って
あんまりイメージが無いからなぁ!
 

 

 


----------------------
怠け者  だからさ!
 

怠け者  知らない…って
 

怠け者  そんな合戦図
 

怠け者  まあ見たことはあるよ。
 

怠け者  長篠と小牧長久手
 

怠け者  確か教科書にも載っている。
 

怠け者  そして家光の時代の公記にも
 

怠け者  載っているらしいね。
 

怠け者  でも…ね。
 

怠け者  それは350も前で
 

怠け者  今は1980年だよ。
 

怠け者  残っている訳ないでしょ。
 

怠け者  もし残っていたとしても
 

怠け者  ボロボロになっているはず。
 

怠け者  事実、昔の刀剣なども残っているが
 

怠け者  ボロボロだもん
 

怠け者  それに確かに私の城だが、
 

怠け者  普段は東京の渋谷区に住んでいるし、
 

怠け者  犬山城にはたまに帰るくらい
 

怠け者  だから探そうにも探せない
 

怠け者  それどころか面倒くさい!
 

怠け者  だからもし探したければ
 

怠け者  そっちが来て探してくれ
 

出版社  わかりました!


    当 日


出版社  じゃあ蔵のカギを開けてください。
 

怠け者  わかったわかった。
 

怠け者  でも…同じこと言うけど
 

怠け者  無いからね!
 

怠け者  じゃあ…どうぞ!
 

出版社  ありました!
 

怠け者  ・・・・・・・・・・・・・!
----------------------

 

 




これは実際の話だが、
蔵の入り口付近にあったようだ。


そして探してからすぐに見つかったとのこと。



怠けてんじゃねーよ!







先祖の意向を無視!

ところで当時の城主である
12代目の成瀬正俊氏は
合戦屏風図があることを知らなかった。

本人もそう言っている。




しかし…そんなことが許されるのか?

これはご先祖様に
顔向けできないことではないか?


なぜならこの合戦屏風図は
子孫に残すために作ったものだから。


先の家光時代の公記にもその旨記してある。

---------
之を子孫に伝ふ
---------

と、このように書いている。

(これ)」とは合戦屏風図のこと。



子孫に伝ふ?


でも伝わっていないじゃないか?


どうした


なぜ伝わっていない?



ご先祖様の意向を

何と心得る?
 

 

 


----------------------
正成  えっ
 

正成  伝わっていない?
 

正成  あの家宝が?
 

正成  長篠と小牧・長久手の合戦屏風図
 

正成  それが伝わってないだと?
 

正成  どういうことだ?
 

正成  あっと…言い遅れたが、
 

正成  俺は初代犬山城城主の
 

正成  成瀬正成(ドヤッ)
 

正成  話を戻すが、伝わっていない?
 

正成  どうしてだ?
 

正成  あれは大事なものだ!
 

正成  大体「長篠の合戦」は
 

正成  私の父の成瀬正一が活躍した戦
 

正成  そして「小牧・長久手の合戦」は
 

正成  私の初陣だった
 

正成  その記念に作ったもので、
 

正成  いわば成瀬家の出世の物語
 

正成  それを屏風図にしたものだ。
 

正成  それを伝えてないとは
 

正成  ご先祖をにするのか?
 

正成  大体、俺たちがいなければ
 

正成  子孫は存在しない
 

正成  それなら先祖を敬うのは当たり前
 

正成  それなのに先祖の意向を無視するとは
 

正成  畜生の所業だ!
 

正成  大体、こっちはチャンと伝えたぞ。
 

正成  だから正虎(2代目)は知っている。

正成  誰だ?伝えなかったのは。
 

正成  12代目が知らなかったということは、
 

正成  その前の奴が犯人だ!
 

正成  誰だ?
 

正成  正親(3代目)か?
 

正成  正幸(4代目)か?
 

正成  正泰(5代目)か?
 

正成  正典(6代目)か?
 

正成  正壽(7代目)か?
 

正成  正住(8代目)か?
 

正成  正肥(9代目)か?
 

正成  正雄(10代目)か?
 

正成  正勝(11代目)か?
 

正成  誰だ?犯人は?
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まあ犯人は分からないが、
11代、350年も伝われば…

こういうこともある。


でも…本当にご先祖様を崇めていたのなら、

伝え忘れる訳ないぞ!



子孫は自分勝手な奴ばかりだな!






ところで先にも触れたがこの合戦図は、

「長篠」も「小牧・長久手」も
成瀬氏の祖先が関わっている


長篠は初代の父親である成瀬正一が関わり、
小牧長久手は初代の成瀬正成が参加。
しかも初陣で兜首をあげたという。

両方とも勝ち戦だった!


しかし成瀬正一が参加して惨敗した
三方ヶ原の戦いの合戦図は作っていない。


ヲイヲイご先祖様…


もしかして勝ち戦を…
自慢するために作ったのか?


そして子々孫々自慢話を引き続ぐために

合戦屏風図を伝えたのか?



そういう意味では分かりやすい。



子孫に

自慢したかったんだ(笑)



ご先祖様も人の子だった。

 

 


これじゃー

子孫に顔向けできないな!