1950年代の事件
◎国会議員にとって一番大事!
国会議員!
偉い人だ。
日本国民に正当な選挙で選ばれた国民の代表者!
それが国会議員!
この日本国民が何日も寝ないで
真剣に考えて、そして選んだ人。
それが国会議員!
つまりこの日本国民の中でも
知識見識があり、
清廉潔白であり、
勇猛果敢な人。
それが国会議員だ!
????????
嘘つけ!
というクレームは禁止だ。
つまりそれほどまでに優秀かつ正しい人だ。
その国会議員の先生が一番恐れている事
それは国民の支持を失うこと…
つまり選挙だ!
猿は木から落ちても猿だが、
国会議員は選挙に落ちればただの人!
そういう言葉があるように
国会議員の先生は選挙を恐れる。
選挙と聞くと…
憂鬱になる先生も多い!
そしてそれほどまでに
選挙を重視している。
他の全てのことより…
選挙を重視している!
それが国会議員だ!
ところがそうじゃない人もいる。
多くの人が選挙を重要視しているが、
ある議員はそれとは別のことを重視していた。
その議員とは
山村新治郎議員だ!
因みに山村新治郎議員と言えば、
よど号ハイジャック事件の時、
身代わりの人質になったことで有名だ。
しかしその山村新治郎ではなく、
その父親だ!
よど号ハイジャック事件とは
日本の過激派である赤軍派が、
北朝鮮へ亡命しようと思って起こした
日本で最初のハイジャック事件だ。
彼等は日本社会の中で限界を感じ、
海外拠点を作ろうとして北朝鮮に目を付け、
亡命するために起こしたハイジャック事件だ。
その際に人質を解放する代わりに、
自らが身代わりになったのが山村議員だ。
当時、時の人となり
「男・山村新治郎」と言われた。
「もしかして俺のことか?」
全然違う!
ただ偶然名前が一緒だっただけだ。
そして今回取り上げるのは
よど号の身代わりになった新治郎ではなく、
彼の父親の山村新治郎だ。
彼の地元では有名な名士であり、
10代目山村新治郎と言われ、
11代目が「男・山村新治郎」だった。
話は戻るが、その父親の山村新治郎だが、
彼は選挙より何を重視していたのだろう?
それは…競馬だ!
1958年3月25日の新聞に以下の記事が載った。
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投票日がダービーでは困る
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記事によるとこういうことだ。
1955年10月に左右の社会党が合併し、
日本社会党となった。
その1ヶ月後に自由党と民主党が合併し、
自由民主党となった。
前回の選挙は1955年2月。
つまり2大政党になって
まだ総選挙は行われていなかった。
当時は1958年。前回総選挙から3年たち、
そろそろ選挙日程が立て込んでくる。
そして当時言われていたのが4月末の解散だった。
そして4月末の解散の場合、
投票日は5月18日か25日が想定されていた。
当時の総理大臣は岸信介
岸は野党だけではなく、
反主流派の他派閥を警戒して、
投票日を周辺には明かさなかった。
そこで山村議員が立ち上がった。
彼は投票日を確認するために
わざわざ首相官邸に赴いた。
そして岸首相に
「投票日は5月18日ですね?」と尋ねた。
しかし岸は笑って答えなかった。
ところでどうして山村は
5月18日が良かったのかと言うと、
5月25日がダービーの開催日だった。
根っからの競馬好きだった山村議員は
どうしてもダービーに行きたい。
それ故にその日が投票日なら困るのだ。
ダービーは東京競馬場(府中)で行われる。
山村議員の選挙区は千葉なので
ダービーを見に行けない。
それで彼は絶対に
5月25日は避けてもらいたかった。
山村議員にとって
選挙より競馬の方が重要だった!
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山村 総理
山村 お伺いしたいことが
山村 実は他でもない
山村 解散総選挙のことです。
山村 もちろんわかっています
山村 解散は総理の専権事項
山村 私がとやかく言うことではありません。
山村 しかも既に前回の総選挙から3年
山村 前回が1955年2月
山村 今は1958年3月ですから
山村 1年以内には総選挙をやらねばならない。
山村 それならなおのこと
山村 そろそろ考えないと。
山村 来年になったら、
山村 もう後がない。
山村 追い込まれ解散になります。
山村 ほら麻生政権の時、
山村 ギリギリまで解散できなくて、
山村 結局、敗北して
山村 自民党は下野したんです。
山村 あれの二の舞は避けたいですよね?
山村 まあ二の舞と言っても
山村 今から51年後ですが。
山村 いずれにせよ
山村 解散のイニシアティブは
山村 総理が持っていたいでしょ。
山村 だから解散することはイイんです。
山村 問題は時期です。
山村 漏れ伝え聞くところによると、
山村 4月末ごろ解散だとか?
山村 それなら投票日は5月ですね。
山村 5月18日か25日
山村 両方とも日曜日ですが、
山村 それも当然でしょう。
山村 でもね。
山村 ここでお願なんですが…、
山村 投票日を…
山村 5月18日にしてくれませんか?
山村 25日だけはどうしてもマズいんです。
山村 いやっ、自民党としてではなく…
山村 個人的に困るんです。
山村 理由…です…か?
山村 ちょっと言いにくいんですが…
山村 その日は…
山村 ダービーの開催日だからです。
総理 …………………!
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と言うことのようだ。
しかしダービーだからと言って
選挙日程を動かそうというのは
コイツはよっぽど競馬好きなんだな(笑)!
◎国のため!
しかし山村議員に言わせるとそうではない。
これは国の為なんだ!
きっとそう言うだろう。
それはどういうことか?
競馬の収入は国家財政にとって重要だからだ。
馬券を100円購入すると、
75円は払い戻しに充てられるが、
10円は国庫に納入される。
つまり競馬の収入が増えると、
国家財政が潤うのだ。
特に当時は終戦から13年。
まだまだ国家財政は足りなかった。
そのような中で重要なダービー当日に、
選挙などやっている場合だろうか?
選挙はいつでもできるが、
ダービーは5月25日と決まっている。
そしてダービー当日は馬券が大量に売れる。
なら国家財政のためにも
ひいては国民のためにも
選挙より競馬を優先するべきではないか?
山村新治郎はそう考えたのではないか?
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山村 総理。
山村 ちょっと考えてください。
山村 現在の日本の財政状況を
山村 終戦から13年
山村 もはや戦後ではないと言いますが、
山村 それでも財源は全く足りない。
山村 戦中に壊されたインフラは復旧したが、
山村 新しく作るインフラも必要です。
山村 例えば学校!
山村 施設が全然足りません。
山村 最近は生徒数も多くなっていますし、
山村 だから校舎が足りないんです。
山村 えっ?日本は少子化?
山村 それは60年以上後の話。
山村 少なくとも1970年ごろから
山村 日本の少子化は進みます。
山村 だからあと12年後ですね。
山村 それまで生徒の数は増える一方
山村 だから財源はいくらあっても足りない。
山村 だからこそ
山村 だからこそ競馬なんです。
山村 競馬の収益金は国庫に納められます。
山村 例えば馬券を買うと
山村 その10%が国庫に納められます。
山村 そしてその1/4が社会福祉に
山村 活用されるんです。
山村 こんないいことないじゃないですか?
山村 つまり…ダービーの日に選挙を行うことは
山村 その分、歳入が減ることを意味します。
山村 それは国民負担となるでしょう。
山村 だから…
山村 5月25日はやめましょう。
山村 決して選挙が嫌だと
山村 言っているのではないのです。
山村 競馬ファンのため
山村 国民のため
山村 そして未来の子供たちのためにも
山村 何より私のためにも
山村 選挙は5月18日にすべきです。
山村 ぜひ総理…
山村 ご英断を!
総理 ………………………!
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ここまで言っていないが、
山村議員は本当にこんなことを言っている。
しかし必死だな!
そこまで競馬に行きたいのか?
因みに国家財政のためと言いながら、
当時の国庫納付金は約16億5千万円
そして歳入は約1兆4500億円。
歳入の約0.1%強か!
たいしたことねーな!
確かに大きな金だが、国全体からすると
それほど大きくない。
それにそこまで競馬好きな連中なら、
選挙があっても競馬に行くだろう!
だから気にすることは無い。
ところで投票日は結局いつになったのかと言うと、
5月22日だった!
何と平日の木曜日!
お陰でダービーと被らなかった。
このことにどれだけ
山村議員が貢献したのかは不明だが、
山村議員は大満足だろう!
ところで競馬では馬券を販売するが、
馬券とは通称であり、正式名称は…
勝馬投票券!
つまり競馬に行くとは投票すること。
なんだ。じゃあ一緒じゃないか(笑)!