2018年9月15日

ルクセンブルク 世界遺産 センター・グルント

 

台風21号は関西地方に大被害、続いて北海道地震でも死傷者が出る大惨事でしたので、被災者の皆様のご苦労を痛みます。 お疲れが出ませぬ様に案じます。

 

今年の夏は、ルクセンブルクに、アメリカと日本の友人達がお越しになり、関西空港閉鎖のために成田空港経由の振替便で どうにか帰国できましたが、帰国便がはっきり決まるまでの時間の長かったことなど大変でしたが、ルクセンブルグを満喫されました。今日は、ルクセンブルグ市をご案内した写真をお届け致します。

 

 

ルクセンブルグ市は、黄色のグートランド地方の真ん中にあり、政治の中心です。

 

 

 

アルゼット川とペトリウス川が旧市街の谷部のグルントを流れています

 

 

 

 

 

旧市街の世界遺産となった眺め

 

 

 

 

 

ルクセンブルグの建国は、963年 ルクセンブルグ北部・アンデンヌ地方の伯爵ジーフロイトがアルゼット川とペトリウス川の交った岩壁に”小さな城塞”を築いた時から始まり、その城塞を、“リュシリンブルフクLucilinburhuc” と呼び、これが後で “ルクセンブルグ Luxembourg”の語源になりました。  

 

 

 

 

 

 

この城塞から町が開け、写真左の 丘部分をセンター(貴族や宗教者など上級社会の居住地)

右の 谷部分をグルント(パンや鍛冶屋などの商業地域)と呼び、この二つの旧市街が世界遺産に指定されています。

 

 

 

 

 

1083年にアンデンヌ伯からルクセンンブルグ伯爵になり、中世ではルクセンブルグ家から神聖ローマ帝国王に4人が輩出されました。その後スペイン、フランス(ルイ14世)、オーストリア(ハプスブルク家)の支配を受け、1815年ウイーン会議で大公国に昇格され、オランダ王ギューム1世の領土となり、1890年にドイツ系のナッサウ家に大公の座が譲られ、家名をルクセンブルグ家に改められ現在に至っておりますが、世界第二次大戦にはドイツ軍ナチに占領されました

 

現在も大公国と残っているのは、現大公の御祖母様のシャフロット王妃が、戦時中、逃れていたイギリス、アメリカから、

国民に“私達は自由でおりましょう”と言うメッッセージを送り続けて、国民を励まして居たことも一因でした

 

シャフロット王妃像

 

 

 

建国記念日には、大公と皇太子が、国民の中をパレードします。

 

 

 

 

 

旧市街には、その時代に作られた残物が、今も残っています。

 

ボックの城塞(現在のボック・カズマット)が見えます。

 

 

 

 

 

 

城塞の中

 

 

 

ボックに残されたフランス軍の大砲、

 

 

 

 

昔、架け橋になっていた所を、今は橋になり歩いています。

そこから14世紀にできた サンミッシェル教会が見えます。

 

 

 

教会のステンドクラスには、ルクセンブルグの歴史が刻まれていました。

 

 

 

 

ノートルダム大聖堂

 

 

 

 

 

 

 

ギャーム広場に立っているギャーム2世像 

 

 

 

アダム広場は、軍隊が集まっていた広場で、今はレストランで大賑わいです。

 

 

 

 

ルクセンブルグ大公宮殿、隣に議会が併設されています。

 

 

 

 

大公宮殿のベランダーはスペイン時代のもの。

 

 

 

今も、岩の上に小さなスペイン塔(見張り台)が数か所に残っています。

 

 

 

アドルフ橋

 

 

 

 

憲法広場の金の女神像は、世界第1、第2大戦で戦った戦没者の慰霊碑です。

 

 

 

 

そして、世界第2次大戦を終結させた大きな原動力の裏には、ルクセンブルグ北部の森の中で

ドイツ兵と戦ったアメリカ兵の沢山の戦士の死がありました。

その慰霊塔が、ルクセンブルグ市にありますので、アメリカの友人と参拝してきました。

 

連合軍がイギリス方面から分かれて、西欧に散らばり、戦ったルート

 

 

 

 

 

 

 

 

多くの戦争で散った兵士たちの犠牲を讃え、記念碑を建立する。 ほ

アメリカ    と彫られていました。

 

世界第2次戦争の裏には、アメリカの兵士だけではなく、ドイツ兵として徴収されたルクセンブルグの兵士達の

多くの犠牲があったことも、忘れられません。 必死に母国ルクセンブルグにもどってからも、数年間は

鬱状態になった善良な兵士が沢山いた話を聞いております。

 

戦争は、国家の利権争いです。 地球が温暖化に変動している時代 各国は、心を一つにし、世界的規模でエネルギー問題などを考えて、平和な世界になるように、各国政府は考えてほしいと思います。

                      

                              合掌  松村温江