長女と向き合い••、長女のバック、デイサービス見学、バースデー、GERMOGLIO | ☆mashおもてなし☆

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追記
2024年3月3日長女29歳、医療事故で他界。長女が運営してた「さくらのブログ」を更新していきます。ご覧ください。
https://ameblo.jp/mitsusikibu/entry-12845860904.html

こんばんは。



最近、仕事中の次女君ちに1日のどこかで寄ってる。お昼ご飯やスタバを勝手に買い渡すためだったりw 実家帰りの23時ごろに寄ったり。新宿でも落ち合い、連日一緒に食べてる。



毎週末や祝日前には次女君コッチに泊まるので、それでなくても多忙な次女君、パソコンなど重い荷物を持って毎日あっちにこっちに忙しないったらありゃしない。



といっても、近くにいてくれるから出来ることで、次女君と一緒にいられる時間は幸せでありがたい。



でもね、


光来(長女)がいない 光来の声がない、チャリに乗ったらわたしから必ずかける光来への電話、いつも必ずかけてくるはずの光来からの電話、なんでないの「なんで光来がいないのよー」お店のなかで大きな独り言がでてしまった。




少し前のお花アレンジ💐




テーブルクロスも向日葵に🌻




前回の投稿、読んでいただけましたか?




「長女と向き合い・・」




「大切な人と向き合う」ことは「その人になる」ということ。




想像力に乏しく科学思考でイカれた脳になると「相手の正面に座り話し合った」ことを「十分、向き合っていた」と言いそうですが・・。




石井裕之さんの(沢雉会で)心のことを、長女が学生で次女君が幼い頃から学んできたので、そのことを頭では分かっていましたが、トライアンドエラーの繰り返しだった。

  



長女が反発したとき、長女の身になろうとしても、感情が邪魔をしたり、そのうち宗教じみた話しに発展し、説教していたり・・。そのあと、よくチャリに乗りながらこれじゃ、それでなくても不自由な長女に逃げ場がないじゃないかと悔いて気を病んでた。




「その人になる」は簡単なことではない。自分では全くそんなこと思っていなくても無意識に、自分の方が上で「その人のレベルにおりて言っている」とジャッジしジャッジしてることにも気づけなかったり。「こんなにも時間と労力をかけているのに」という意識が少しでもみえ隠れしたらそれは相手に伝わりうまくいかない。




長女の話しに戻すと、



うまくいかないままでも、親子なので、翌日には、長女もわたしも普通に話し元通りで。日常は一緒に出歩いて食べて仲良く過ごす日の方が大半でした。でも、問題勃発したら長女が抱えている生きづらさや苦しさが現れて、それは長い年月、現実維持でした。




大家族がひとつ屋根の下に住んで、サザエさんのような生活なら健全に子どもも育ちそうに思えるけど。大概は、山あり谷あり、親も忙しく完璧には接しられず、心の問題に気づくのは子どもが大きくなってから。




子どもに影響をいちばん与えるのは親の在り方だと思う。特に、母親の存在は、子どもにとって絶対的なものなので、母親が幸せそうでなかったら子どもは父親をよく思うわけがなく。また、まわりにいる大人たちの(先生など•・)影響は大きいので、理不尽やジャッジをみて育つと人や社会を信頼できなくなるでしょう。




心に植え付けられきた思考の要因は、コンスティテューションの問題(気質、体質、環境、条件など)が複雑に絡み合いけっしてひとつではないけれど、、



わたしがまわりに耐えてきた姿を長女がみてきたことも、育つ過程の長女を苦しませていたと推察できる。

だから、まだ光来のことは、これからだったのに。まだ成長していけたのに、ママがみつ(長女)を苦しみから解放させたのに・・・




「バックの中に」


長女が、長年使って汚れたミニーちゃんのレスポのショルダーバックを開けたら、ぐちゃぐちゃにレシートとか入ってて。見ながらジワーっときた。



光来(長女)がいたと思いました。


使ってたときはもっとパンパンに入ってたよ。



以前は、パンパンにいれこんで重くなってる長女のバックに対し、要らないものを少しでも捨てて軽くしてほしいとしかみていなかった。



長時間、麻痺した足に重いのを載せてたら負担がくるのと、ショルダーなので肩も凝るから減らして欲しかった。でも、親のわたしが言うと、反発からか頑なに減らさなかった。




いま見るとこの長女の証が愛おしくてたまらない。子どもを先に亡くした母ならみんなこのように変化した自分を感じてると思う。




長女が生前のとき、長女の物に対し、こんなふうに向き合っていたら、、、



きっと長女はすんなりバックの中身を減らしていたと確信。なぜなら、長女とわたしの心がひとつだから。



長女が感じることはわたしが感じること、長女の恐怖はわたしの恐怖、長女となって喜び、長女となって苦しみ、長女となって怒る。それが「その人になる)ということ。知っててもここまでのことがないと出来ないものなのか。




物は捨てない限りいつまでもそばにいてくれる。けっして捨てられない。とはいえ、亡き人が自分の中に同化し、一緒にいる感覚が常に絶対となったとき、物があろうがなかろうが関係ない境地に自然になれる気もするから、捨てられる人はきっとそうなんだと思う。



わたしはいま長女の死を受け入れらず、長女をさがしてる。少し前まで一緒にいて話してた声、お風呂にいれたり浣腸や洗腸したり、服を着せたりベットにのって導尿したり、みつーと呼ぶとリビングに来る姿、そのひとつひとつを感じ触感も消えてない。




ずっと続いてしまうので、今日はこの辺でオシマイに。




読んでくれてありがとねん。




ちゃんちゃん。



「デイサービス見学」


うちに来た時の母、しっかり字もかけて素晴らしい


父が他界した翌週から2箇所のデイサービスに週4通ってる。そのデイサービス2箇所を見学したときの写真。

食事は母だけペースト食。


写真はめちゃ良い笑顔だよ。当たり前だけどカメラ向けられれば誰でも笑顔だから。そんなもんを信じてはいけない。デイサービスは、集団だからやることない座ってるだけの待たされてるような時間が1時間2時間と長すぎて、わたしと母の感覚は違えど、母の隣にわたしがいても、ちょっと辛抱に感じた。スタッフの方々は良い人たちだけど、2人でまわすにはやること満載で、対応する時間とれないのは仕方ないんだろうけど。


3時で辛抱できずデイを出た←お昼も食べてないし。実家で母を待ち姉が仕事から帰る22時半過ぎまではわたしは実家にいる。


別日、もう1ヶ所のデイサービス見学、一軒家で少人数、どこもなんもしない時間が長すぎ。デイサービスはどこもそうなのね。


⭐️目白の志むら


お赤飯の六角弁当、美味しかった


本日のかき氷、白あん、オレンジ、柚子


⭐️目白のバーデリーモ

チョコレートのお店でショコラショー、みんなパフェ食べてた、ケーキもいただき焼き菓子お土産に。


⭐️目白のあえん

少し前まで午後4時か3時に閉まってたので閉店するんじゃないかと思ってたけど、夜の時間帯まで復活してた。


メニューと睨めっこしてて、結局はまたこの花籠セットに。いろいろ種類の野菜やおかずが食べられて単品よりお得に感じる。






⭐️市ヶ谷のハーヴス

外苑前のハーブスなくなって悲しい。


 


 ⭐️今年の光来もいたときの写真だよ。3人で代々木のカラ館

 

今年の2月2日 長女と次女君ふたりとも歌いまくって3時間いた。このとき既にシャント不全気味だったってことでしょ。3月のオペ後のCTで10月より脳室拡大してたって聞いたんだから。


 



 

 

 次女君は中高ダンス部だったから、昔を思い出し踊るのよ。

 

 

 ⭐️長女と原宿


みつ(長女)と次女君のバースデーケーキ買いに歩いて原宿まで行ったとき。映えココア頼むBBA、長女はストロベリーはいってて飲まないからリンゴジュースに。

 

買ったケーキはこのふたつ🎂 おめでとう次女君 いつもありがとう😊



⭐️長女と原宿オーバカナル


原宿に長女といくといつもここ、オーバカナルで食べた。ケーキ買ったあと寄った。ついこないだのことなのに・・


 

ヒマちゃんで長居した。ミルフィーユはサクサクが好きなんだけど、ここのサク感ないミルフィーユだったことを忘れて頼んじゃったんだよね。このあと、みつの膝の上にケーキをもってもらいゆっくり歩いて帰ったね!


⭐️代々木のカラ館、今年の2月9日。いつもこの広い29ばんのお部屋にしてもらってた。だから、行くと店員さんに覚えられてたよ。

 


2月27日入院の前日26日は、胸の患部に管が浮き出てきてたことや入院前の恐怖もあり元気とはいえなかったけど、、



シャント不全の症状は光来から聞いてない。いつも何でも話してくるし長女が言ってこなかったってことはもし、症状があっても気にするレベルじゃなかったと推察。



それよりも、昨年のオペ後から退院しても胸部の炎症からくる症状はずっとあり聞いてた。




2月9日のこの日のカラオケでは元気に何曲も歌っていた。




今回のオペ後に「術後のCTで脳室は拡大されてた」と主治医が言ってたんだけど、それは、胸部にいれてた時期、オペ前がシャント不全だったことを意味する。



何が言いたいのかというと、、



オペに問題があり、オペ後もシャント不全だったのだから、オペ前からだと、長い期間、シャント不全でいたことになる。




術後、頭、胸、お腹数カ所あけた体の傷の痛みや負担、吐き気の他に、




シャント不全による症状が進行したかと思うと、長女はどんなにか苦しく辛かっただろう。



当直医に伝えても、看護師に伝えても、「術後の痛みと吐き気」と言われ、痛み止めや吐き気止めが追加されただけ。



症状が消えていくどころか悪化していくことに、長女はどんなにか心細く恐怖を感じていただろう。



想像に耐えがたくてママも苦しいよ。




 

 車椅子のベルトの裏側マジックテープが汚くて、ずーっと以前から気になってたので、やっと新しくジェーンチャーチルの布でつくったベルトが出来上がったのがこのとき。長女ほとんど使わないで終わった😭 ババがきたとき使ってるから良かったけど。




⭐️GERMOGLIO(ジェルモーリオ)


表参道のフライングタイガーの向かいにある地下レストラン。次女くんのバースデーランチに。



お店をケーキプレートをみて次女君が決めたのだけど、食材にもこだわってるようで安心安全な自然食でした。美味しかったのでおすすめです。










オーガニックワイン






バースデーケーキプレート


次女君






⭐️池袋のジェラードピケ


1、2月はほんと父のことがあり実家との行き来でわたしは忙しなかった。


長女のオペ数日前は、次女君のことも心配し、広尾のクリニックやフェニックスに連れて行ってたし。


実家のヘルパーがチケットがないとわたしに連絡してきてたから、オペ日も病院から戻り、夜は実家にいき、実家いるときも長女から電話があった。


深夜の最後の長女との電話の前までは、姉とそのチケットのことでやり取りを続けてた。


もし、実家のことがなかったら、あのとき、病院に押しかけただろうか、当直医との電話で粘ってシャントが心配だからみてほしいとい訴えてた。



何言ってもわかってもらえず、「こちらで看護師もわたしがみてますから安心してください。」と言われ電話を切ったのが4時半あたり。



シャント不全かどうか診てもらえてなかったのに、心配で寝られたわけじゃないのに、電話を切って布団にもぐったわたし。その1時間後に病院から電話があった。


まさか、こんな展開になるなんて。




1月の保育でよく早稲田の方に行ってたので、都度前後でリーガロイヤルホテルに立ち寄った。


別日、トイレでしか撮ってない😂


新宿御苑、いま何かと出入りしてるけど、こちらまだ桜の先始めの頃🌸






ニューマン前



写真がたくさんあり追いつかないけどオシマイに。

週末は、子どもを亡くした方々に長女のこと話したり、二分脊椎の総会と茶話会に行ったよ。



では、また!