またまた間が空いてしまいました
ウィーン旅行記、粘っこく連載しておりますが(笑)、
ちゃんと完結させないと、次へ進めないタイプなもので(笑)、
しつこくやっている次第でごじゃりまする
しかも、ウィーンと言えば、ハプスブルク家。
ということで、ハプスブルク家の歴史を調べないことには書けん!
とか言ってたら、そんなおいらを見かねて、相方から、
「歴史はいいから、ちゃちゃっと感想書いて、早いとこ終わらせなよ」
と言われてしまったなり
おいら「いや、ハプスブルク家の、、、」
相方「・・・・・・(苦笑)」
おいら「ハプス、、、」
相方「・・・・・・(そのまま立ち去る)」
いいもんね
おいらはあくまでマイペースにUPするもんね
とは言え、もう2年経つので(笑)、いい加減完結させたいところなり。
相方が言うとおり、ちゃちゃっと感想書いて終わりにしちゃおうかな
とか言いながら、かなり長くなってしまったので(笑)、
お時間があるときにでもご一読いただければ幸いでごじゃりまする。
それでは、前回 のつづき~。
●7日目 : 2012年9月27日(木)
の続きでごじゃりまする
ハプスブルク家御用達の老舗洋菓子店「デメル」で、
カフェとケーキをいただいたみつ坊一行
お次は、おいらがウィーンで行きたいところBEST3のうちの1つへ
高校生のとき、歴史の教科書に載ってて、
すごく印象に残ったところなのでありまする
この日はあったかいかと思いきや、意外と寒く、
薄着だったおいらは、一旦ホテルへ戻って、
厚着をしてから再出発
最寄駅、Uバーン(地下鉄)「Karlsplatz(カールスプラッツ)」駅へ。
自動券売機
この日は地下鉄、トラムに結構乗る予定だったので、
24時間フリーパス(6.70ユーロ)を購入。
フリーパスだと、
地下鉄、トラム、バス、Sバーン(国鉄)(ウィーン市内のみ)
に乗り放題。
そして、U4号線に乗車。
Uバーン路線図
車内
機能的でキレイな車内。
ちなみに、↑の少女2人は、焼きそばみたいなファーストフードとマックを食べておりまする(笑)。
そして、下車する際は、↓の丸いボタンを押して、ドアを開けまする。
ドアは自動的に開くと思って、そのまま待ってても、ドアは開かないので、
日本の感覚でいると危険でごじゃる(笑)。
6つ目の「Schonbrunn(シェーンブルン)」駅で下車。
ホーム
床のタイルの模様がオシャレ
駅の改札を出ると、横断歩道。
わー!
この信号機、日本のとそっくり!
こちらの看板どおり進みまする。
して、おいらがウィーンで行きたいところとは!
でごじゃりまする!
じゃーん!
記念撮影をしている2人の若人(わこうど)の間でぱちり

うむ。
いい写真なり(笑)。
ここは撮影スポットなりね。
クリーム色の外壁が特徴的な宮殿
なんでも、この色は「テレジア・イエロー」というそうな。
というのも、外壁を金色にする案もあったが、
時の女帝、マリア=テレジアが経済事情にかんがみ、黄色にしたとか。
高校の歴史の授業では、
フランスのヴェルサイユ宮殿などと比べると、
非常に質素な宮殿、と教わったけど、
なかなかどうして、美しいし絵になりまする
ここは、オーストリアを治めていたハプスブルク家の夏の離宮で、
シェーンブルンとは、「美しい泉」という意味。
そのお城が、隣国オスマン帝国(トルコ)との戦いにおいて、破壊されたため、
レオポルト1世の時代に新しいお城の建設工事が始まった。
で、新しいお城を設計したのが、こちら で「聖処女の結婚の泉」、「ペスト記念柱」をつくった、
フィッシャー・フォン・エルラッハなのでありまする~。
オーストリア・バロック最大の建築家と言われるだけありまするね~。
そして、女帝マリア=テレジアの時代においてめでたく完成~。
2階のバルコニーにたたずむお世話係(笑)。
バルコニーからの眺め
ひろーい!!
なんでも、お庭の広さは東京ドーム32個分とのこと
バルコニーの手すりでぱちり
みつ坊、シェーンブルン宮殿の手すりを制覇(笑)。
なんて(笑)。
さてさて、中に入って、入場券を買いましょうかね。
入場券は何種類かあるんだけど、
みつ坊一行は、シェーンブルン宮殿の全室を見られるツアー(ガイドなし、自由行動)を選択。
1人13.50ユーロ。
ただし!
宮殿内は撮影禁止のため、写真は1枚もごじゃりませぬ。
その代わり、しっかり目に焼き付けておきました~
先述のマリア=テレジアゆかりのお部屋や、
ハプスブルク家の実質最後の皇帝、フランツ・ヨーゼフのお部屋、
そして、フランツ・ヨーゼフの皇后、エリザベートのお部屋もあって、
面白かったなり
なんでも、皇帝フランツ・ヨーゼフは、毎朝5時(いや4時だったかな?)に起床し、
朝6時(だったと思う)から仕事開始。
まさに朝から晩まで仕事をする仕事人間だったそうな。
そして、質素を旨とすることから、
着るものはいつも同じで軍服しか着なかったとか。
そんな真面目でお堅い皇帝は国民から愛され、
18歳で即位し、86歳で亡くなるまでの68年もの間、国を治めていたのでありました~。
そして、皇帝フランツ・ヨーゼフはお見合い相手の妹であるエリザベートに一目ぼれをして、求婚。
(エリザベートの肖像画)
そして、2人は結婚するのでありますが、
エリザベートは夫の母と仲が良くなく(いわゆる嫁姑問題)、
また宮殿での窮屈な暮らしに嫌気がさし、
ウィーンにいることはほとんどなく、あちこち旅をして回ったとか。
特にハンガリーがお気に入りで、ハンガリーにいることが多かったらしい。
ということもあって、特にハンガリー国民から熱烈に支持されたとか。
あと、部屋には運動器具を置き、
毎日7時間も運動するなど、
ダイエットにいそしんでいたそうな
もともとの美貌に加え、自らそれを維持する努力をされていたのでごじゃりまするね~。
しかも、その努力っぷりが半端じゃないなり
オーストリアでは、「シシィ」という愛称で呼ばれており、
あちこちでエリザベートの肖像画を目にするので、
今でもオーストリア国民に愛されてるんだなぁ~と実感いたしまする。
(ウィーンでGETした無料の地図に載ってた「シシィ」)
それでは、お庭散策へ
キレイにお手入れされてる~
道沿いの木も直角に整えられてる
すさまじい直角ぶり(笑)。
真ん中の通りの突き当りには「ネプチューンの泉」
そこを越えると、小高い丘が出現。
せっせと登りまする。
芝生は立ち入り禁止。
砂の道をぐんぐん登ると、建物が見えてきた。
おぉ~。
これまたクリーム色の建物がごじゃりまする。
この建物はグロリエッテと言って、戦没者慰霊のための建物みたい。
さらに手前の坂を上って、、、
ようやく到着~

グロリエッテには展望台があって、
入場料は1人2.5ユーロ。
展望台に上ると、、、
わー!
いい眺め~
シェーンブルン宮殿をUP
緑にクリーム色が映えまする
グロリエッテにはカフェがあるんだけど、
ちょうど営業時間外だったので、
念の為持参したビールとお菓子で一休み
こちらのスーパー
で購入した「Manner(マンナー)」のウェハース
マンナーは1890年創業のウェハースをはじめとするチョコ菓子メーカー。
ガイドブックにおススメと載っていたので、購入して早速食べてみたところ、
激うまっ
ウェハースがチョコでコーティングされてて、
チョコとウェハースはパリッパリのサクサク
ヘーゼルナッツの香りが後を引きまする。
全体的に軽い感じながら、しっかり満足感があって、
ビックリするくらい美味しいー
これは日本にはないお菓子だわぁ~。
そして、缶ビール「Stiegl」(0.99ユーロ)
ガツンとくる~。
苦味のあるビールが好きな人にはぴったり
しばし、グロリエッテの展望台から景色を眺めながら、のんびり。
それから、オーストリアの女帝、マリア=テレジアの小咄をすこし(いや、結構長いかも)。
なので、読み飛ばしちゃってくださいまし
マリア=テレジアは、はとこのフランツ・シュテファンに生まれて初めて恋をし、
そのフランツ・シュテファンと当時にしては珍しい恋愛結婚をいたしました~。
現代においても初恋の人と結婚するなんて、ほとんど聞いたことがないんだから、
1700年代にこれを実現させることがどれだけスゴイのかがわかりまする。
そして、16人もの子宝に恵まれ、
その中には、フランスのルイ16世の王妃となったマリー・アントワネットもおりました~。
そして、マリア=テレジアは夫のフランツが亡くなった後、
自分が死ぬまでの15年間、黒い喪服しか着なかったそうな。
生まれてから死ぬまでフランツのみを愛し、
その愛を貫いたのでごじゃりまするね~。
スゴイことなり。
それから、マリア=テレジアの特筆すべきことは、恋愛のみならず、
教育にも力を注いだことでごじゃりまする。
当時、教育は身分の高い人しか受けられなかったが、
マリア=テレジアは、身分や性別に関係なく、6歳~12歳までの全国民が
教育を受けられるようにしたのでごじゃりまする~。
しかも、ハプスブルク家が治める領土にはさまざまな民族がいたため、
それぞれの言語で教科書を作らせたそうな。
身分や階級にうるさい時代に、身分さらには性別に関係なく教育が受けられたなんて、
マリア=テレジアがいかにスゴイ人だったかがわかりまする~。
それから、最後の余談。
ハプスブルク家は、本来であれば、男子が家督を継ぐことになっておりましたが、
兄が亡くなり、男子がいなくなったため、
女子であるマリア=テレジアがハプスブルク家の家督を継ぐことになりました~。
すると、隣国プロイセンのフリードリヒ大王が異議を唱えて、ハプスブルク領シュレジエンを占領。
その後、長きにわたって、マリア=テレジアとフリードリヒ大王はシュレジエンをめぐって、
戦争をすることになりまする。
そのため、マリア=テレジアはフリードリヒ大王が大っ嫌いで、心底憎んでいたとか。
「顔も見たくない!」
という感じだったらしい。(そりゃそうだ)
ところが、フリードリヒ大王の方は全く別の思惑があったのでごじゃりました~。
なんでも、マリア=テレジアはフランツとの結婚前に、
フリードリヒ大王との結婚話が持ち上がっており、
そこで、フリードリヒ大王はマリア=テレジアをこっそり見に行ったとか。
で、どうやらフリードリヒ大王はマリア=テレジアに一目ぼれしたらしいが、
結局この結婚話は頓挫し、
マリア=テレジアはフランツと結婚。
とまぁ、フリードリヒ大王の想いは実ることなく、残念な結果となり、
その未練からなのか、マリア=テレジアに厳しく対応したのかもしれませぬね~。
好きな子にいじわるをするだなんて、まるで小学生男子のようなり(笑)。
そんなこととは露知らないマリア=テレジアは、フリードリヒ大王を心底嫌っていたのだから、
なんだか皮肉な話でごじゃりまする(笑)。
おいらが高校生の頃、フリードリヒ大王によるシュレジエン占領を
一生懸命覚えたんだけど、
その裏にあった恋愛模様を知っていれば、
より面白く学べたなぁ~、と当時を懐かしんだ次第でごじゃりまする(笑)。
ま、いつの時代でも、男性の心理は変わらぬものなりね。
こうして見ると、フリードリヒ大王はかわいいお人なり。
うむ。
気付けば、長々と書いてしまったなり
ここまで読んでくださった方、お疲れ様でごじゃりました。
ありがとうごじゃりました。
さてさて、夕ご飯を食べに参りましょうか。
ということで、次なる目的地へ。
つづく