世界のキリスト教人口は32%程度、日本のキリスト教人口はというと、1%以下だと言われています。

しかしこの数値が示している「クリスチャン」とは、何らかのキリスト教信仰を持っている人を指し、聖書の定義とは異なります。

 

キリスト教は今日、最大の宗教と考えられていますが、世界の約70%、つまり明らかに人類の大半はキリストを公言しておらず、キリスト教に関わる何らかの信仰は持っていないという事になります。

 

このような現状を考えてみると、大多数の人々は救いから切り離されているように見えます。そして現在、墓の中にいる大多数の人達は、救われずに永遠に失われるのでしょうか?

 

しかしキリスト教の教えによれば、

神は、すべての人が救われて真理を悟るに至ることを望んでおられ(1テモテ2:4,2ペテロ3:9)、わたしたちが救われる名はただ一つ、イエス・キリストの名だけ(使徒4:12)です。

そして人間は神に似せて創られたのであり、永遠の命を得る機会を平等に持つべきである事を聖書は表現しています。(使徒10:34-35)

 

現状とこれらの聖句を比較してみて、どう感じますか?

もしかすると、これは聖書の矛盾であると考える人もいるかもしれません。

 

しかしそれは違います。

 

実は多くの方は死後の世界に関して2つの可能性しかないと誤解しているのです。

1つは救われる事。もう1つは永遠に燃え続ける地獄の火の中で罰せられるということです。このような思い込みは、次のような信念と結びついています。

 

「これは、神が人類を救おうとしている唯一無二の時である」

「教会の使命は、今世界を救うことである」

「神が人々を神の真理に召されるのは、まもなく手遅れになる」

 

これらの仮定や信念は本当に聖書で教えられているのでしょうか?

 

もう少し詳しく整理して考えていきましょう。

聖書は神ご自身の霊感によるものであって(2テモテ3:16-17)、私たちが救われる名はただ一つ、イエス・キリストの名だけであることを明確にしています。

使徒ペテロはイエス様について、「この人による以外に救はない。わたしたちを救いうる名は、これを別にしては、天下のだれにも与えられていないからである」(使徒4:12)と宣言しています。

 

しかし、時代を超えて、この地上の大多数の人々は何らかのキリスト教信仰すら持つことがないというのが現実です。そして今、この地上で生きているほとんどの人は、罪からの救い、永遠の命に関する神の計画、そして福音とは何かについて知らないのです。これらの事を正しく学び、深い信仰を持って受け入れる人はごく僅かです。

死後の世界に関して、「救われる」か、「地獄で罰せられる」かの2つの可能性しかないのであれば、ごく一握りの人達以外、大多数の人々は救われずに「地獄で罰せられる」という事になります。

 

しかし、誰かが滅びる事は神のご意思ではありません(2ペテロ3:9)。

 

では、神はご自分の目的を達成出来なかったのでしょうか?

もちろん、そうではありません。

 

神が今、全人類を救おうとすれば、それが神の目的なのであれば、そうする事が出来る筈です。

では、真理とは何なのでしょうか。

それは、神は今、全人類を救おうとしているのではないのです!

 

神は、人類が義と不義、原因と結果について永遠に続く教訓を学ぶために、私たちに時間を与えられたのです。

神の目的は、人類が「神の口から出る一つ一つのことばによって」生きる事による必然的な結果を忘れないように経験する事なのです。(マタイ4:4)

神は、私たちが自分自身の理解や善悪の判断に頼らない事を学び生きていく事を望んでおられます。

 

「人が見て自ら正しいとする道でも、その終わりはついに死に至る道となるものがある」(箴言14:12)。

人には正しいと思われる道が無数にあるものです。もし私たちが間違った選択をするなら、つまり神の道ではなく、自分の道を進むのなら、私たちは救いを失う危険性があります。

 

約6000年前のアダムの罪以来、人間は「この世の神」(2コリント4:4)と呼ばれるサタンの影響下で、自分の道を歩む事が許されてきました。人々は自分たちの宗教を作り、自分たちの教育、社会、政治システムを作ってきました。今のこの世界は、人類が神の道ではなく、自分たちの道を選んで作り上げてきた世界です。

神の道以外は、あらゆる病気、不幸、悲しみ、挫折、苦しみ、そして最終的には死に至るという事を学ぶべきなのです。

 

さて聖書は、神は今、全世界、全人類を救うために手を下してはいないという事を教えています。

 

私たちは、サタンが全地とその住民を支配している時代に生きていて、神はサタンがこの悪の時代を支配する事を許されたのです。(2コリント4:4,ガラテヤ1:4,1ヨハネ5:19,黙示録12:9)

 

そしてサタンが支配するこの時代には、神の真理を完全に理解することがほとんど与えられておりません。

考えてみて下さい。なぜ、イエス様はたとえ話をされたのでしょうか?

多くの人は、キリストの教えを明確にするためだと言います。しかしそれは、イエス様自身が言われた事ではありません。

 

実は多くの人が理解できないように、その真意を隠すためにイエス様はたとえ話で話をされたのです。

イエス様の意図は、聞く人全てが、その時もたらされたメッセージを理解するわけではない、というものでした。

「そこでイエスは言われた、「あなたがたには神の国の奥義が授けられているが、ほかの者たちには、すべてが譬で語られる。 それは『彼らは見るには見るが、認めず、聞くには聞くが、悟らず、悔い改めてゆるされることがない』ためである」。 」(マルコ4:11-12)

 

注目すべきは、イエス様の話を直接聞いた人たちでさえ、イエス様の言葉の完全な意味を理解していなかったという事です。

 

ほとんどの人は、サタンの時代の今、召される事はないのです。しかしそれは、神が今、全人類を救おうとしていないだけだからです。もし神が今、全人類を救おうとしているなら、神はサタンに負けているという事になってしまいます。

 

神は公正な方ですから、今まで生きてきた全ての「未救済者」に、神の偉大な目的を理解する機会を与え、本当に悔い改めて、改心して、永遠の命を受けるチャンスを与えて下さるのですが、そこには勝負はありません。

主導権を握っているのは神だけであり、「神vsサタン」という構図ではないからです。

 

「神vsサタン」というような言葉やイメージ画像をネット上ではよく目にしますが、そのような構図をイメージしてしまうと、神とサタンとの力の差がほぼ互角であるかのように錯覚してしまいます。しかし、それは全くの間違いです。

 

サタンは神が許された事しか出来ませんし、神は特定の目的のためにサタンに許可を与えているのです。

全能の神は、ご自身の計画の通りに物事を進めておられます。

 

神の人類の救いの計画では、全ての人が今、召されているわけではありません。彼らはまだ、救われてもおらず、失われてもいないのです。

 

神はご自身のご計画、目的を達成するために、彼らを肉体の生活に連れ戻します。

《「復活に関して①」と「復活に関して②」をご覧ください。》

 

ですから、今日神に召されているのは、ごく少数の「小さな群れ」(ルカ12:32)ですが、大多数の人々は後で神と、神の計画の真理を理解する機会を得られるのです。

 

イエス様は、「わたしは、その人々を終りの日によみがえらせるであろう」(ヨハネ6:44)と言われました。しかしイエス様は、その他の全ての人が召されることなく断罪されるという事を言ったのではありません。

 

人類の救済には、時間的順序があります。パウロが「各自はそれぞれの順序で」(1コリント15:23)復活すると書いた意味を考えた事はないでしょうか?

神の計画では、生まれてくる全ての人に救いのチャンスが与えられることになっていますが、そのタイミングは正確であり、全員同じタイミングでという事ではありません。

 

今、この世から召された人々(小さな群れ)は、特定の目的と特定の働きの為に召されたのです。

 

そして実は、主の祭(レビ記23章)には、今日にも実行されている人類に対する神の救いの計画の全体像が描かれています。主の祭については、今後の記事で詳しく記載していきます。

 

サタンが「この世の神」であるのは一時的なものです。

そして私たちは、サタンに与えられた時間の終わりに近づいています。サタンの仕事は、人間を欺く事、つまり神の真理を「人の戒め」(マタイ15:9)と置き換え、誠実な人々に偽物を受け入れさせ、人々を惑わせて罪に導く事です。サタンは今までどれほど成功してきたことでしょう。(黙示録12:9)

 

しかしやがてキリストはサタンを退け、全地の全権を掌握されます。サタンは完全に影響力を失います。サタンは鎖につながれ、拘束され、象徴的な「底知れぬ所」に投げ込まれます(黙示録20:1-3)。

 

イエス様は、支配する為だけではなく、私たちの大祭司として、全世界を救うために地上に戻ってこられるのです。

 

多くの人は、亡くなった愛する人が永遠に失われたと感じて悲しんでいます。しかし、本当はその愛する人はまだ神の救いを受け入れるチャンスがあるのです。

その人たちは復活して、霊的な盲目が取り除かれるのです。そして、永遠の命への道を理解できるようになってから、その救いを受け入れるかどうか選択するのです。