福音とは何なのでしょうか。

福音とは、ギリシャ語のeuangelionという言葉が基となっており、「グッドニュース=良い知らせ」という意味です。

 

私が過去に見てきた福音に関する多くのブログや動画では、この福音とは『福音の三要素』を受け入れるだけで救われ、天国へ行ける。一方で、救いを受けたごく一握りの者だけが天国へ行き、それ以外のほとんどの人々は滅ぼされ、罪人として死んでいった大多数の人々は地獄で永遠に苦しまなければならないといった内容のものでした。

 

しかしこのような内容のものが本当の福音(良い知らせ)なのでしょうか。

少なくとも私は、これを良い知らせだとは到底思えません。

誰かが滅びる事は神のご意思ではありませんし(2ペテロ3:9)、愛の神(1ヨハネ4:8)が、救いを受けるチャンスが無かったという理由だけで永遠の罰に委ねるという話をどうやったら信じられるというのでしょうか。

 

しかしだからといって、自分の意志によってイエス・キリストを受け入れず、自分の道を生きてきた全ての人々が神によって「救われた」と見なされる筈だと言っているわけではありません。実際、そのような記述は聖書には見当たりません。

 

またその他の疑問点として、救いを受けた者が天国に行き、永遠に何をして過ごすというのでしょうか?

 

聖書は本当に何と言っているのか、イエス様が宣べ伝えられた真の福音とは何なのか。何度かに分けて確認していきますが、まず最初に私たちが理解しなくてはならない事があります。

 

ガラテヤ1:6-7に注目して下さい。

「あなたがたがこんなにも早く、あなたがたをキリストの恵みの内へお招きになったかたから離れて、違った福音に落ちていくことが、わたしには不思議でならない。それは福音というべきものではなく、ただ、ある種の人々があなたがたをかき乱し、キリストの福音を曲げようとしているだけのことである。 」

パウロは悪人たちがキリストの福音を曲げようとしている事を認めていました。

 

さらにユダも、キリストが教えた事を変えようとする者がいる事を知り、1世紀の人々や現代の我々に、これらの誤った教えを拒否するように警告しています。

「愛する者たちよ。わたしたちが共にあずかっている救について、あなたがたに書きおくりたいと心から願っていたので、聖徒たちによって、ひとたび伝えられた信仰のために戦うことを勧めるように、手紙をおくる必要を感じるに至った。そのわけは、不信仰な人々がしのび込んできて、わたしたちの神の恵みを放縦な生活に変え、唯一の君であり、わたしたちの主であるイエス・キリストを否定しているからである。彼らは、このようなさばきを受けることに、昔から予告されているのである。」(ユダ1:3-4)

 

それではここから、イエスキリストが宣べ伝えられた真の福音について記載していきます。但し、福音については、一つの記事だけで全てを書ききれるようなものではありませんので、その点をご理解の上、ぜひお読みください。

 

 

イエス様が地上で働きをはじめられた時、「御国(神)の福音」を伝えられました。(マタイ4:23;マルコ1:14)

 

イエス様は福音、つまり良い知らせを宣べ伝えていました。

この福音は、「イエス・キリストの福音」(マルコ1:1)、「神のめぐみの福音」(使徒20:24)、「神の福音」(ローマ1:1)、「栄光の福音」(2コリント4:4)、「救の福音」(エペソ1:13)、「平和の福音」(エペソ6:15)と呼ばれていますが、真の福音は一つしかありません。これらの記述はそれぞれ、同じメッセージの異なる側面に焦点を当てています。

 

私たちが救いを受ける唯一の存在(使徒4:12)として、私たちは「悔い改めて福音を信じなさい」というイエス様の指示に従わなければなりません。(マルコ1:15)

だからこそ、真の福音を正しく理解する事が非常に重要です。

真の福音とは、私たちに心の平和と救いを与えてくれる、まさに栄光の知らせなのです。

 

それでは次に御国に焦点を当てていきます。

聖書には「御国」という言葉がいくつも出てきますが、実は「kingdom of heaven(KJV)」(天の国/新共同訳)という言葉を使ったのはマタイだけです。

マタイ以外のマルコ・ルカ・ヨハネは、これを「kingdom of God(KJV)」(神の国)と呼んでいます。(マルコ1:14-15,ルカ4:43,使徒1:3,ヨハネ3:3,5)

 

又、パウロは「キリストと神との国」(エペソ5:5)と呼び、ペテロは「救主イエスキリストの永遠の国」(2ペテロ1:11)と言っています。

 

そして黙示録12:10(KJV)では、「the kingdom of our God」(私たちの神の国)という言葉が使われている。

 

これらの聖句を見ると、圧倒的に「神の国」という名称が優勢なのが分かりますが、もちろんこれらは全て同じ王国、つまり父なる神とイエスキリストに属する王国を指しています。

だから「神の国」なのです。

では、マタイの言っている「kingdom of heaven」(天の国)とはどのように解釈すればよいのでしょうか?

 

これはつまり「天の」とは、天を支配する神聖な存在に属するという意味です。

 

それでは、私たちは神の国に入る為、天国に行かなければならないのでしょうか?

いいえ。そうではありません。

神の国について説明されているダニエル書を確認しましょう。

 

「それらの王たちの世に、天の神は一つの国を立てられます。これはいつまでも滅びることがなく、その主権は他の民にわたされず、かえってこれらのもろもろの国を打ち破って滅ぼすでしょう。そしてこの国は立って永遠に至るのです。」(ダニエル2:44)

 

そしてダニエルは、聖徒が神の王国を所有し、永遠に存続すると後述しています。

 

「しかしついには、いと高き者の聖徒が国を受け、永遠にその国を保って、世々かぎりなく続く」(ダニエル7:18)

「ついに日の老いたる者がきて、いと高き者の聖徒のために審判をおこなった。そしてその時がきて、この聖徒たちは国を受けた。」(ダニエル7:22)

「国と主権と全天下の国々の権威とは、いと高き者の聖徒たる民に与えられる。彼らの国は永遠の国であって、諸国の者はみな彼らに仕え、かつ従う』。(ダニエル7:27)

 

ダニエルの記述を見ると、神の国は地上に築かれることが分かります。

 

又、黙示録11:15には、

「第七の御使が、ラッパを吹き鳴らした。すると、大きな声々が天に起って言った、「この世の国は、われらの主とそのキリストとの国となった。主は世々限りなく支配なさるであろう」。

と、書かれています。

そしてイエス様は弟子たちに、神の国が確立したときには「十二の位に座して、イスラエルの十二の部族を裁く」と言われました。(マタイ19:28,ルカ22:30)

 

私たちは天国に行き、永遠に退屈に過ごすわけではありません。

今、神の国のルールに従って生きることで、御国が来ることに備えるのです。

イエス様は弟子たちに、神の国が来るように祈り、それを人生の第一優先事項とするように教えられました。(マタイ6:10,33)

 

神の国は現在、天にありますが、イエス様が戻られる時、それは地上に確立され、神の支配は地上にも広がります。

 

今回の記事はここまでですが、もちろんこれで終わりではありません。今後さらに詳しく記載していきます。

 

又、救いの報酬が天国へ行く事であると思ってしまう聖書箇所の一つとして、イエス様が一緒に十字架にかかった罪人に対して「よく言っておくが、あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう」(ルカ23:43)と言われた箇所があります。それらの箇所に関する記事も今後記載していきます。