相手の機嫌が悪いから暗い声になる

機嫌が悪い人にふざけた態度を取れるほど肝が据わってるわけじゃない

気軽に雑談が出来るような立場にない

 

そもそも自分のことが嫌いなのだろうと諦めている

 

 

自分の機嫌を優先し暗い声で対応することに腹が立つ

気分が良い時はうるさいくらいに明るく振る舞いふざけるような奴なのに

こちらが気を使って接するのは納得がいかない

 

そもそも仕事をする上で周りを不愉快にさせることが多すぎる

 

 

それぞれの言い分

どちらも改善するべき部分が溢れて大洪水になる直前で

どちらも少しだけ見方や態度を改められれば大爆発は逃れられる気がする

 

しかし両人が自分の欠点に気付き

相手を尊重し

話し合い

分かり合うことは

 

恐らくとんでもない大事故から奇跡の生還をしたとしても無理だろう

 

 

前者は性格の悪いわたしでさえ身震いするほど性根が腐った奴

後者はわたしが働く会社で社長の次に身分の高い人

 

 

わたしが橋渡しをしてお互いの言い分をオブラートに包んで風呂敷にも包んで

伝えてあげればいいのかもしれないし

 

それを密かに望んでいるのではないかと思うところもなくはないが

何度か試行錯誤しても一時的な改善しか見られない

 

 

ここ数ヶ月どっちつかずのフォローをしまくった結果として

今もなお両者の腹の虫はおさまらず

自身を顧みずにただただ項垂れているし

頭を抱えているし精神的に参っているし途方に暮れているし

 

どんどん距離は離れている

 

 

仕事をする上で人間関係は大事だし社内の雰囲気も良い方がいいに決まっている

 

ただわたしは

わたしに関係ないところでどれだけ人間関係が破綻していても

わたしが属さない場所の雰囲気がどれだけ悪くても

 

まったく気にならない

 

わたし以外の界隈がものすごく仲良しでも

わたしだけが属してない場所の雰囲気がどれだけ良くても

 

まったく気にならない

 

 

史上最高に性格が悪くて性根が腐ってるのはわたしか

残念だな

 

 

 

 

 

なにをもって性格が良いと判断するのか

なにをもって性格が悪いと判断されるのか

 

いつもニコニコしている人は人当たりが良くて

一緒に居るとこちらもニコニコな気分になるかもしれない

 

誰にでも優しくて誰もが嫌がることを率先してやる人は

一緒に居るとこちらまで優しい気持ちになるかもしれない

 

性格が良いと思われるような人なのかもしれない

 

何を考えてるのかわからないとか

仮面を取ったらどんな顔をしてるのかとか

なにかを隠しているようで信用できないとか

 

こう考えるのはわたしが性格の悪い人間だからか

 

困っている人がいれば助けたいと思う

助けられる手段があるのなら真っ先に試そうと思う

 

心の中ではそう思っている

 

常に感謝の気持ちは持っているし

恩返しが出来る機会があればいつでも全力でぶつかる気でいる

 

心の中にはそんな気持ちがある

 

それでも納得のいかないことがあれば態度に出すし

悪態もつくし愚痴も言う

いつも笑顔でいられるほど表情筋を鍛えていない

 

 

性格の良し悪しなんて表面だけではわからない

 

 

そもそも性格に良しも悪しもないのではないか

 

誰かにとっての良しは誰かにとっての悪しとなり

誰かにとっての悪しが誰かを救うこともあるかもしれない

 

人は良しと悪しを持ち合わせていて

それをうまく調整しながら生きているのなら

まずは悪し同士の相性が大事なのだと思う

 

 

自分史上最強の こいつ性格まじで悪いな って奴に会ったから

久々にブログを書いてみた

どんな相手と結婚したいか

どんな相手を求めるか

 

理想は思いつくだけでも分厚い小説ぐらい書けそうだし

たらればを言い出せば図書館も建てられる

 

そんな相手がこの世に存在するわけないし

もし仮に存在したとしてもわたしには見向きもしない

 

こんな人がいいな

ではなく

 

絶対に許容できない部分がない人

これを結婚の条件にすればいいらしい

 

好きな部分は変化し劣化することもあるし

許容できる部分は生涯変わらず許容できる

様々な生き方育ち方の中で絶対に譲れないものがあって

人それぞれ違う場所に許容範囲がある

 

その範囲外にある行動や感覚はその人次第だし

限りなく無数に存在する

 

わたしはどうだろうかと考えてみる

絶対に許せないこと

 

あー国立国会図書館ぐらい建つだろうな

 

 

 

 

 

 

相手の気持ちがゼロの状態から

自分を好きになってもらおうと努力したり

 

自分の存在を少しずつ少しずつ

時には大胆にアピールしたり

 

好き好きビームを送って

明らかな好意をぶつけたり

 

いつからそれが出来なくなったのか

しようと思わなくなったのか

 

最後に恋愛をしてから約12年

誰かを好きだと感じることはなかったし

恋愛がしたいと感じることもなかった

 

息子の親として生きていくことを決め

女になることをやめたときから

好きという感情はどこかに消えた

 

それでも愛のない関係をもったこともあったり

女性ホルモン活性化のためのささやかな抵抗もしたりした

 

いざ恋愛をしようとしたとき

そこにはもちろん相手が必要になって

条件やら環境やらすべてを度外視して

ただただ心惹かれる状態が続いて

彼の言葉や態度で動かされて

隠しきれない気持ちが溢れて

表情や言動へとあらわれる

そんな人と出会えば変わるんじゃないかと

漠然と思っていた

 

恋愛休止期間がどれだけあっても

自分の心次第でいつでも始められると思っていた

 

これほどまでに難しいとは思いもしなかった

 

この歳で恥をかきたくないとか

惨めな気持ちになりたくないとか

傷付きたくないとか

辛い思いはしたくないとか

 

全部自分

 

守備ばかりが強固になって

攻撃に手がまわらなくなった

 

だからこそ望んでしまう

 

相手の目線や指先や足先がどちらに向いて

その先に何を見ているのか

 

その視線の先にわたしがいるのか

 

 

 

 

 

 

 

 

婚活アプリを久々に開いてみる

自分のことを天空のさらに上にある棚に上げて

選り好みをしてみる

 

メッセージのやり取りを始めて3日

 

なぜこんなに簡単に

なぜこれほどまでに安易に

なぜここまでまっすぐに

好意を向けてくるのだろうか

 

結婚する相手を探しています

という場所で出会ったからこそ

気持ちはアリかナシの二択になっていて

アリだと思えば素早く反応し

ナシだと思えばそれよりも素早く切り捨てる

 

簡単なプロフと文字の送受信でナシだと判断されなければ

アリだということを直球で伝え

相手次第で次の段階へと進もうとする

 

相手がナシだとわかればすぐに別の相手を探し

自分も相手もアリだと思える人に出会うまで繰り返す

 

結婚したいと思えるかどうか

ただそれだけを判断するためだけに出会ったとき

一方通行で憂う気持ちも

モヤモヤする複雑な心境も

一喜一憂する楽しさも

感じることなく進んでいくのだろうか

 

婚活アプリで出会うということはそういうことなのかな

ただ単にわたしの見る目がなさすぎることで

すべてにおいて疑心暗鬼になってるのかな

 

わたしがまだ恋愛をしていた遠い昔

自分が好きになった相手としか付き合うことはなかった

好意を向けてくれる人に対しては

あなた見る目ないねと残念に思い好きになることはなかった

 

わたしを好きになるなんて絶対どうかしてる

なにがいいの?おかしくない?

 

今でもそう思う

昔よりもさらに強く思うようになった

 

超ド直球で好意を向けられたとき

あーこの人は結論を早く出して

ダメならすぐに次にいこうと思ってるのかと

勝手に想像して冷めていく

 

この人しかいない じゃなくて

この人でもいい なら

わたしはいらない

 

この人としたい じゃなくて

この人ならいいかも なら

わたしじゃなくていい

 

あまりにも時期尚早な告白は

不信感だらけの心をさらに満たしてくる

 

まぁ結局のところ

なんだかんだグダグダだらだら書いてるけど

ただ単純に簡潔に言うと

 

婚活向いてねぇなお前ってこと。