どんな相手と結婚したいか

どんな相手を求めるか

 

理想は思いつくだけでも分厚い小説ぐらい書けそうだし

たらればを言い出せば図書館も建てられる

 

そんな相手がこの世に存在するわけないし

もし仮に存在したとしてもわたしには見向きもしない

 

こんな人がいいな

ではなく

 

絶対に許容できない部分がない人

これを結婚の条件にすればいいらしい

 

好きな部分は変化し劣化することもあるし

許容できる部分は生涯変わらず許容できる

様々な生き方育ち方の中で絶対に譲れないものがあって

人それぞれ違う場所に許容範囲がある

 

その範囲外にある行動や感覚はその人次第だし

限りなく無数に存在する

 

わたしはどうだろうかと考えてみる

絶対に許せないこと

 

あー国立国会図書館ぐらい建つだろうな

 

 

 

 

 

 

相手の気持ちがゼロの状態から

自分を好きになってもらおうと努力したり

 

自分の存在を少しずつ少しずつ

時には大胆にアピールしたり

 

好き好きビームを送って

明らかな好意をぶつけたり

 

いつからそれが出来なくなったのか

しようと思わなくなったのか

 

最後に恋愛をしてから約12年

誰かを好きだと感じることはなかったし

恋愛がしたいと感じることもなかった

 

息子の親として生きていくことを決め

女になることをやめたときから

好きという感情はどこかに消えた

 

それでも愛のない関係をもったこともあったり

女性ホルモン活性化のためのささやかな抵抗もしたりした

 

いざ恋愛をしようとしたとき

そこにはもちろん相手が必要になって

条件やら環境やらすべてを度外視して

ただただ心惹かれる状態が続いて

彼の言葉や態度で動かされて

隠しきれない気持ちが溢れて

表情や言動へとあらわれる

そんな人と出会えば変わるんじゃないかと

漠然と思っていた

 

恋愛休止期間がどれだけあっても

自分の心次第でいつでも始められると思っていた

 

これほどまでに難しいとは思いもしなかった

 

この歳で恥をかきたくないとか

惨めな気持ちになりたくないとか

傷付きたくないとか

辛い思いはしたくないとか

 

全部自分

 

守備ばかりが強固になって

攻撃に手がまわらなくなった

 

だからこそ望んでしまう

 

相手の目線や指先や足先がどちらに向いて

その先に何を見ているのか

 

その視線の先にわたしがいるのか

 

 

 

 

 

 

 

 

婚活アプリを久々に開いてみる

自分のことを天空のさらに上にある棚に上げて

選り好みをしてみる

 

メッセージのやり取りを始めて3日

 

なぜこんなに簡単に

なぜこれほどまでに安易に

なぜここまでまっすぐに

好意を向けてくるのだろうか

 

結婚する相手を探しています

という場所で出会ったからこそ

気持ちはアリかナシの二択になっていて

アリだと思えば素早く反応し

ナシだと思えばそれよりも素早く切り捨てる

 

簡単なプロフと文字の送受信でナシだと判断されなければ

アリだということを直球で伝え

相手次第で次の段階へと進もうとする

 

相手がナシだとわかればすぐに別の相手を探し

自分も相手もアリだと思える人に出会うまで繰り返す

 

結婚したいと思えるかどうか

ただそれだけを判断するためだけに出会ったとき

一方通行で憂う気持ちも

モヤモヤする複雑な心境も

一喜一憂する楽しさも

感じることなく進んでいくのだろうか

 

婚活アプリで出会うということはそういうことなのかな

ただ単にわたしの見る目がなさすぎることで

すべてにおいて疑心暗鬼になってるのかな

 

わたしがまだ恋愛をしていた遠い昔

自分が好きになった相手としか付き合うことはなかった

好意を向けてくれる人に対しては

あなた見る目ないねと残念に思い好きになることはなかった

 

わたしを好きになるなんて絶対どうかしてる

なにがいいの?おかしくない?

 

今でもそう思う

昔よりもさらに強く思うようになった

 

超ド直球で好意を向けられたとき

あーこの人は結論を早く出して

ダメならすぐに次にいこうと思ってるのかと

勝手に想像して冷めていく

 

この人しかいない じゃなくて

この人でもいい なら

わたしはいらない

 

この人としたい じゃなくて

この人ならいいかも なら

わたしじゃなくていい

 

あまりにも時期尚早な告白は

不信感だらけの心をさらに満たしてくる

 

まぁ結局のところ

なんだかんだグダグダだらだら書いてるけど

ただ単純に簡潔に言うと

 

婚活向いてねぇなお前ってこと。

婚活自体はお休みしてるし

婚活しなければ新しい出会いなど皆無なわけで

 

それでも日々幸せに過ぎて

毎日声を出して笑えていたりする

 

ふとした瞬間に

 

結婚をするために出会うのか

どうしようもなく好きで結婚するのか

条件が良くて結婚するのか

なんとなく流れに乗って辿り着くのか

 

答えの出ない疑問が頭に浮かんだりする

 

一緒に居て楽しかったり

自分と違う価値観を新鮮に受け取れたり

なんてことない会話で爆笑できたり

並んで歩くとちょうど良い感覚だったり

触れたくなったり

触れて欲しくなったり

 

それがたとえ好きの始まりだとしても

 

実家で両親と暮らす長男で

離れて暮らす子どもたちに養育費を払ってて

毎日お弁当が必要で

お休みは日曜日しかなくて

お酒とゲームが大好きで

何より自分が優先で

 

絶対うまくいかないじゃんって警告音が鳴る

 

それはむしろわたしが原因で

料理が好きじゃないとか

早起きも好きじゃないとか

日曜日はお出掛けしたいとか

ただのワガママだったりするんだけど

 

なんにも考えずにただただ好きと言えてた頃の自分は

うまくいかない原因ばかりを探して言い訳する今の自分を

どんな風に見るだろうか

 

結婚が目的なら

金銭的な条件やら家族構成やら性格やら

気にしなければいけないことは多い

 

結婚の目的を考えるのなら

金銭的な補充やら家族構築やら老後の安定やら

気にしてもわからないことは多い

 

結婚を目的としないのなら

目指す先に結婚というスタートなんだかゴールなんだか

よくわからないものを置かないとしたら

もしそれが可能なら

 

わたしがわたしの心のままに

わたしに反対せず反論せず

わたしの意見に沿って賛同して

わたしが進みたいように

わたしの速度で

わたしの思うままに

わたしと育んでいけるのに

 

それも出来ないってのは

ただ単に傷付いたり気まずくなったり

今の距離感じゃなくなるのが嫌っていう

 

単なる臆病者のワガママってことか

 

 

 

 

わたしが最&高な沖縄旅行を終え

翌日怒涛の仕事始めで疲労困憊の日

 

夜の10時着の千歳空港へ向かう車内の暗さ

物理的にも精神的にも真っ暗

 

いや息子が帰ってくるのは楽しみだし

会いたかったし

早く話を聞きたいし

お土産だって期待してるし

一人ですっごい韓国を満喫できた日が幸せすぎて

終わっちゃうのかって絶望を感じてとか

あまりに一人が楽すぎてあー早かったなーって感慨深くなって

もうちょっと先でも良かったのにとか

そんなこと微塵にも感じてなきにしもあらずだけど

 

年末年始に千歳空港に4回も来たもんだから

もはや庭も同然ぐらいかと思ったら

ちゃんと迷ってウロウロしたし

 

早朝だったり夜遅くだったりするから

お土産屋さんも閉まっててなんにも面白くない空港だったな

 

もっと劇的な再会のイメージもしてたんだが

ぬるーっと近寄ってきて

ぬるーっと立ち止まって

ぬるーっと周りを見渡して

ぬるーっと帰路についた

 

わたしが旅行に行っていなければ

帰りの車内であれこれ聞いていたんだろうけど

旅行から帰ってくる日が一番とんでもなく疲れるってことを

身をもって知ったもんだから

話してくれるまで待つ体制をとる心遣いまで出来るようになった

すげー成長した自分ぐっじょぶ

 

そして息子爆睡

 

仕方ないわな

そら疲れてるんだから寝るわな

 

家に着いて荷解きして

お土産あれこれ貰ったり渡したり

夜も遅いからとりあえず今日は寝ることにして

色んな話は明日にでもと床につく

 

翌朝起きてみればいつもと変わらない朝で

アメリカに行ってきたなんてどこぞの冗談だよってぐらいの

超絶ふつーな息子がいるし

テンション高めに色々と話すお年頃でもないもんだから

未だにアメリカに行った感想を聞いていない

 

おい息子よ

エグい金額を払って送り出したわたしのこの気持ちよ

いたってふつーのシングルマザーが大金出して

良い経験になればと思って送り出したこの気持ちよ

 

期待はしてないし

無理やり言ってもらうことでもないけどさ

 

いっちばんテンション上げて喋ることが

帰りの飛行機で観たトップガン2についてってのは

どうなんだおい