帯刀は薩摩藩のエリートで、周りには西郷隆盛・大久保利通・坂本龍馬・長州の井上馨・伊藤博文・桂小五郎など蒼々たる面々がづらり!
なかでも坂本龍馬が昵懇(じっこん)の仲だった。亀山社中(海援隊)設立を援助したり、のちの妻になるお龍を世話までしている。


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■優しさが感じれれる帯刀の写真


島津久光に認められ側近となり、大久保利通と共に藩政改革に取り組み、後に家老職に就く。
帯刀は横の繋がりを大事にした武士であった。それが功をそうして薩長同盟に繋がったのだ!
また禁門の変では戦いの後、長州藩の兵糧米を戦いの渦に巻き込まれて苦しんだ京都の人々に配っている。心根の優しい人物なのがよく分かる。


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■小松家の家系図


話しは変わるが、帯刀の正室はお近である。7歳年上で子供が出来なかった。そのためか、お琴を側室に迎え入れる。お近は出来た妻であった。帯刀の死後お琴の産んだ息子を養子にし育て、先に死んだお琴を小松家の墓に埋葬している。
まっことあっぱれだ!!心の広いお近に感服してしまった。


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■小松家の墓

小松家の菩提寺である日置市日吉町吉利の園林寺(おんりんじ)にある墓。今も帯刀の側にお近とお琴が眠っている。


世の独身男性諸君!持つならお近のような妻をめとれ!良い妻を得れば成功したも同然である!

幕末、西郷や小松と共に薩摩藩の中枢で活躍した。明治維新後、明治2年7月に参議に就任したがこのころから西郷との意見が合わなくなる。その後、西郷は鹿児島に帰るのだが... ....
また現在の霞ヶ関官僚の元を作ったのが利通だったことはあまり知られていないようである。



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■志士時代の利通


利通は公私の区別がはっきりしていた人物であった。内務省では威厳があり、靴音がしただけで職員は私語を慎み、利通の周りの人々も意見を申し仕上げることが出来なかったようである。もしかすると意見を聞かなかったのかもしれない。
おそらく孤独で相談する相手もいなかっただろう。権力者や英雄は昔から孤独である。そんな利通も家では子煩悩で家族思いの良き父親だったようで、利通が帰宅すると子供達が先を争うように玄関まで向かい出たという。



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■参議時代の利通


西南戦争前、西郷が参加していることが分かると鹿児島で会談を希望していたが叶わなかった。西郷の死を聞くと号泣し【おはんの死と共に、新しか日本がうまれる。強か日本が】また、西南戦争終了後【自分ほど西郷を知っている者はいない】と言っている。意見は違っていたが、やはり心の友であったのだろう。

上辺(うわべ)だけではなく意見や相談が率直に出来る友を作れ!どんなに優秀な人でも一人では何も出来ないのだ。

幕末の長州藩士であり、博文もまた吉田松陰の松下村塾で学んでいる。
第一次長州征伐で長州藩が幕府に対し恭順の姿勢を見せると、晋作達に従い力士隊を率いて挙兵する。
後に語った言葉「私の人生において、唯一誇れることがあるとすれば、この時、一番に高杉さんの元に駆けつけたことだろう」
晋作の元に一番に駆けつけたことが最高の喜びだった!



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■志士時代の博文



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■千円札の絵になった博文


初代内閣総理大臣を勤め、その後3回首相を務める。
当時の男子社会において女子教育の必要性をしっかり認識していた博文は創立委員長となり「女子教育奨励会創立委員会」の創設を明治19年(1886年)した。また【芸者好き】女好きは当時から非常に有名で、40度の高熱に浮かされている時でも両側に芸者二人をはべらせたという。
洗練潔白に見える博文もやはり人の子であった。仕事だけ出来てもダメ!適当に遊びも出来る人物こそが大きなことを成し遂げるのだ!

山口の萩へ行ったおり吉田松陰の松下村塾へ寄ったことがある。


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■松下村塾の外観


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■松下村塾の講義室


こんな小さな塾で晋作は将来の日本を夢見ていたのか~っと思うと感慨深く部屋の隅々まで見てしまった。長州藩の尊王倒幕志士として活躍した晋作は後に、奇兵隊などを創設し、長州藩を倒幕に向けた。



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坂本龍馬のピストルは、晋作が上海で買ったものを贈られたという。
現在の靖国神社に、吉田松陰や久坂玄瑞・坂本龍馬・中岡慎太郎たちと共に祀られている。師である吉田松陰は晋作の優秀(学問)なところを早くから見抜いていた。良き師に出会えたことで晋作は開花したのである。
やはり人との出会いがその人を左右する。出会うことに積極的になれ!

松陰の教えは当時の志士達に多大な影響力を及ぼしている。やはり松蔭がいなくてはこの明治維新の推進は無かっただろう。松蔭の生き方は新しいものへの子供のような好奇心と探求心がある!それが死罪になろうとも物怖じしない前向きさ!!この精神が若者を引き付けたのだろう。



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安政5年1858年に、幕府が日米修好通商条約を締結したことを松蔭はモーレツに激怒している!当時の老中首座:間部詮勝の暗殺を計画するが弟子の高杉晋作や桂小五郎たちが反対し実行は出来なかった。
やはり優秀な弟子が育ったことの証である。井伊大老の安政の大獄で打ち首になるが松蔭の将来の日本を真剣に考えた気持ちは多くの若者達の心をつかんだ。やはり松蔭は正(まさ)しく日本国の英雄である!

彼は慕(した)う相手を間違えていたように思えて仕方がない!
武市半平太が彼に冷遇だったことを考えると、以蔵の本当の素晴らしいところを半平太は分からなかった事につきる!



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「人斬り以蔵」と言われているが、半平太に自分を認めてもらいたいが為にやってしまった暗殺の数々!以蔵の悲しい心理状態がわかる。
くれぐれも良き上司にめぐりあうよう自分を磨け!!

安全な資産で信用リスクのない国債を対象とした【ソブリンCDS】、これに関して日本国債が危なくなっている。CDS(クレジット・デフォルト・スワップ)は対象商品の保証や保険みたいなもので、信用リスクをカバーするものである。


ギリシャはこのソブリンCDS取引を利用し財政赤字を少なくみせようとした。それがばれてしまい、ギリシャ国債のソブリンCDSのプレミアムは上昇した。そして今回のギリシャ財政危機だ!


日本も膨大な国債発行残高を有しているためソブリンCDSのプレミアムの上昇は避けられないだろう!
そうなると最悪のシナリオが到来する!それは日本売りだ!正しく売りまくられるだろう!

ユーロが弱い昨今、ギリシャ財政危機から始まり、スペイン・ポルトガルそして英国までが!!


何か大きなものが意図的にリークして下げさせているのではと思うほどユーロ売り!


この後は日本に飛び火してしまうのは必至だ!日本と米国も財政的にはギリシャとなんら代わりがない!


日本・米国売りは時間の問題かも!?

高知・北川郷の大庄屋の長男として生まれ、武市半平太の道場にに入門、武市が結成した土佐勤皇党に加盟する。



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薩長連合、薩土密約、大政奉還、いずれも坂本龍馬が中心人物のように描かれることが多いが、本当の立役者は慎太郎のように思える!近江屋で坂本龍馬と一緒に襲われる!しかし慎太郎」は2日間生き延びる。慎太郎の残した言葉【今日賎しいものが、明日には貴いかもしれない。小人か君子かは、人の心の中にある】は感慨深い言葉である。

半平太もやはり土佐藩の下士(下級武士)で土佐勤王党の盟主である。
半平太は真面目で実直な武士道仁義を重んじた人物で、それを物語る江戸剣術修行で塾生の中では酒・女に走ってしまう輩も多い中、自ら模範となった。



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吉田東洋暗殺に関わったかどで切腹を命ぜられる。藩主に利用されたきらいがあり、半平太の真面目さが上を見る洞察力を鈍らせたのかもしれない。世のサラリーマン諸君、利用しても利用されないよう!