ボクの故郷は、その昔、伊達藩と呼ばれていた。
そこの家臣、片倉景綱(小十郎)という武将が白石城の城主をしていた、城下町。
戦後、家康は一国一城令を発令し日本全国の城を破却させたが、白石城は例外的に城として認められためずらしい場所なのである。
そういう訳で、伊達藩には城が2つある。
ところで、伊達藩には支倉常長という侍もいて、この人物は船団を率いて海を渡りローマに行った。
伊達正宗が行かせたのだ。
鎖国で、海外に行ったら処刑される時代にである。
2人とも、なかなかパンチが効いている。
考えてみてほしい、飛行機がない時代に、ちょんまげ姿で、腰に刀を差し、何ヶ月も船に揺られてである。
これは、かなりのロマンだ。
ボクの祖母は生前、我が家は侍の家系で昔々に海を渡った、と言っていた。
これは面白い。
調べてみると、スペインに苗字がハポン(日本)という人が何百人と住んでいる村があるという。
スペインはローマへの通り道。
当然、鎖国の日本に戻れば処刑される可能性が高いのだから、ヨーロッパに留まった侍も多かったようだ。
はたして、この村の人々は侍の末裔なのだろうか!?
つづく。