支倉常長 序曲A | MITSUのブログ

MITSUのブログ

ニューヨークの路上で鍛えられたBlues Manの日記。

ボクの故郷は、その昔、伊達藩と呼ばれていた。

そこの家臣、片倉景綱(小十郎)という武将が白石城の城主をしていた、城下町。

戦後、家康は一国一城令を発令し日本全国の城を破却させたが、白石城は例外的に城として認められためずらしい場所なのである。

そういう訳で、伊達藩には城が2つある。

ところで、伊達藩には支倉常長という侍もいて、この人物は船団を率いて海を渡りローマに行った。

伊達正宗が行かせたのだ。

鎖国で、海外に行ったら処刑される時代にである。

2人とも、なかなかパンチが効いている。

考えてみてほしい、飛行機がない時代に、ちょんまげ姿で、腰に刀を差し、何ヶ月も船に揺られてである。

これは、かなりのロマンだ。

ボクの祖母は生前、我が家は侍の家系で昔々に海を渡った、と言っていた。

これは面白い。

調べてみると、スペインに苗字がハポン(日本)という人が何百人と住んでいる村があるという。

スペインはローマへの通り道。

当然、鎖国の日本に戻れば処刑される可能性が高いのだから、ヨーロッパに留まった侍も多かったようだ。

はたして、この村の人々は侍の末裔なのだろうか!?

つづく。