実は、支倉常長の存在が明らかになったのは明治になってから。
ローマを訪れた日本の師団が、偶然にもローマの倉庫で彼らの文書を発見した。
要は、300年間くらい歴史の闇に葬り去られていたのだ。
なぜか?
おそらく、徳川幕府は鎖国をして海外に渡航するのを禁じていたのにも関わらず、伊達政宗がこっそりローマに師団を送って他国の力を借りて天下を取ろうとしていたからでしょう。
伊達政宗、やはりしたたか者です。
そんな訳で、支倉常長の存在が明らかになれば、徳川への裏切りがバレてしまう。
伊達藩が、潰される。
ということで、闇に葬った、というのが大方の予想。
いつの時代も、政治の圧力というか、闇に葬れる力というか、怖いですね~。
実際、日本へ戻ってきた者たちもいたようですが、全員処刑された、と言われております。
しかし、ボクの勝手な予想では、その中の多くは生き延びているはず。
なぜなら、何ヶ月もかけて命がけで海を渡り、何年も海外を放浪し、生き延びてきた人間が、そう簡単に捕まり処刑されるわけないでしょ。
しかも、支倉常長率いる船団員の殆どは、罪人(要は犯罪者)だった、という記録もあるくらいだから、悪知恵も働いたはず。
(これは当時、船でローマまで行って帰ってくる、ということは現実的に可能性が低いと予想されていたので、どうなってもいいように罪人を行かせたらしい。)
まあ、半分、海賊みたいなイメージかな。
ということは、ボクは海賊の末裔なのか!?
いや~、だんだん冒険スペクタクルになってきましたね~。
ここで一旦、CMです。