1年前の3/11、東北の大地震で多くの方が犠牲になった。
その時、ボクは東京。
宮城は、生まれ育った故郷。
母親が今も住んでいる。
11年前の9/11、ニューヨークでテロがあり多くの方が犠牲になった。
その時、ボクはマンハッタン。
突然、乗っていた地下鉄が止まり、ボクは地上に出て、ビルが崩れるのを目の当たりにし、生きのびるために逃げた。
十数年前、共に演奏していたミュージシャン仲間が亡くなった。
ボクがニューヨークに旅立った1年後。
酒飲み運転での事故だった。
数年前、弟が亡くなった。
弟は、ボクや他の若者と同じように、何かを探し求めて家を飛び出した。
ある日の夜中、知らない人と警察から連絡が来て、江東区にある墨東病院にボクは行き、霊安室で身元確認をした。
約5年ぶりの再会だったが、そこには、息のあるボクと、息のない弟の、2人しかいなかった。
ここ10年近くで、ボクは沢山の場面に出くわした。
時に、映画のように現実ばなれした場面も多々あった。
そこには、多くの死も映されていた。
しかし、なぜかボクは生きている。
際限無く、自分に問いかけた時もあった。
なぜ、幸せに生活していた気仙沼の家族ではなく、ボクなのか?
なぜ、ニューヨークでビルと共に崩れた人々ではなく、ボクなのか?
なぜ、仲間ではなく、ボクなのか?
なぜ、弟ではなく、ボクなのか?
それだけの価値がボクにあるのか?
本当のところ、答えはまったくわからない。
もちろん、無理やり理由をこじつければ、いくらでも答えはある。
宗教や哲学に答えを探すこともできる。
でも、本当のところ、なぜなのだろうか?
今のところ、いろいろあるけどボクは生きていて、ギターを弾いて音楽を奏でられる、という事実しかわからない。
犠牲になった方々に冥福を。
生きている方々に幸せを。