長いバスの旅のお共に都内で1冊だけ本を買った。
なんだかんだで眠れなかったので
ついさっき読み終えた。
「ほほ~っ…このタイミングですか???」
あまりのタイミングの良さに
商売っ気を感じざるを得ないわけで
嫌悪感から2度3度スルーしながらも同作を購入した。
ただ、ここで『がれき』というwordを用いるのはいかがなものか?
瓦礫の中の幸福論/渡辺 淳一

¥1,260
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私の知るこの大先生は
『失楽園』『愛の流刑地』・・・勿論これは映像化されたものを見ただけ。
読んだ!というのは『鈍感力』。
まったく異質な作風ではあるが、
後に知るところとなる、
この大先生が大学病院医師という経緯から察すれば理解できなくもない。
さて、
この『瓦礫の中の幸福論(わたしが体験した戦後)』
この国が
「負けるはずがない」と信じて疑わなかった太平洋戦争
気づけば無条件降伏・・・。
家族を失い、衣食住を奪われた米軍支配の中、
立ち上がろうとする人間模様を大先生の子供目線のまま感じ書いたもの。
生きるために
地周りのやくざにもコビて愛想を振りまく…
そうすれば、目先の食料や恩恵を被る。
生きるために
米軍相手の娼婦に米や酒を配達する…
そうすれば、褒美のチョコレートが手に入る。
傷病兵が街で金を無心する。
それを模倣する五体満足な大人を見て力強さを感じる。
人間はたくましく、前向きで、したたか、
負けても負けた者の生き方がある。
・・・らしい。
この時期じゃなければ・・・
タイトルセンスが良ければ・・・
すんなり受け入れることができたであろう一冊。
わからなくもない。
わからなくもないが、いくつかの違いを指摘。
311と815の違いは・・・
311は決して“負けた”わけじゃない。
815はそういう結果になるであろうと、多くがうすうす感じていた。
悲観的になれるだけ十分な時間があったはず…。
311はそんな猶予も無く、そうなるまでには1時間で十分だった。
悲観から絶望まで一気に転がり落ちた。
815は日本全国が焦土となった。
だから国民の“すべて”が当事者。
対して311は一部地域
一瞬、『絆』という使いなれない言葉で踊りかけたが
錆に入る前に疲れ果てた。
ソコにいる者がいれば、俯瞰する者もいる。
明確な敵が居た815、敵も味方もいない311。
明確な敵の存在形成は目的意識の共有になる。これ某首長と同じの手法。
敢えて“敵”を作り上げるとすれば、愚かな政府。
しかし、馬鹿と言えども敵と認識するほどの価値も無い。
状況を同化することに違和感を感じるのは私だけか?
『幸福』というものが、何なのかわからない時代に
『降伏』することが、幸福への近道となった。
とする知識者の論もある。
(この点は同意する…詳しくは知らんが同意できる。)
「お国のため・・・」なんて戯言のスローガンの元、
偽りの幸福を追い求めた結果として。
対して、幸福に溢れ、それを味わってる最中に一転、
何を手掛かりにすればいいのかと惑うだけの今。
ある意味…進駐軍やアメリカに助けられた815と・・・。
捉え方によっては815と311
『降伏』と『幸福』くらいの隔たりを感じる。
さて
今朝は朝飯のお当番さんなのだ。