やわやわとまれ♪の鉄道雑記帳(時刻表やら車両運用やら構内配線やら)

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 常磐線や水戸線、磐越東線、磐越西線、東北本線など現在のJR水戸支社、東北本部(仙台)管内の路線を中心に鉄道信号や標識、配線、運転、車両運用について書きとめていこうと思います。

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1978.10.02改正 常磐線水戸駅で、普通列車が普通列車を待避する(追い抜く)話題です。

勝田発 水戸線直通734M小山ゆきは、追ってくる高萩発1458M上野ゆきを水戸で待避します。

 

ダイヤで見てみましょう。

734Mは、水戸で(上1)に着発して、後続の1438M(上本)着発を待ち合わせています。

 

勝田からは、朝ラッシュに備えて列車が次々と発車していくのが分かります。

水戸線直通の734Mは、高萩~佐和間の始発1438Mに乗ってくる水戸線方面の乗客を水戸で待ち受けます。

勝田場面で、734Mを1438Mの後に発車させることも可能に見えますが、勝田での出区や着発線の都合もあって、734Mを水戸まで先行させるダイヤとしたのでしょう。

水戸線直通の列車があるからこその待避(追い抜き)だろうと思います。

 

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今回は、後続の列車が先行する列車に二回接続するという話題です。

1978.10.02改正の水戸線739Mは、勝田から先に行く平ゆきの463Mに、水戸と勝田の2カ所で接続していました。

ダイヤをご覧下さい。

この接続、水戸も勝田もどちらも同じホームで、向かい側の車両に乗れば良いという、おまけつきです。

 

水戸

739M 水戸着11:43:00(下本)>

2分 ↓   ■■ホーム■■

463M 水戸発11:45:00(中1)>

 

勝田

463M 勝田発11:56:30(下本)>

1分30秒    ■■ホーム■■

739M 勝田着11:55:00(中)>

 

水戸と勝田では、互いに反対側の側面を見ることになっていたのがおもしろいです。

 

時刻表で見てみましょう。

時刻表の悲しい性で、463Mと739Mの間に特急が掲載されていて、丹念に見ないと接続には気づかなそう・・・筆者は気づきませんでした。

 

前後の列車や、車両運用上の都合からこのような運転時刻が設定されて二度の接続となったのでしょう。739Mでは、水戸でも勝田でも接続の案内が行われていたのでしょうね。

 

水戸線の列車は2023年現在でも、常磐線勝田まで(から)の直通列車がたくさん運転されています。

これまでの水戸線、常磐線列車を調べれば、同じ例が見つかるかしら?

 

水戸駅の(下本)、1978.10改正当時は、2023年現在の3番のりばの位置でした。特急スーパーひたちが走り出してから、(下本)が2023年現在の4番のりばの位置になったと思うのですが、正確な時期がわかりません。ご存じの方がいらっしゃいましたら、ぜひお教えください。

 *注 掲示板に投稿をいただきました。こちらをご覧ください

 

 

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*時刻表追加、加筆(2023.10.17、2023.12.31)

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山形駅を目前に、北山形で13分ほど停車して、2本の列車を待避する1985.03.14改正 奥羽本線426レの話題です。

時刻表で426レが36Mを北山形で待避するのは読み取れたのですが、2本待避に気づきませんでした。36Mが山形を発車しても、426レが北山形を出発しないのはなぜだろうと思っていたのですが・・・

時刻表を切り貼りしてみました。426レは36Mの他に、仙山線7831Mの後続となって山形に到着しています。

実は、ダイヤを見て2本待避に気づきました。ダイヤをご覧ください。

 

1989年3月の北山形駅配線略図(KASAさんご提供)に、待避する426レと先行する36M、7831Mの進路を示しました。

426レは北山形で、下り本線をまたいで、(下1)に着発しています。

426レの利用客としては、山形にさっさと到着してくれれば、と感じるでしょう。ダイヤを見ていても、426レを山形に先着させてしまえば・・・と思います。ダイヤを設定する「中の人」も同じことを思っていたはず。

それでも、そうできなかった何かがあるだろうと、色々考えました。

単線区間の多い新庄~山形なので、この区間の426レの設定時刻を変えづらいのは承知なのですが、山形駅構内の都合もあるのかなと思いました。この時間帯の山形構内を見てみましょう。

なるほど! 426レを36Mより先に山形に到着させようとすると、着発線に空きがないのです。

山形周辺は、北山形で左沢線、羽前千歳で仙山線の分岐があって、各々山形まで乗り入れるので、列車本数が多くなります。山形駅はホームのある着発線が5本ありましたが、山形折返しや「山形車両基地」の入区出区、客車列車の機関車付け替え(板谷峠用のEF71、ED78とED75の交換)もあって、426レを先に到着させることは難しかったようです。426レ自身もED75からEF71orED78に付け替えを行っていたはずです。

 

もうひとつ、仙山線7831Mから奥羽本線1811D(新潟ゆき急行べにばな1号)の乗り換え時間を確保するために、7831Mを少しでも早く山形へ到着させたかったこともあるかなと思いました。1985.03.14改正前は、1811Dは仙台から新潟に直通していた列車でした。

 

山形構内の都合もあっての北山形で2本待避。訳を探ってみると、色々見えてきて、おもしろいです。

 

 

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先に記した米坂線今泉の待避(追い抜き)(米坂線今泉 1986.11.01改正 148D)の、KASAさんからいただいたコメントの中で、

 

>信号配置をみますと、米坂線の下り方面も、「長井下本」を使用して、待避・追い抜きができるようになっていますね。そのような事例もあったのでしょうか。

 

といただきました。私はコメントへのお返事で、

 

>下り列車の待避は、見つけることができていません。

 

とお答えしていたのですが、気になって探してみました。ありました! 下り列車の今泉待避(追い抜き)!

 

遡って1964年10月01日改正です。時刻表を見ましょう。

127レは、今泉で609D準急あさひ2号を待避しています。

127レが今泉に到着すると、追ってくる準609Dが羽前小松を発車します。また、609Dが次の停車場の羽前椿を着発すると、追う127レが今泉から発車するので、閉塞を考えると、127レの今泉停車時間はほぼ無駄がありません。

 

今泉の着発線の使用状況を推測してみました。

127レ、準609Dが着発する時間帯に、長井線の下り、上り普通列車が交換、着発していました。

長井線下り229Dは、準609Dを待つことなく荒砥へ向かっています。空いた(長下)に準609Dが着発して127レを抜いていました。

(127レが(長下)に入るとなると、長井線229Dが今泉に入れなくなってしまうので、127レは(米下)着発だったはず)

これまた、追い抜く準609Dが主本線ではなくて、副本線に着発していたと思います

 

今泉で229Dは準609Dの接続をとりませんが、赤湯で接続をとっています。

 

探してみると、なかなかおもしろいことが見つかります。今回、KASAさんにいただいたコメントで、さらにおもしろいケースを見つけることができました。ありがとうございました。

 

この当時の今泉駅、1986年の式灯信号ではなくて、腕木だったかな?? それでも進路は、1986年と同じだったのですね。

 

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支線区での待避(追い抜き)【その2】は、1978.10.02改正の陸羽東線鳴子駅です。

 

1730D[奥羽本線真室川→(陸羽東線経由)→仙台]は、鳴子駅で、急712D千秋2号[秋田→(陸羽東線経由)→仙台]を待避します。

1730D 鳴子10:27-10:50(上1)が23分停車している間に、

急712D 鳴子10:36-37(上本)が先行します。

ダイヤ図面を見ると、1978年10月改正当時、陸羽東線の主要な停車場(横軸が太い線)は川渡だったのですね。これ以前、SLが運転されていた頃に、小牛田側の補機の連結が行われていたのが川渡でした。主要な停車場が川渡から鳴子に変わったのは、いつなのでしょうか。JR化のころかな?

 

 鳴子駅配線略図(KASAさんご提供)で、1978.10.02改正当時の待避(追い抜き)を見てみましょう。

 同じホームに着発するので、乗り換えはたやすかったと思います。相互に乗り継ぐ乗客はどのくらいいたのでしょうか。

 

鳴子の配線ですが、1978年10月頃は上り出発2L、上り場内5Lの進路はなかったのではないかと思います。上り列車で下本着、下本発の列車はないですし・・・。

 

この待避(追い抜き)は1980.10.01改正でも行われていました。その次の1982.11.15改正でなくなっています。1982.11改正は東北新幹線が本格開業して、仙台→秋田のメインルートが盛岡乗換の田沢湖線経由となり、陸羽東線経由の急行千秋が廃止されました。

 

ダイヤの訂補日(1979.10.01)に合わせて、それ以後の弘済出版社の大時刻表1980年4月号を開いてみたところ、陸羽東線は「1979年10月1日【改正】」と記してありました。訂補じゃない! 交通公社の時刻表1979年10月号でも【改正】。旅客列車の時刻は1978年10月改正と変わっていないようですが、どのような改正だったのでしょうか。

 

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