あの時 | mitosyaのブログ

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個人誌「未踏」の紹介

 あの時

日が照ったり、雨が降ったりの変な日が暮れて、夜散歩に出たら、街には強い南風が吹いていた。生あたたかな、顔や身体にまとわり付いてくるような、人なつこい風。いつか浅虫の海岸を歩いていたときの風を思い出した。黄色い山肌と変に明るい空。人一人通らない海岸添いの道。あてもなく歩いている僕を、包むようにその風は吹いていた。

ふと君に手紙を書いてみたくなった。とあるファミリーレストランに入り、君に想いを寄せる。

僕は生き延びて来た。今、僕は生きて君とこうして語れるのが嬉しい。実に僕らは生き延びてきたのだと思える。この「生き延びて来た」という実感が、僕に不思議な「あの時」を蘇らせる。

あの時。今まで馴れ親しんできた自然や、物、人々、それに望み。それら全てが意味を失った。
意味は、生まれ落ちたその時から、否定しがたく教え続けられてきた。初めて目にした景色の深さ、手を伸ばし触れた玩具達の重さ、あらゆる物が不思議であふれていた。襲う空腹と充足。人や物を通して、刻々に自分が物と必要性の関係において在ることを知らされた。

物や風景は、自分が在ることを確かめるための意味だけであって欲しかった。虫や草花は、同じ生きる者としての伴侶の意味と、彼らの生活の不思議さだけを示していて欲しかった。不思議さだけが全ての意味だったのに、人々と比べてのものだったが、しだいに望みや実現したい自分の姿を思い描き、僕らは生き始めてしまった。

生き始めると同時に不思議は消えて、物達は望みを実現するための道具としての意味を持たされた。作られた意味にしかすぎなかったものだったが、意味が消え、目まいとともに不思議が蘇った、あの時。あの時を、僕は君といつまでも共有したいのだ。

教えられた意味が、どこかで信じられなかった僕だった。
太陽が人や草花に光と熱を、草花は人や動物に酸素と栄養を。意味は全て何かのために用意されていた。仕組みにしか過ぎないものに、意味が与えられていた。木も石も風も意味など無いのに、僕自身でさえ意味など無かったのに、意味が在ると教えられ、信じようとして来た。

生き延びた今、はっきりと全ての物の無意味さが解る。
夏の日盛りにひまわりの黄色。彼らは人のために輝いているのではない。朝の鳥のさえずり。鳥達だけの話。木も石も、人間どうしであってさえも、互いに意味など無かったのだ。

君も僕も恋をした。その時感じた物達との関係は知っている。その時の物達、いつもと変わりはしない。ただ君や僕が恋という未知に遭遇し、錯覚していたからに過ぎなかったのだ。未知や不思議さが物を一瞬美しく見せただけなのだ。不思議の目で物達を眺め続けられるなら、人はその時を連続させることが出来るだろう。が、人の営みとは不思議を忘却していくことに他ならない。

君は僕のこんな青くさい実存解釈を笑わないだろうね。これから僕が語ろうとしている、「あの時」を共有した仲なのだから。

あの時、失恋がきっかけではあったが、君に電話した日、破綻は決定的だった。
僕は彼女を得ることで人生に意味を見い出そうとしていたのだが、それは彼女にとっても両親にとっても迷惑なことだったのだ。十分に必要性における意味を知っている彼らにとって。僕の付焼刃のような行動は、彼らを不安に落とし入れていた。僕が必死になればなるほど、僕の本質は白日のものになり、あんなに家から出たがっていた彼女さえも、僕を訝るようになっていたのだった。

僕は初め、意味ではなく彼女に「美」を見つけていた。彼女の控えめな笑顔に、周りの女友達とは違った関心の狭さに、彼女の押さえられた希望を感じとっていたのだ。僕において、快活や希望があるわけではなく、彼女の外見に漂う明るさを頼りに話しかけたのだった。

僕は確かに彼女の中に美を見つけた。かつて自分にもあった、よりよく生きようとした少年期の魂を思い出していたのだと思う。出身中学校を訊ねたとき、僕は彼女との関係の中に入っていった。隣町の中学だった彼女と、地理や出来事が重なり、関係を呼び戻した。記憶の中で僕は幸福感を味わった。色彩の失われていた過去の風景の中へ、彼女が彩りをもってやって来たのだった。

彼女の希望はキャンバスの色ではなく、草花の生きている物だけが持つ色の光だった。生き物として誰もが持つ光だったのに、そのとき僕は彼女の中にだけその光を見つけていたのだった。それは彼女が僕の中にもあった同じ光を見つけてくれたからだった。僕は彼女と手を握ることが出来たし、笑わせることだって出来た。彼女もまた僕のそんな取り戻す明るさに増して輝いた。

彼女の希望、それは家を出ることだった。病床の義母、酒呑みの父、まだ中学生の義弟と小学生の義妹のいる家を捨てて誰かの所へ。家を出ない限り誰の所へも行くことができない。家から連れ出してくれる誰かを待つ彼女だった。

僕がその希望の役割を担うことになった。僕は君も知っているように、意味を与えられれば、自分の必要性さえわかれば、不思議なエネルギーを発揮するものだった。何をも恐れず、意味と必要性の限り、省みる自己を持たず立ち向かうのだった。

母は病気といっても慢性の腎臓病だったし。酒乱の父は、彼女の母を病死させた憎むべき男だった。戦う理由は充分そろっていた。彼女は罪をもたない。罪をもつのは彼らなのだ。僕はためらう彼女を制止して、彼女の家に乗り込んだのだった。

「彼女は僕と結婚します。彼女は家を出て僕と住みます」

僕はその時、彼女を連れ出すことだけを考えていた。彼女が僕と結婚をする。彼女が家を出て行く。だから何も干渉してくれるなと言っていたのだった。

昼間から呑んでいたその男が開口吐いた言葉は「仕事は何をしているのかね」であった。僕は自分の結婚の資格など考えたことはなかったし、結婚は彼女のことであり、僕の資格など関係のないものと思っていた。彼女の意志だけで充分だと考えていた僕は、突然「お前は何者だ」と問われ、回答の出せない質問を浴びせられたように当惑した。

僕は一体何者なのか、答えを探して漂っている身であった。

「そんなこと関係ないでしょう」
結婚を申し込む僕が吐いた言葉だった。
「家具のセールスマンなんですって」
彼女のとり繕う声があった。
「セールスマンか」

男は気抜けしたような、軽蔑にも値しないというように、今まで酒を呑みながらも威厳を崩さず、用心深く僕を観察していた眼に笑いさえ浮かべた。

「セールスマンで何が悪いんだ」

僕はセールスマンをしている自分が貶められたなどと思っていなかった。僕は他人に貶められるほど卑屈ではない。僕はその時初めて、貶められている人々がいる事と、人が人によって貶められる事に対して怒ったのだった。

「貴方は何ですか、昼間から酒を呑んで、洋子さんの収入をあてにして、親として恥ずかしくないのですか」

僕は正しさを確信していた。悪いのはこの男だ、救われなければならないのは彼女だ。僕は隣の部屋で寝ているという義母の分までと、喰ってかかった。

「君に説教される筋合はない、洋子は家族だ。君は自分の事を心配したらどうなんだ」

男は何の痛みも表さなかった。僕は彼女がその男と、家族にしっかり組み込まれていることを知らされるばかりだった。

「ところで、君の家族はどうしているのかね」

家族? 僕に家族などはない。突然、僕は自分にもあった家族の事を考えてしまった。

ここまで書いてきて、僕は君以外の読者を意識している事に嫌気がさしてきた。あの時の意味を考え、共有したいという君と僕だけの関係で書くはずだったのに、僕はいつかストーリーを追っている。

人生の意味を無意味、存在そのもの、または現存在と規定しても、なお残る存在そのものの人生。いかに生きようと変わりはない。規定や意味など問わず実存する人間。いつ費え去ろうと悔やまぬ覚悟をしていたとしても、投企によって主体をもって生きたとしても、交感をもって内的世界を生きたとしても、残る存在とはなんなのだ。

カフカがミレナを求め、キルケゴールが神を求め、ニーチェがツァラトゥストラを創り、カミュが反抗を説く。そしてサルトルは人は本来自由だと言う。が、一体それがなんだ。何も解決などしていない。社会的、個人的な諸矛盾に対して一人で立ち向かおうとした時、生き方は決まるが、なお解決しない不条理、無意味。

このけっして倒すことのできない魔者に立ち向かうことだけが意味のような実存。時々訪れる錯覚だけが救い。涼風のように、それが時に病後であったり、かつて信じた理想の名残りであったりするが、圧倒的部分は闇。

先程、散歩をしていて、人の営みにやりきれなくなった。同時に、毎日同じ公園を徘徊しているだけの自分の散歩。窒息しそうな狭さへの恐怖に襲われた。変わりはしないグラウンドの人々、木々の緑、砂場の母と子、空気だって風があり涼しい。なのに息苦しく、壁に閉じ込められているような圧迫感。

何処か遠くへ行きたい、今のこの時間から逃れたい、魔者から逃れられるだけ逃れたいと思った。が、何処へ逃げたとしても、何をしていても同じ。魔者の手からは逃れることはできない。神は死んだ。何でもできる。しかしそれは存在の範囲でのこと。

唯一この魔者に立ち向かう有力な方法は、存在をやめること。かつて一度この方法で戦った僕。解ったのは、人の歴史がこの存在という魔者と戦っては破れた挫折の歴史であること。そのことが解っても、存在を続ける限り戦う他ない人間。あの時以来、僕は一人で、僕の戦いを始めた。これは人の徒労であり、人の無意味だったから。

僕は始め、読者や作品に関係なく、あの時を解明しようとしていたのだった。そして君にあの時の意味を理解してもらおうとしていた。君なら、僕のこの理屈っぽい文章も独断的な考えも、理解してくれる、時に一緒になって考えてもくれると思って始めたのだった。

僕はあの時、君の「死ね」の言葉で自殺未遂をし、死んだつもりが生きてしまい、君にも助けられた。あの時、「一緒に生きて欲しい」と僕に言ってくれた君だったから、今僕は、手紙という形式で作品を書いているのだった。

なにしろ、僕はほんの少し希望を持ったがために、希望を失くしたのだった。
セールスの仕事は、田舎では最も手っ取り早く金が入り、束縛が無かったからやっていただけ。続ける予定も見通しもなかった。東京にいる時は、仕事は何をしていても不安は無かった。誰もが不安の中で生きていると思えたから。街には浮浪者も住み、彼らの孤独を思うとき不思議な安心があった。

が、田舎の人口五万人位の町では、たとえ遊び人風情であっても、土地に根をはやし、揺らがず人々と生きているのだった。僕はそんな田舎の張り巡らされた根に窒息しそうだった。妻子に去られたことより、その時僕にはもう行き所が無くなっていた。東京での生活に疲れ、田舎では人の付き合いになじめず、唯一彼女だけが救いになっていた。彼女を救うことによって自分を救いたかったのだ。

ほんの少しの希望を抱いたがために、訪れた不安と絶望。彼女と出会わなければ、僕に危機はこれほど早くは訪れなかったと思う。君に心配をかけながらも、いまだに漂うように生き続けていたことだろう。

不安は人の属性なのだから心配はいらない。だが、絶望だけは全ての意味を奪う。絶望してなお人間であり続けるなど、観念上の絶望にしか過ぎない。絶望とは無意味を見てしまうことなのだ。

人は他人が見てつまらないと思える事でいとも簡単に死んでいく。サラ金で、仕事上で、育児で、時に病気、ノイローゼと言われるもので、人それぞれによってきっかけは違うが、見ているものはみな同じものなのだ。無意味というもの。

人は初め無意味であった。それが生きるに従って意味を付与され、自分でも意味が在ると錯覚してきただけのもの。錯覚に気がつき露になった自分の姿が無意味というもの。人の本質が無意味でなかったら、人は死ねるわけがない。無知、貧困が問題ではない。無知、貧困でなくても人は死ぬのだから。人が一人でも自らで死ぬということは、人の本質に無意味というものが在るということなのだ。

無意味な者同士が見付けた意味、それが恋愛というものに思える。失恋とは、その唯一無意味を忘れさせてくれる人と人との関係においてさえ、意味を失うということなのだ。生まれてより人との関係において意味を見い出そうとしてきた人が、そこで全ての意味を失うことになるのだ。

その日僕は、けっして人がそんな事で絶望の渕に沈んでいくと思えないようなことで落ちて行ったのだった。

「君が本気で洋子に結婚を申し込みたいのなら、しかるべき仲人をたて、双方の家の了解を経てすべきだ。結婚というものは二人が好きになったから出来るというものではないのだ。人には家族というものがあるのだから」

反対をしているのではないと言いながら、男は彼女の前で僕の本質を露にしようとしていた。

「聞くところによると君は離婚の前歴があり、子供もいるという。その辺はどうするのかね」
「子供は妻の実家ですくすく育っています。僕のような親はいないほうがいいそうで」

僕は妻の別れ際の言葉を思い出して言っていた。

「そうは言っても子供は思い出すだろう」
僕は男に誘導尋問をかけられているようだった。
「君は子供が好きではないのかね」
「そんなことありませんよ」

僕は彼女が無条件に家を出て、僕のところへ来ることを信じて、最初の意気込みも忘れて男と話し出していた。子供と僕の関係。僕が子供を求めないにしても、子供によって求められる父と子の関係。

僕の生後一カ月で死んだという父。僕はかつて母の記憶からも抹殺されている父を強く求めたことがある。幼少期、父さえいればもっと現実に親しみをもつことができたかもしれないと。意味を見付けていく中途において父を失った自分の子供の事。僕は子供に僕の二の舞をさせてしまった、救いがたい自分に囚われていた。二重の意味で、僕は自分の救いがたさを思っていた。子供に父を演じてやれるなら、僕は僕の子供時代を救うことにもなったのに、僕はできなかった。僕は自分の無意味さの上に罪さえ付け加えていたのだった。

僕はまたしても、自殺など考えたことのない者が一般的に理解できそうなことで、あの時をとらえようとしている。親の反対や僕における結婚の条件は重荷ではあった。だが、そんな事が、僕が突然見てしまったものにどれ程の意味があったか。彼女はその後、僕と駆け落ちさえしてもいいと言っていたのだから。

僕は初め、彼女への結婚の意思が僕に希望を感じさせた。それが、絶望に変わっていったのだ。彼女の僕への理解がきっかけとして全過去が露になったのだ。人生の意味は本質的に疑っていた、その僕の無意味がはっきりとしてしまったのだ。信じることができないのに結婚をし子供までつくった。そして再び同じ無意味を繰り返そうとしていると。

君はそんな僕を昔から信じることができないようだった。
君と知り合ったのは高校時代からだったが、君は「生活者」だった。親元を離れた君は一人アパートを借りて生活していた。君の招きに応じて訪ねた六畳のその部屋には、コンロや食器棚、本箱、ステレオと物達がひしめきあい、壁には切り抜きの絵なども貼られ、君が物や生活を愛していることを知らされた。

僕はといえば、現実というものがいつも何かのための準備のように思えて、親しめなかった。従って僕の部屋には本箱もなければレコードプレーヤーも、現実を享楽するような物は何一つなかった。「何もないんだね」と暫くしてから言った君の言葉を今でも思い出す。

僕は未だに物を揃えるのは苦手だが、君の部屋を最初に訪ねた日の印象を始めとして、次々と人と自分の違い、生きている実感の乏しかった自分の人生というものを思い出して行った。好きになって結婚したのではあった。子供も欲してつくったのだった。それは、何かのための準備ではない僕の初めての現実だった。その現実は僕に物と生活を愛することを強いた。僕は乞われるまま従った。が、それは僕の努力でしていることだった。綺麗だと思って買った鉢植えを、一週間後には枯らしてしまう水やりのように、努力を怠ると毀れてしまうものだった。現実が何かのための準備であるように思えてならなかった僕は、永くは努力を続けられなかった。

僕は彼女が駆け落ちをしてもいいと言ったとき、人生の無意味を思い出してしまったのだ。人生が何のための準備なのかを、見てしまったのだった。

僕が幼少よりしてきたこと、それは「死への準備」だった。準備のための現実を、物に親しみをもつことで、人と関わって過ごすことで忘れるようなことはなかった。いつも靄のようにかすんでみえた現実。僕は認めたくなかったのだ、感じたくなかったのだ、物の意味や価値を。人が死への準備のために生きなければならないなど、絶対認めたくなかったのだ。が、僕は知らず知らずに認め、準備をしていたのだった。

彼女がきっかけではあったが、僕ははっきりと知ったのだった。唯一僕に残された意味があるとすれば、準備をやめること、何かのために死ぬこと。その何かが君だった。君は僕の死を引き受けてくれると言った唯一人の人間だった。君は僕の人生の無意味への反抗をいつかきっと理解してくれると。

君に睡眠薬を呑みながら電話をかけたとき、ふと思ったことは、人の死など生きている者が、二十年も会っていない知人友人のことを考えるようなものだと。死んでいるのか生きているのかも解らないが、その人間を知っているという関係だけだと。僕に親しい人間などいなかった。もともと僕自身も僕においても人は死んでいるようなものだと。死とは生きている人間の意識だけであって、それも百年前の人間の死などもはや死ではない。何処にも人の死など残ってはいないのだ。僕はせめて君の生きている間だけでも、僕の死を残そうとしたのだった。

僕は酒を飲みながら睡眠薬を呑んでいた。あの時、僕に山の緑も、空の青も浮かばなかった。忘れることができなかった人生の無意味、徒労感。僕は人の虚しさに泣いていた。薄れる意識のなかで、僕は君に別れを告げていた。

昏睡してからのことは何もしらない。猛烈な吐き気と頭痛で目が醒めた時、ベッドの横にはおふくろがいた。何も知らないおふくろは、僕を助けてしまった。僕は再びは生きたくなかった。おろおろするおふくろに怒鳴り散らし、人や物にあたり続けた。

翌日、僕の死を引き受けた君がやって来た。唯一の僕の死の保証人である君を、僕は敵意をもって迎えた。生きてしまった僕には、もはや君は保証人ではなかった。が、君はあくまで僕の保証人であり続けようとしていた。君の「本当に死ぬ気だったのか」の言葉は僕に喜びを与えた。君が、まだ僕の死の確かな保証人であることが嬉しかったのだ。

散歩に出た喫茶店で僕は「どちらでもいいことなんだ」と言った。君はどこまで僕が死を意志していたのかが問題のようだったが、人の死への意志に量などない。僕は君の期待に応えられなかったことだけを悔やんだ。考えたつもりだったが正しい睡眠薬自殺の方法ではなかった。が、僕はその時もうどちらでも良かったのだ。他に方法はいくらでもあったし、再度の反抗を決めていたのだった。

「今度は失敗しないから」
僕が意志を示した時、君の態度は急変した。
「僕が悪かった、許して欲しい」
と、僕の死を自らの罪のように受け取る君だった。
「死なないで欲しい、一緒に生きて欲しい」
とも。死の保証人が僕の生の保証人になるべく、僕の死を自らの死のように哀訴するのだった。

僕は僕の死を君に残そうとしたが、それは君の意識上のことで、僕の死は依然として僕のものではあった。君が僕の手を握るに及んで、僕は死を一時保留しようとした。君が僕の死だけではなく、生をも引き受けようとしていたから。

君の涙とその後の笑顔を見ていると、僕は幸福だった。僕は一瞬、物の無意味も、無関心も、死の準備のような人生も忘れていた。君が僕の目の前で今を生きていることが不思議だった。空も山も人も、存在そのものがその時僕の目の前に在ることがたまらなく不思議だった。世界は不思議で構成されているとさえ思えた。人生はこの不思議さが感じられるだけで充分だとさえ思えた。この時の不思議を僕は未だ君に伝える方法を知らないが、僕はその時、君の徒労、君の無意味を僕も一緒に生きようとしたのだった。

以来、僕は君と生き延びて来た。君に伝えたかったこと。
物も人も、あらゆる自然、存在は人にとって何の意味も持っていないということ。人が勝手に意味や理由を付けてきただけ。何か意味があると錯覚しているだけ。絶望を考える時、死を考える時、それははっきりとする。人と物との関係を意味付けにおいて考えるから、罪などというものをしょい込むのだ。

自然において人は関係はないのだ。人がいなくとも万物は生きていける。人が種としても絶滅した後に、何の意味や目的があるとするのだ。自然は人の意味や関係など記憶しはしない。人にとって意味や価値があるのは、生きている人間においてのことなんだ。この生きている人間において、最も価値と意味があるものとすれば、それは「無意味の理解」なのだ。

無意味の理解だけが人に勇気を与える。自然が勇気あるのは、彼らが意味付けではなく無意味を行っているからなのだ。人以外の生物においての勇気の源泉、それは意味や目的を持たない中にあるのだ。

今君と共有したいもの、この自然において無意味、無関係な者同士の意味と関係をしっかりと結びたいということなのだ。この世界に投げ出された、存在しなくともいい人間同士で、一人でいいのだ。この世界で自分たちの無意味を確認しあった上で、結び合う人間が。

僕が今生きて、この無意味と戦おうとしたとき、君に対する僕の絆をどうしても確認しておきたかった。君は僕の申し入れを受け入れてくれるだろうね、あの時を何にも替えがたいものとして共有した仲なのだから。

君に長い手紙を書いているうちに深夜になってしまった。店内に客はポツン、ポツンといるばかり。くすんだ橙色の明かりに照らされ、アベックが顔を付き合わせ、小声でヒソヒソと無意味を話し合っている。


白紙の人生を愛する

お送りいただいた、深く思索に満ちた手紙形式の散文を、読みやすく整えた一編の文学的アーカイブとしてまとめました。

この文章は、実存主義的な哲学(カフカ、サルトル、カミュなどへの言及)と、個人的な絶望、そして他者との絆を通じた再生をテーマにした非常に重厚な内容です。元のテキストの雰囲気やページ区切りを尊重しつつ、デジタル文書として読みやすい形に整形しています。



「あの時」— 手紙形式の回想録
5月1日 13:03


あの時

日が照ったり、雨が降ったりの変な日が暮れて、夜散歩に出たら、街には強い南風が吹いていた。生あたたかな、顔や身体にまとわり付いてくるような、人なつこい風。いつか浅虫の海岸を歩いていたときの風を思い出した。黄色い山肌と変に明るい空。人一人通らない海岸添いの道。あてもなく歩いている僕を、包むようにその風は吹いていた。

ふと君に手紙を書いてみたくなった。とあるファミリーレストランに入り、君に想いを寄せる。

僕は生き延びて来た。今、僕は生きて君とこうして語れるのが嬉しい。実に僕らは生き延びてきたのだと思える。この「生き延びて来た」という実感が、僕に不思議な「あの時」を蘇らせる。

あの時。今まで馴れ親しんできた自然や、物、人々、それに望み。それら全てが意味を失った。
意味は、生まれ落ちたその時から、否定しがたく教え続けられてきた。初めて目にした景色の深さ、手を伸ばし触れた玩具達の重さ、あらゆる物が不思議であふれていた。襲う空腹と充足。人や物を通して、刻々に自分が物と必要性の関係において在ることを知らされた。

物や風景は、自分が在ることを確かめるための意味だけであって欲しかった。虫や草花は、同じ生きる者としての伴侶の意味と、彼らの生活の不思議さだけを示していて欲しかった。不思議さだけが全ての意味だったのに、人々と比べてのものだったが、しだいに望みや実現したい自分の姿を思い描き、僕らは生き始めてしまった。

生き始めると同時に不思議は消えて、物達は望みを実現するための道具としての意味を持たされた。作られた意味にしかすぎなかったものだったが、意味が消え、目まいとともに不思議が蘇った、あの時。あの時を、僕は君といつまでも共有したいのだ。

教えられた意味が、どこかで信じられなかった僕だった。
太陽が人や草花に光と熱を、草花は人や動物に酸素と栄養を。意味は全て何かのために用意されていた。仕組みにしか過ぎないものに、意味が与えられていた。木も石も風も意味など無いのに、僕自身でさえ意味など無かったのに、意味が在ると教えられ、信じようとして来た。

生き延びた今、はっきりと全ての物の無意味さが解る。
夏の日盛りにひまわりの黄色。彼らは人のために輝いているのではない。朝の鳥のさえずり。鳥達だけの話。木も石も、人間どうしであってさえも、互いに意味など無かったのだ。

君も僕も恋をした。その時感じた物達との関係は知っている。その時の物達、いつもと変わりはしない。ただ君や僕が恋という未知に遭遇し、錯覚していたからに過ぎなかったのだ。未知や不思議さが物を一瞬美しく見せただけなのだ。不思議の目で物達を眺め続けられるなら、人はその時を連続させることが出来るだろう。が、人の営みとは不思議を忘却していくことに他ならない。

君は僕のこんな青くさい実存解釈を笑わないだろうね。これから僕が語ろうとしている、「あの時」を共有した仲なのだから。

あの時、失恋がきっかけではあったが、君に電話した日、破綻は決定的だった。
僕は彼女を得ることで人生に意味を見い出そうとしていたのだが、それは彼女にとっても両親にとっても迷惑なことだったのだ。十分に必要性における意味を知っている彼らにとって。僕の付焼刃のような行動は、彼らを不安に落とし入れていた。僕が必死になればなるほど、僕の本質は白日のものになり、あんなに家から出たがっていた彼女さえも、僕を訝るようになっていたのだった。

僕は初め、意味ではなく彼女に「美」を見つけていた。彼女の控えめな笑顔に、周りの女友達とは違った関心の狭さに、彼女の押さえられた希望を感じとっていたのだ。僕において、快活や希望があるわけではなく、彼女の外見に漂う明るさを頼りに話しかけたのだった。

僕は確かに彼女の中に美を見つけた。かつて自分にもあった、よりよく生きようとした少年期の魂を思い出していたのだと思う。出身中学校を訊ねたとき、僕は彼女との関係の中に入っていった。隣町の中学だった彼女と、地理や出来事が重なり、関係を呼び戻した。記憶の中で僕は幸福感を味わった。色彩の失われていた過去の風景の中へ、彼女が彩りをもってやって来たのだった。

彼女の希望はキャンバスの色ではなく、草花の生きている物だけが持つ色の光だった。生き物として誰もが持つ光だったのに、そのとき僕は彼女の中にだけその光を見つけていたのだった。それは彼女が僕の中にもあった同じ光を見つけてくれたからだった。僕は彼女と手を握ることが出来たし、笑わせることだって出来た。彼女もまた僕のそんな取り戻す明るさに増して輝いた。

彼女の希望、それは家を出ることだった。病床の義母、酒呑みの父、まだ中学生の義弟と小学生の義妹のいる家を捨てて誰かの所へ。家を出ない限り誰の所へも行くことができない。家から連れ出してくれる誰かを待つ彼女だった。

僕がその希望の役割を担うことになった。僕は君も知っているように、意味を与えられれば、自分の必要性さえわかれば、不思議なエネルギーを発揮するものだった。何をも恐れず、意味と必要性の限り、省みる自己を持たず立ち向かうのだった。

母は病気といっても慢性の腎臓病だったし。酒乱の父は、彼女の母を病死させた憎むべき男だった。戦う理由は充分そろっていた。彼女は罪をもたない。罪をもつのは彼らなのだ。僕はためらう彼女を制止して、彼女の家に乗り込んだのだった。

「彼女は僕と結婚します。彼女は家を出て僕と住みます」

僕はその時、彼女を連れ出すことだけを考えていた。彼女が僕と結婚をする。彼女が家を出て行く。だから何も干渉してくれるなと言っていたのだった。

昼間から呑んでいたその男が開口吐いた言葉は「仕事は何をしているのかね」であった。僕は自分の結婚の資格など考えたことはなかったし、結婚は彼女のことであり、僕の資格など関係のないものと思っていた。彼女の意志だけで充分だと考えていた僕は、突然「お前は何者だ」と問われ、回答の出せない質問を浴びせられたように当惑した。

僕は一体何者なのか、答えを探して漂っている身であった。

「そんなこと関係ないでしょう」
結婚を申し込む僕が吐いた言葉だった。
「家具のセールスマンなんですって」
彼女のとり繕う声があった。
「セールスマンか」

男は気抜けしたような、軽蔑にも値しないというように、今まで酒を呑みながらも威厳を崩さず、用心深く僕を観察していた眼に笑いさえ浮かべた。

「セールスマンで何が悪いんだ」

僕はセールスマンをしている自分が貶められたなどと思っていなかった。僕は他人に貶められるほど卑屈ではない。僕はその時初めて、貶められている人々がいる事と、人が人によって貶められる事に対して怒ったのだった。

「貴方は何ですか、昼間から酒を呑んで、洋子さんの収入をあてにして、親として恥ずかしくないのですか」

僕は正しさを確信していた。悪いのはこの男だ、救われなければならないのは彼女だ。僕は隣の部屋で寝ているという義母の分までと、喰ってかかった。

「君に説教される筋合はない、洋子は家族だ。君は自分の事を心配したらどうなんだ」

男は何の痛みも表さなかった。僕は彼女がその男と、家族にしっかり組み込まれていることを知らされるばかりだった。

「ところで、君の家族はどうしているのかね」

家族? 僕に家族などはない。突然、僕は自分にもあった家族の事を考えてしまった。

ここまで書いてきて、僕は君以外の読者を意識している事に嫌気がさしてきた。あの時の意味を考え、共有したいという君と僕だけの関係で書くはずだったのに、僕はいつかストーリーを追っている。

人生の意味を無意味、存在そのもの、または現存在と規定しても、なお残る存在そのものの人生。いかに生きようと変わりはない。規定や意味など問わず実存する人間。いつ費え去ろうと悔やまぬ覚悟をしていたとしても、投企によって主体をもって生きたとしても、交感をもって内的世界を生きたとしても、残る存在とはなんなのだ。

カフカがミレナを求め、キルケゴールが神を求め、ニーチェがツァラトゥストラを創り、カミュが反抗を説く。そしてサルトルは人は本来自由だと言う。が、一体それがなんだ。何も解決などしていない。社会的、個人的な諸矛盾に対して一人で立ち向かおうとした時、生き方は決まるが、なお解決しない不条理、無意味。

このけっして倒すことのできない魔者に立ち向かうことだけが意味のような実存。時々訪れる錯覚だけが救い。涼風のように、それが時に病後であったり、かつて信じた理想の名残りであったりするが、圧倒的部分は闇。

先程、散歩をしていて、人の営みにやりきれなくなった。同時に、毎日同じ公園を徘徊しているだけの自分の散歩。窒息しそうな狭さへの恐怖に襲われた。変わりはしないグラウンドの人々、木々の緑、砂場の母と子、空気だって風があり涼しい。なのに息苦しく、壁に閉じ込められているような圧迫感。

何処か遠くへ行きたい、今のこの時間から逃れたい、魔者から逃れられるだけ逃れたいと思った。が、何処へ逃げたとしても、何をしていても同じ。魔者の手からは逃れることはできない。神は死んだ。何でもできる。しかしそれは存在の範囲でのこと。

唯一この魔者に立ち向かう有力な方法は、存在をやめること。かつて一度この方法で戦った僕。解ったのは、人の歴史がこの存在という魔者と戦っては破れた挫折の歴史であること。そのことが解っても、存在を続ける限り戦う他ない人間。あの時以来、僕は一人で、僕の戦いを始めた。これは人の徒労であり、人の無意味だったから。

僕は始め、読者や作品に関係なく、あの時を解明しようとしていたのだった。そして君にあの時の意味を理解してもらおうとしていた。君なら、僕のこの理屈っぽい文章も独断的な考えも、理解してくれる、時に一緒になって考えてもくれると思って始めたのだった。

僕はあの時、君の「死ね」の言葉で自殺未遂をし、死んだつもりが生きてしまい、君にも助けられた。あの時、「一緒に生きて欲しい」と僕に言ってくれた君だったから、今僕は、手紙という形式で作品を書いているのだった。

なにしろ、僕はほんの少し希望を持ったがために、希望を失くしたのだった。
セールスの仕事は、田舎では最も手っ取り早く金が入り、束縛が無かったからやっていただけ。続ける予定も見通しもなかった。東京にいる時は、仕事は何をしていても不安は無かった。誰もが不安の中で生きていると思えたから。街には浮浪者も住み、彼らの孤独を思うとき不思議な安心があった。

が、田舎の人口五万人位の町では、たとえ遊び人風情であっても、土地に根をはやし、揺らがず人々と生きているのだった。僕はそんな田舎の張り巡らされた根に窒息しそうだった。妻子に去られたことより、その時僕にはもう行き所が無くなっていた。東京での生活に疲れ、田舎では人の付き合いになじめず、唯一彼女だけが救いになっていた。彼女を救うことによって自分を救いたかったのだ。

ほんの少しの希望を抱いたがために、訪れた不安と絶望。彼女と出会わなければ、僕に危機はこれほど早くは訪れなかったと思う。君に心配をかけながらも、いまだに漂うように生き続けていたことだろう。

不安は人の属性なのだから心配はいらない。だが、絶望だけは全ての意味を奪う。絶望してなお人間であり続けるなど、観念上の絶望にしか過ぎない。絶望とは無意味を見てしまうことなのだ。

人は他人が見てつまらないと思える事でいとも簡単に死んでいく。サラ金で、仕事上で、育児で、時に病気、ノイローゼと言われるもので、人それぞれによってきっかけは違うが、見ているものはみな同じものなのだ。無意味というもの。

人は初め無意味であった。それが生きるに従って意味を付与され、自分でも意味が在ると錯覚してきただけのもの。錯覚に気がつき露になった自分の姿が無意味というもの。人の本質が無意味でなかったら、人は死ねるわけがない。無知、貧困が問題ではない。無知、貧困でなくても人は死ぬのだから。人が一人でも自らで死ぬということは、人の本質に無意味というものが在るということなのだ。

無意味な者同士が見付けた意味、それが恋愛というものに思える。失恋とは、その唯一無意味を忘れさせてくれる人と人との関係においてさえ、意味を失うということなのだ。生まれてより人との関係において意味を見い出そうとしてきた人が、そこで全ての意味を失うことになるのだ。

その日僕は、けっして人がそんな事で絶望の渕に沈んでいくと思えないようなことで落ちて行ったのだった。

「君が本気で洋子に結婚を申し込みたいのなら、しかるべき仲人をたて、双方の家の了解を経てすべきだ。結婚というものは二人が好きになったから出来るというものではないのだ。人には家族というものがあるのだから」

反対をしているのではないと言いながら、男は彼女の前で僕の本質を露にしようとしていた。

「聞くところによると君は離婚の前歴があり、子供もいるという。その辺はどうするのかね」
「子供は妻の実家ですくすく育っています。僕のような親はいないほうがいいそうで」

僕は妻の別れ際の言葉を思い出して言っていた。

「そうは言っても子供は思い出すだろう」
僕は男に誘導尋問をかけられているようだった。
「君は子供が好きではないのかね」
「そんなことありませんよ」

僕は彼女が無条件に家を出て、僕のところへ来ることを信じて、最初の意気込みも忘れて男と話し出していた。子供と僕の関係。僕が子供を求めないにしても、子供によって求められる父と子の関係。

僕の生後一カ月で死んだという父。僕はかつて母の記憶からも抹殺されている父を強く求めたことがある。幼少期、父さえいればもっと現実に親しみをもつことができたかもしれないと。意味を見付けていく中途において父を失った自分の子供の事。僕は子供に僕の二の舞をさせてしまった、救いがたい自分に囚われていた。二重の意味で、僕は自分の救いがたさを思っていた。子供に父を演じてやれるなら、僕は僕の子供時代を救うことにもなったのに、僕はできなかった。僕は自分の無意味さの上に罪さえ付け加えていたのだった。

僕はまたしても、自殺など考えたことのない者が一般的に理解できそうなことで、あの時をとらえようとしている。親の反対や僕における結婚の条件は重荷ではあった。だが、そんな事が、僕が突然見てしまったものにどれ程の意味があったか。彼女はその後、僕と駆け落ちさえしてもいいと言っていたのだから。

僕は初め、彼女への結婚の意思が僕に希望を感じさせた。それが、絶望に変わっていったのだ。彼女の僕への理解がきっかけとして全過去が露になったのだ。人生の意味は本質的に疑っていた、その僕の無意味がはっきりとしてしまったのだ。信じることができないのに結婚をし子供までつくった。そして再び同じ無意味を繰り返そうとしていると。

君はそんな僕を昔から信じることができないようだった。
君と知り合ったのは高校時代からだったが、君は「生活者」だった。親元を離れた君は一人アパートを借りて生活していた。君の招きに応じて訪ねた六畳のその部屋には、コンロや食器棚、本箱、ステレオと物達がひしめきあい、壁には切り抜きの絵なども貼られ、君が物や生活を愛していることを知らされた。

僕はといえば、現実というものがいつも何かのための準備のように思えて、親しめなかった。従って僕の部屋には本箱もなければレコードプレーヤーも、現実を享楽するような物は何一つなかった。「何もないんだね」と暫くしてから言った君の言葉を今でも思い出す。

僕は未だに物を揃えるのは苦手だが、君の部屋を最初に訪ねた日の印象を始めとして、次々と人と自分の違い、生きている実感の乏しかった自分の人生というものを思い出して行った。好きになって結婚したのではあった。子供も欲してつくったのだった。それは、何かのための準備ではない僕の初めての現実だった。その現実は僕に物と生活を愛することを強いた。僕は乞われるまま従った。が、それは僕の努力でしていることだった。綺麗だと思って買った鉢植えを、一週間後には枯らしてしまう水やりのように、努力を怠ると毀れてしまうものだった。現実が何かのための準備であるように思えてならなかった僕は、永くは努力を続けられなかった。

僕は彼女が駆け落ちをしてもいいと言ったとき、人生の無意味を思い出してしまったのだ。人生が何のための準備なのかを、見てしまったのだった。

僕が幼少よりしてきたこと、それは「死への準備」だった。準備のための現実を、物に親しみをもつことで、人と関わって過ごすことで忘れるようなことはなかった。いつも靄のようにかすんでみえた現実。僕は認めたくなかったのだ、感じたくなかったのだ、物の意味や価値を。人が死への準備のために生きなければならないなど、絶対認めたくなかったのだ。が、僕は知らず知らずに認め、準備をしていたのだった。

彼女がきっかけではあったが、僕ははっきりと知ったのだった。唯一僕に残された意味があるとすれば、準備をやめること、何かのために死ぬこと。その何かが君だった。君は僕の死を引き受けてくれると言った唯一人の人間だった。君は僕の人生の無意味への反抗をいつかきっと理解してくれると。

君に睡眠薬を呑みながら電話をかけたとき、ふと思ったことは、人の死など生きている者が、二十年も会っていない知人友人のことを考えるようなものだと。死んでいるのか生きているのかも解らないが、その人間を知っているという関係だけだと。僕に親しい人間などいなかった。もともと僕自身も僕においても人は死んでいるようなものだと。死とは生きている人間の意識だけであって、それも百年前の人間の死などもはや死ではない。何処にも人の死など残ってはいないのだ。僕はせめて君の生きている間だけでも、僕の死を残そうとしたのだった。

僕は酒を飲みながら睡眠薬を呑んでいた。あの時、僕に山の緑も、空の青も浮かばなかった。忘れることができなかった人生の無意味、徒労感。僕は人の虚しさに泣いていた。薄れる意識のなかで、僕は君に別れを告げていた。

昏睡してからのことは何もしらない。猛烈な吐き気と頭痛で目が醒めた時、ベッドの横にはおふくろがいた。何も知らないおふくろは、僕を助けてしまった。僕は再びは生きたくなかった。おろおろするおふくろに怒鳴り散らし、人や物にあたり続けた。

翌日、僕の死を引き受けた君がやって来た。唯一の僕の死の保証人である君を、僕は敵意をもって迎えた。生きてしまった僕には、もはや君は保証人ではなかった。が、君はあくまで僕の保証人であり続けようとしていた。君の「本当に死ぬ気だったのか」の言葉は僕に喜びを与えた。君が、まだ僕の死の確かな保証人であることが嬉しかったのだ。

散歩に出た喫茶店で僕は「どちらでもいいことなんだ」と言った。君はどこまで僕が死を意志していたのかが問題のようだったが、人の死への意志に量などない。僕は君の期待に応えられなかったことだけを悔やんだ。考えたつもりだったが正しい睡眠薬自殺の方法ではなかった。が、僕はその時もうどちらでも良かったのだ。他に方法はいくらでもあったし、再度の反抗を決めていたのだった。

「今度は失敗しないから」
僕が意志を示した時、君の態度は急変した。
「僕が悪かった、許して欲しい」
と、僕の死を自らの罪のように受け取る君だった。
「死なないで欲しい、一緒に生きて欲しい」
とも。死の保証人が僕の生の保証人になるべく、僕の死を自らの死のように哀訴するのだった。

僕は僕の死を君に残そうとしたが、それは君の意識上のことで、僕の死は依然として僕のものではあった。君が僕の手を握るに及んで、僕は死を一時保留しようとした。君が僕の死だけではなく、生をも引き受けようとしていたから。

君の涙とその後の笑顔を見ていると、僕は幸福だった。僕は一瞬、物の無意味も、無関心も、死の準備のような人生も忘れていた。君が僕の目の前で今を生きていることが不思議だった。空も山も人も、存在そのものがその時僕の目の前に在ることがたまらなく不思議だった。世界は不思議で構成されているとさえ思えた。人生はこの不思議さが感じられるだけで充分だとさえ思えた。この時の不思議を僕は未だ君に伝える方法を知らないが、僕はその時、君の徒労、君の無意味を僕も一緒に生きようとしたのだった。

以来、僕は君と生き延びて来た。君に伝えたかったこと。
物も人も、あらゆる自然、存在は人にとって何の意味も持っていないということ。人が勝手に意味や理由を付けてきただけ。何か意味があると錯覚しているだけ。絶望を考える時、死を考える時、それははっきりとする。人と物との関係を意味付けにおいて考えるから、罪などというものをしょい込むのだ。

自然において人は関係はないのだ。人がいなくとも万物は生きていける。人が種としても絶滅した後に、何の意味や目的があるとするのだ。自然は人の意味や関係など記憶しはしない。人にとって意味や価値があるのは、生きている人間においてのことなんだ。この生きている人間において、最も価値と意味があるものとすれば、それは「無意味の理解」なのだ。

無意味の理解だけが人に勇気を与える。自然が勇気あるのは、彼らが意味付けではなく無意味を行っているからなのだ。人以外の生物においての勇気の源泉、それは意味や目的を持たない中にあるのだ。

今君と共有したいもの、この自然において無意味、無関係な者同士の意味と関係をしっかりと結びたいということなのだ。この世界に投げ出された、存在しなくともいい人間同士で、一人でいいのだ。この世界で自分たちの無意味を確認しあった上で、結び合う人間が。

僕が今生きて、この無意味と戦おうとしたとき、君に対する僕の絆をどうしても確認しておきたかった。君は僕の申し入れを受け入れてくれるだろうね、あの時を何にも替えがたいものとして共有した仲なのだから。

君に長い手紙を書いているうちに深夜になってしまった。店内に客はポツン、ポツンといるばかり。くすんだ橙色の明かりに照らされ、アベックが顔を付き合わせ、小声でヒソヒソと無意味を話し合っている。


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