「3.11からコロナ」 この10年を費やしてきて、唯一者と私対世界を得、この1年はコロナ | mitosyaのブログ

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個人誌「未踏」の紹介

「3.11からコロナ」

この10年を費やしてきて、唯一者と私対世界を得、この1年はコロナ、最早辟易、私に帰ろう、ツァラトゥーストラのように、私という唯一者、今という時へ、

「今や見えた」

世界の人間の行く末が、可哀なエミコ、二人に帰ろう、今を残りの時、を、癌を生きた二人だから、どんな事でも共に喜べるはず、

「お客さん」

マスクをしてください、消毒をして下さい、体温を測って下さい、間隔を空けて並んで下さい、ワクチンを打って下さい、出歩かないで下さい、飲み歩かないで下さい、

「人間の邪悪と献身」

ハラリはホモサピエンスの犯罪をひもといている、その点は歴史として意味、ホロコースト、法輪功、チベット、世界の邪悪は今も様様々に、人間への絶望こそ、献身、信頼は理想へのもの、自らを否定ではなく、人間への絶望でいい、人の実存も理想へのもの、絶望は実存ではない、私一人、絶望も理想も超えた所に在るということ、人の崇高、犠牲は救いであるは、がこの邪悪に、世界を理想をしたこの、

「人生とは何かを」

たとえ3.11そしてコロナであっても、作家は、私は、カミュではなく、私は3.11、コロナを描かねば、人生で嫌だったことを昨日は、数えあげてしまった、考えれない、振り返ってみれば、嫌なことばかりであったとの、それでも人生とは何であったのかと、

「五輪真弓を聴いて」

16歳の心を今も持つ、記憶の感情、エミコは私の中では16歳、だのにエミコは今や74歳、悩んでいるのだった、私だけが16歳で、エミコが病んで、エミコの笑顔によって、私の幸せは守られていたのだと、私は人生の幸せを求めてきただった、妻と子と、その上で文学を、

「人生を振り返ると」

私の実存という感情を理解、共感する者は皆無であったということ、実存主義の実存とも違う、あえて言うならリルケ的な、否、私の全人生的な体験が、私の実存であり、刻まれた感情の記憶、どれを、何処をとっても私という、この感情こそが絶望に対する答え、

「Tとの対話」

本日というのは、数日おきにTからTELがかかり、縄文手記の進行状況の話やら、コロナ等の感想を聞いては、で私はその都度コロナの嘘と世界の構造、仕組みを語るのだった、本日も私の未踏を読み直して共感すると、しかし今少し説得力を持った、客観的な方法を取り入れてほしかったと、多くの批評は、私の独断、主観、読者を考慮しなで書かれていることへの不満、又は拒否であるためだった、
私は読者そのものを、批評、対象にして書いていたのだから、当然ということとなる、それがどうしたのと言い返され、こんなものは文学ではないと裁断され、それがTの感情であるのだった、コロナのデタラメさ、トランプの正義を述べた時、反論が返ってきた、知らないことと、世間から隔たった考えに対して、私への一笑、臨死体験、憲法の青空感、共産党、自分を否定されてような私の論調への、

「原発からコロナ」

3.11後の世界として、コロナパンデミックが、3.11の問題が露出になったのがコロナ、また絶望を超えて、世界が動き出したのがコロナ、
この10年、世界は1%対99パーセントの闘いへ、覚醒した人々も、そうでない人も、微笑んで語り、

ジン・シャープの言うように、体制は瓦解する、構造主義の終焉、自然は構造などではなく、共生、フラットな、自在であることの、ハラリの観点は、自然遊離の、科学信仰の果ての論考、世界はいずれ人類亡き後、その途上においても、自然にかえるだろう、

「絶望主義だけが」

世界の構造、歴史が解ればわかる程、世界は絶望的だと了解され、絶望を共有し、時を、今在ることを取り戻すこと、コロナより、世界の構造より、世界金融資本より、原発、核の汚染、この地球がどれ程絶望的であるのか、絶望主義だけが、この地球の真実である、

「私対世界のその世界は」

この地球、この地球の歴史、文化、今在る人間以外ないのだ、その地球にあいそが尽き、興味が失せ、74年間の食傷、3.11が、コロナがなくとも、在ることに倦み、絶望さえも、コロナでわかったことは、全世界が支配されているということが、3.11は、原子力村、IAEくらいだったが、コロナを通して世界が完全に支配されていて、マスコミ、金融、宗教、文化、etc全てが、意図、計画をもってと、放射能入りから、フェイク、嘘入りと、

「原発恐くないと騙され」

コロナ怖いと騙され、コロナを作り広める者と、人間の歴史をハラリが見ていない人間の魂からの、世界は陰謀で出来ていることを通して、その絶望を通して、未来を、

「村上昭夫」

石に言葉を刻む、私は草木に声をかける、おはよう、今日彼らが生きているなら、私も生きようと、生きられると、草よ、木よ、
絶対的孤独を、父は味わっていた、あの獄房の中、父、今助けに行きます、
冷暖房などない、雑居房で、プライバシーなない、父は10年を過ごし、娑婆を見ることもなく、死んでいった、
世界の刑務所で、罪ある人が、罪なき人に、監禁されている、世界の罪ある人よ、私も彼らと共に、
自分のことばかりじゃないか、小説で自分と家族のことを書くとはない、自分で心にしまって置くこと、自分が可愛いだけじゃないか、
初めに言葉ありき、
しゃべるな、初めに言葉などない、
それでも、私はホモサピエンス、共感し、助け合い、言葉を通して、ネアンデルタール人ほどの逞しさはない、

「ニイチェが何故ザロメに」

女への、苦悩と共感、Uがそう映った、苦悩が、私への共感のように、しかしUは他の男への思慕が、苦悩となっていただけ、私への共感などではなかった、なのに私は一方的に愛を告白し振られ、失意、痛手、そして自己の確立へ、ニィチェも似る、ザロメへの不遜から自己へと、ツァラトゥーストラを1カ月で書くほどの、

「コロナと人口削減が」

確信的となる、
細胞
ウイルスが病気を引き起こすのか、
トーンレスター、デビット・パーカー、アンドリュー・カウフマン、
がん患者100パーセント死亡した、(一人だけ何もしないで生存、ガンが消えた)
何によって病気になるのか?
証拠がない、論文だけ、HIV
医学に科学的基礎がない、証拠があるのかと、
スペイン風邪
〇1000万人~1億人、
〇ウイルスだ、バクテリアだ、インフルエンザだと、
〇ワクチンを受けた後、数千人の兵士が死んだ(数千種のワクチン)
〇アスピリンの処方、喘息の悪化
〇複合的病気
細菌理論のには科学的根拠はない、
パスツールは化学者、医師でてはない、
バクテリアが死んだ細胞の周りを取り囲んでいる、バクテリアが原因だと、
火事は消防車が原因だと、
電子顕微鏡から、毒素をウイルスと名付け、
梅毒に水銀、ヒ素を使う当時の医学、
AZT(AIDSの薬)で全員死んだ、
HIVは抗体の検査、ウイルスの検査ではない、
細胞があっても病気にならないケースに対して、
医学は科学ではない、宗教である、
連鎖球菌は健康な人でも持っているが、病気になる人とならない人がいる、
コッホの4原則、
病人にはこの細菌がいる、
細菌と同じ数のバクテリアがいる、数10兆、掃除屋のバクテリア、
ラウンドアップの除草剤がバクテリアを殺している、
狂牛病と有機リン酸エステル、
伝染病の原因は、毒物の複数の組み合わせ、
白血病と歯の詰め物、取ると治り、戻すと病気に、
白血病治療は、脊髄細胞を全て殺す、
ポリオと急性白血病~鉛ヒ素の消毒剤で、その後DDTに、
毒物が全ての病気の元である、

原発との闘いはコロナと同じであった、原子力村はただの営業所、これは世界規模で利権だけではなく、世界支配という野望を持って、組織化された、世界のメディア、金融がグローバリゼィションの中で、縄張りを分け合った中で、共有された計画、グローバル2000、etc、のシュミレーションに基づいて、人類家畜化計画、コロナを通してそれらが、姿を現したということを、明確に知ることとなった、反原発のように、反コロナが世界を繋げるかどうか、人口削減はおまけ、人類家畜化がメィン、金融、経済支配の世界統一政府、反コロナを通して新しき人が、反原発より明確に、世界構造を捉えて、うねりとなって、世界規模で闘えるかどうかに、掛っている、