「陰謀論」 為政者、権力者は、何時の時代でも、何をおいても、 | mitosyaのブログ

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個人誌「未踏」の紹介

「陰謀論」

為政者、権力者は、何時の時代でも、何をおいても、コントロール、統治をを旨とし、画策するが、70億の人間と、宇宙の一角である地球にあって、人為の及ぶことなど、大したことはなく、あらゆる陰謀も、火山の一吹き、隕石の一撃で、吹っ飛ぶほどのもの、やりたいようにやったらよい、神に縛られることもなく、自らを生きればいい、

「実存という領域」

人の特別な、などのものではなく、只人生、生き物の生態の様に、変わらず、只奇蹟、只有、存在するという、驚き、共感するだけで、実存などと特別言うことはなく、只存在で良いと、

「世界が嘘で成り立っていることの」

かつて、自明であった世界の嘘と真実、その中で理想を追っていた、それが社会主義であっただけ、今、この社会主義に代わる理想が、幻想に帰しただけ、理想は個々人の、私の中に、癌になって解る、私と世界の関係、世界とは私と世界の関係なだけ、私が世界をどのように処するかなだけ、

「思い出、過去が」

信じていた、了解し肯定していたものが、嘘、否定へと、友人、知人、etcの立ち位置、言説、世界の知識人、芸術、文学、哲学への、懐疑、知識への、発狂するニィチェ、一人立つことの、絶望するカフカ、私対世界を神とではなく、私と宇宙で、

「日本中がマスク信者に」

タバコを吸うのに、公共スペースは禁止と同じように、公共でのマスクが必要と、徴兵制には反対するが、マスクには反対しない、死刑には反対するが、ワクチンには反対しないマスクは同調圧力だが、ワクチン、マイナンバー、ICチップへと、反対世論を封じ込め、テロとの戦いから、コロナとの戦いへと、彼らの最終戦へと、

「思想、哲学が問題ではなかった」

それらがコロナを通してはっきりした、原発に対して、核に対して、様々な政治課題に対して、統一が出来ないできたことの、コロナに対しても、思想、哲学のように考えの違いが現れ、カミュのように、ペストのリウ医師の、只誠実に医療を続けるだけと、それが絶望に抗する方法と、情報、捏造の問題も、報道が、日本だけではなく、世界が捏造に対して同列、いつの時代であっても、権力、善悪に対し、現象学的に世界を還元しても、現前する支配システム、ガリレオ、ソクラテス、イエス、仏陀の問題であった、只、私が世界とどう対するかの、

「世界は階級闘争の歴史ではある」

が、私対世界の問題である、5万とある世界の矛盾に対して、どう対するかの、作家はその対し方を、各々に表現してきた、SF作家はデストピアを、R&R、1%対99%の問題ではない、人存在の問題である、人間とは何かの、私は無の上に絶望をで、いずれパンデミックも収束し、世界は絶望が露わとなり、無の時代に、

「文学の到達点は」

古今の作家の作品群ではあるが、現代というこの絶望に対しての答えが、どこに、誰にあると言えるのか、デストピアのSFにしても、答えではない、絶望に対する答えとは何かが、
宗教に、哲学に求めたとて、答えとはならず、

「コロナは嘘で、捏造、ヤラセで」

マスクしたい者はマスクを、自粛したい者は自粛を、権力誇示したい者は権力誇示を、全て良いではないか、やりたいように、核と同じで、人間はいない方が良いで、自然は生命は、危機を幾度も、誕生から35億年の、一瞬の人発生で良いではないか、

「サタンタンゴとコロナ」

理想主義に乗せられる国民の構図、それを冷笑する官僚、知識人という、現代の世界の構図、パンデミック、医療、戦争、全て支配構図の中での、サタンタンゴの世界が今まさに、

「世界の絶望に対して」

私対世界で、私の時間を至上として、生きるということは、世界と関わることだが、政治と関わることだけではない、人生という時間と関わる、あと何年という時間と、癌となった日、死を生き始めた、否が応でも訪れる、私対世界、この私対世界こそが、絶望に対する世界、

「萬田緑平」

ホスピス、緩和ケアをやっている医師、終末の人生を自らのものへと、野の花診療所の徳永医師と同じ、がんと闘うなの近藤誠、etcの、終末の数年、あっと言う間の時、花の咲くのを日がな見ていたYのように、時の流れの中、コロナ、グレートリセットを、

「抗がん剤をやるかやらないか」

かつて私が癌の時、手術をするかしないかを、Yと議論した、Yは安直に断食を奨め、私は君が癌だったら断食でいくのかと、黙ってしまったY、同じことがMさんに、死んだ友のすべて、医師の勧めのままに抗がん剤をやり、苦痛の中をあっと言う間に死んでいった、ゆっくりと死期を迎え、笑って死ねたなら、癌など、寿命でいいのだが、突然宣告され、余命を告げられ、抗がん剤であっと言う間に、死を迎えることが問題なのだ、O、Y、H、M、S、H、M、H、T、みな半年とは生きなかった、

「1978年、冬~リー・チシアン」

中国、毛沢東時代の終わり、荒れ狂った時代、私の高校時代、10年後の時代だが、時代の空気を知っている、憧れ、情熱、重く、暗く、青春の歌の楊沫(ヤン・モー)、も糾弾され、劉少奇、中国貿易、人民画報、毛沢東語録、造反有理、紅衛兵、愛知大学、

「時に含まれてあるもの」

我が人生、音楽に、詩に、文学に、絵画に、映画に、どの一コマも、時は私と共にあった、私はこの時を所有するために生きてきた、人生とは時の所有であった、

「ライ予防法の世界」

人間は100年前と、何も進歩していないと言うこと、ライ患者は排除、薬が出来、害が無くなっても、隔離、家族は絶縁、エイズに対しても、現在のコロナに対しても、あらゆる伝染病に対して、隔離が被害を少なくするとの、隔離が前提の公衆衛生が、医学とは何であったのか、呪術から、外科、近代医学へ、遺伝子組み換え、IE、宗教から科学へ、鳥インフル、トンコレラ、etc、
●ハンセン病で職員は一人も感染していない、
●自然に治る人もいる、治った人から感染することはない、
伝染病予防法~コレラ、赤痢、腸チフス、天然痘、チフス、しょう紅熱、ジフテリア、ペスト、
トラホーム予防法、性病予防法、寄生虫予防法、結核予防法、予防接種法、検疫予防法、

ヒポクラテスの誓い~鈴懸の木
ニュルンベルク綱領
結核菌とストレプトマイシン
黄熱とウイルス

「医学が希望であった時代」

有史以来の感染症との闘い、14Cのペスト、1879年コレラワクチン、から始まって、現在のコロナまで何十種のワクチン、1929年ペニシリンの登場、1943年ストマイの発見、
栄養と公衆衛生で予防できる病気が、ワクチンで予防するという考え方へ、製薬会社の利権という、医学を狂わせ、癌、血圧、糖尿病、健康診断と、

「国家と同じように」

政治の邪悪がパンデミックに、国家が収奪機構であるなら、自明なことであるが、支配としての政治に、公衆衛生の名の下に、私権の制限、あげくは人口削減などと、