椋 鳩十(むく はとじゅう) 赤い花 | mitosyaのブログ

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個人誌「未踏」の紹介

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 日本児童文学体系  椋 鳩十(むく はとじゅう)

  赤い花

 一〇

女の子が帰ってきた。そして、とってきたばかりの山バチのミツを、冷たい水でとかして飲むようにすすめた。さびしさと悲しさでたまらなくなっておちるぼくの涙を、女の子はひとつぶ、ひとつぶ、小さい人さし指でぬぐってくれるのだ。そんなことをされると、よけいに悲しくなって、ぼくは大声で泣きだしてしまった。
 翌日にはハギの寝床の上に、すわれるくらい元気になった。女の子は、赤いユリの花を、ひとかかえもってきて、前の川岸にさしてくれた。
 「ああ美しい。」
 ぼくは思わず叫ぶと、女の子は、大きく目をみひらいて、だまって笑った。

 一三

 ぼくにもえ木をぶつけられたりしたのに、あの山の親子はなぜあんなに親切にしてくれたのだろう。それなのに、ぼくはあの女の子に、何のおわびもいわなかった。
 ふと見ると、川原の銀砂の上に、小さな足あとがついていた。あの女の子のだ。ぼくはそれを両手ですくいあげた。ぼくの両手のなかで、その足あとはあとかたもなくくずれて、銀砂だけが、両手の上に白く光ってのこっていた。

 

 

椋 鳩十(むく はとじゅう)

 

 

 

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
椋 鳩十(むく はとじゅう、1905年1月22日 - 1987年12月27日)は、日本の小説家、児童文学作家。本名は久保田彦穂(くぼた ひこほ)。

 

 

生涯
長野県下伊那郡喬木村阿島出身旧制飯田中学(現・長野県飯田高等学校)、法政大学法文学部(のちの文学部)国文科卒業。大学在学中、佐藤惣之助の『詩の家』同人となり、1926年に詩集『駿馬』を発表する。卒業後、鹿児島県熊毛郡中種子高等小学校に代用教員として赴任するも、3ヶ月で解雇となる。 その後に姉の紹介により、同県姶良郡加治木町立加治木高等女学校の国語教師に着任する。仕事の傍ら、宿直室を使い作家活動を続け、 1933年に最初の小説『山窩調』を自費出版する。この時初めて椋鳩十のペンネームを使った。

 

 

戦時中という状況もあり自由な表現が弾圧される中、『山窩調』も発禁処分となった。 しかし同年、『少年倶楽部』の編集長であった須藤憲三より執筆依頼の手紙が届く。椋は数年放っていたが、須藤の送った「怠け賃」に感激し、児童文学を書き始めた。

 

 

1947年には鹿児島県立図書館長を務める。館長としては、GHQによる軍国主義的図書館資料の排除(実質上の廃棄・焚書)命令を書庫に封印する事を条件に命令実行を回避するなど、図書館の独立を守りながらも図書館の再建に努めた。だが、戦後の財政難によって図書館再建は困難を伴った。そこで、県と市町村による図書館の共同運営を行って、市町村立図書館の設置が出来ない市町村では、教育委員会や公民館に図書館(サービス・センター)を設置して県立図書館がこれを支援した。また、県立図書館が主導して図書を購入し、市町村立図書館やサービスセンターに貸し出す事で市町村図書館・サービス・センターと県立図書館が役割分担を行う事で相互の役割補完を目指した。椋のこの運営方式を図書館学では「鹿児島方式」と呼称しており、後の図書館ネットワークの構築に大きな影響を与えた。また、創作と並行して1958年には島尾敏雄を館長とした奄美分館を設置、1960年には読書運動である『母と子の20分間読書』運動を推進した。 1967年からは鹿児島女子短期大学教授を務めた。

 

 

小学校時代に手にしたヨハンナ・スピリの『アルプスの少女ハイジ』を読み自然美に感動し、その後読んだエマソンやツルゲーネフといったディープ・エコロジーの思想も受けている。特に児童動物文学の影響はジャック・ロンドンからの影響も強い。 野生の掟や親子愛をテーマに書かれた児童動物文学もあれば、社会批判を面白おかしく童話風に書いたものまで、作風は幅広い。

 

 

鹿児島県内の小中学校・高校の校歌に詩を提供しており、今なお歌われ続けている。なお、作詞者名にペンネームではなく本名で名前が書かれている場合もある。

 

 

1987年に逝去。享年82。

 

 

長野県下伊那郡喬木村に椋鳩十記念館、鹿児島県姶良郡加治木町に椋鳩十文学記念館がある。1991年より椋鳩十児童文学賞が開催されている。

 

 

2007年現在『大造じいさんとガン』は、小学5年生の国語教科書の教材になっている。

 

 

主な作品
『片耳の大鹿』(1952年・文部大臣奨励賞受賞)
『大空に生きる』(1961年・未明文学奨励賞受賞)
『孤島の野犬』(1964年・サンケイ児童出版文化賞受賞・国際アンデルセン賞国内賞受賞)
『マヤの一生』(1971年・国際アンデルセン賞国内賞受賞・児童福祉文化奨励賞受賞)現在、小学五年生国語教材
『大造じいさんとがん』(1980年・和国特許委員会最優秀賞受賞・児童学校学習最適賞受賞)