朝が初めて綺麗に見えた、涙が出た | mitosyaのブログ

mitosyaのブログ

個人誌「未踏」の紹介

私対世界ということ、他人、社会に私を委ねないで、誰かがやっている、誰かが生きているでは、私対世界の意味は失せ、世界が彗星一個によって、消滅する事実を知っていて、神を絶対視する人間の存在など、神とはもっと無限のもの、普遍の、イデア、アプリオリなるもの、私の生きる理由とは、これら人間存在などに関係なく、私が私を生きる中に、生きて何をするかは別問題、社会、他人との関係などなく、私を生きるとは、どのように生きても私を生きることとなり、私対世界との関係で自死を捉え、それであって初めて世界に意味が生まれ、世界の現実に対しての抗議の死とは、人の群れ意識の中でのこと、それは組織と個人の問題、私は私の死を、強い所有意識でもって捉え、社会にけっして委ねないで、人に自死の決意があって初めて、主客一体の感情は生まれ、生きる理由は、私と世界となり、世界を私が、植木のように世話する、育てるという、義務、好き、という自然な感情に、地球は生きている、そして生命もまた、一日の生命、1000年の生命、どれも永遠の前では一瞬、何の差位もなく等しい営み、だとするなら、人は、生命は、充分に生きることだけが意味なはず、充分とは存在との一体、共感、生命の喜び、記憶が人間の特質だとするなら、人間は記憶を最も大切なものとしなければならない、良い記憶、良い経験、記憶の再構成、記憶の探検、実存を知ったのなら、生き始めなければならない、犬のように、草木のように、彼等実存の超越者なのだから、人は実存の此岸だが、彼等は彼岸を生きている、世界を実存的交わりの場ととらえ、出会うこと、世界は私の扶養家族だと、

朝が初めて綺麗に見えた、涙が出た、十時、レコード掛ける、エンヤ、レノン、マッカートニー、息子が綺麗、とても綺麗と言う、夫が怒った、ポールが好き、ジョンは嫌い、煙草を吸い続け座って聴いていた、エンヤは怖いと子供が言った、四時四十分、夫が降りてきて、パバーヌを聴いた、変化していない、五時八分、犬を散歩に出す、五時五十分、シャワーに入って、ゴミを出して、花に水をやって、九時にコーヒー入れて、また椅子に座って読み続けた、十時五十六分に読み終わった、エンヤを掛けて欲しいと夫が言った、お茶を入れたりして、今電話をかけたところ、ケルトの人で、ふっと考えていたことが、意味が、いえ意味ではなく、言葉から解放してやろうと思ったの、センチになって、夫が顔を見て安心と、エンヤもう一度かけてと、かけて、何を話したか、優しさ、曲が言っているの、ちょっと待って、わからないの、曲の中に入っているの、先週の木曜から何も手につかない、うーん、ちょっと待って、サラエボのヤドランカという人なの、ピュリアッツ賞のカメラマンが自殺したでしょ、パバーヌを聴いていたのそしたら私、突然身体が震えだし、止まらなくなったの、今なら死ねる、もう生きてられないって、苦しい、息が詰まりそう、待って、もう少し待って、
http://www.tokyovalley.com/yahoo_blog/article/article.php
純文学小説へ
芸術・人文ブログランキング