求めよさらば与えられんなのだ | mitosyaのブログ

mitosyaのブログ

個人誌「未踏」の紹介

君は一体、私とどんな交わりを持ちたいのか、人生について、文学について、どのような最前列を求めているのか、一度孤独を味わった者には、再びは連帯の中では死ねないのだ、君は私のことの何を一体知っているというのか、返らぬ答えに、独り歩むだけ、人と手を繋いで輪を作るように、共感し合い、心が淋しさを乗り越え、求めあったような、いつかの健気な心に戻れるのなら、君の誠実さ、君の涙は、宝石の涙だった、私は君と共感し、オルフェウス合奏団の奏者が共感し合って、集うことを楽しんでいたように、自然さ、優しさ、素直さ、指揮者によってコントロールされたハーモニーではなく、自発性のハーモニーがそこにはあり、オルフェウスとは民主主義の形、組織ではなく、人の自由な、求め合う者どうしの集い、彼等のパバーヌ、一人一人が心で喜びを伝えていた、あの心のような共感でなら、君の赤裸さ、あれで充分な姿ではあった、死の間際、「死なないで」と、あの涙に出会ったら、私は死ねないかも知れない、いつかのように、街の通り、ビル、人々との出会い、日常の、神秘と、共感、自己の探究においての意味が蘇る、自死によって、生きる理由は見つけたはずだった、死ぬまでの喜びは、日々刻々を生き、が、一体、私に生きている意味というものが成り立つのかが疑問だった、そこへ「死なないで下さい、生きて下さい」と、ただの共感ではない、もっと積極的、根源的な、私の意志としての生きる意味が求められ、人のために書く文学など今の私には何の役にも立たない、が、世界の自殺者に向かっては書きたい、死なないで欲しいとの思いはある、君が私に向けてくれたような、私が人に向かって「死なないで下さい」「生きて下さい」と、そして「貴方を愛しています」と、イエスがマリアを讃えたように、その位置で最良を生きる者は神なのだと、文学とはそうしたもの、自殺者、それはイエスと同じ犠牲、あがない、私の言葉は、私のあがないでしか報われない、イエスもそうであった、言葉が生命と、自らの死に繋がっていた、私が神の恩寵と繋がった自分の体を自覚し、この指から、この口から、この目から、君にこの恩寵を伝えんと、私は言葉でもって、生きてあるここにおいて、それを行おうとしている、次々と死んでいく人々、いたし方ない、求めよさらば与えられんなのだ、求めた者には与える、求め続け、生涯をかけた者には、最高の恩寵を与えんと、
http://www.tokyovalley.com/yahoo_blog/article/article.php
純文学小説へ
芸術・人文ブログランキング