アンドロスから来たむすめ 泉井久之助 訳 テレンティウス | mitosyaのブログ

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プビリウス・テレンティウス・アフェル(Publius Terentius Afer, )

世界文学大系

アンドロスから来たむすめ 泉井久之助 訳

クレメース きっと私の希望する、とおりで事がありますよう! してその少女はどうしたか。自分の娘といったろか。
クリートー いいや、そうとはいわなんだ。
クレメース ではいったい誰の子と。
クリートー その兄弟の娘じゃと。
クレーメス わしの娘にちがいない!
クリートー おお、何といわれるか。
シーモ   あんたは何をいまいった?
パンピルス {傍白}聞く耳立てろ、パンピルス。
シーモー  {クレーメスに}何であんたは信じなさる?
クレーメス パニアこそはわが兄弟。
シーモ   覚えているし知っている。
クレーメス パニアは当時戦争を、避けてアテネを出発し、わたしのあと追いアジアへと、出かけていったがそのときに、わしの娘を残すのを、不憫に思い連れてった。その後の消息知ったのは、まことに今が聞きはじめ。


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

プビリウス・テレンティウス・アフェル(Publius Terentius Afer, 英語:Terence, 紀元前195年/紀元前185年 - 紀元前159年)は共和制ローマの劇作家。テレンティウスの喜劇が最初に上演されたのは紀元前170年から紀元前160年頃である。若くして亡くなったが、その場所はおそらくギリシャ、もしくはローマへ戻る途上だろうと言われている。

テレンティウスは、元老院議員テレンティウス・ルカヌスによって奴隷としてローマに連れてこられた。ルカヌスはテレンティウスに教育を施し、その才能に感心して後には奴隷から解放した。「テレンティウス」というノーメン(氏族名。古代ローマの人名参照)は、テレンティウス・ルカヌスからつけられたものである。テレンティウスの書いた6つの戯曲はすべて現存している。

生涯
テレンティオウスの生年月日については諸説がある。アエリアス・ドナトゥス(en:Aelius Donatus)は未完の『Commentum Terenti(テレンティウス注釈)』の中で、テレンティウスの生年を紀元前185年としている[1]。一方、フェネステラ(en:Fenestella)はそれより10年早い紀元前195年だと主張している[2]。

テレンティウスの生地はカルタゴか、あるいは生まれはギリシア・イタリアで、奴隷としてカルタゴに連れて行かれたのだと思われる。いずれにしても、テレンティウスの第三名「アフェル」は、奴隷としてカルタゴからローマに連れてこられたことを暗示している[3]。「アフェル」という名前は共和政ローマの時代には二つの違う意味に使われていたが、テレンティウスの時代には、カルタゴを含むアフリカのリビア一帯の人間を指していたからである。もっとも146年の第三次ポエニ戦争以降は、カルタゴ人を指す名前は「プニカス(Punicus)」で、「アフェル」はカルタゴ人以外のアフリカ人を指すようになった[4]。古代リビア人(en:Ancient Libya)[5]またはベルベル人の家系[6]だった可能性もある。

いずれにせよ、テレンティウスは6つの戯曲を書いた後、25歳でローマを離れたが、二度とローマに戻ることはなかった。古代の著述家の何人かはテレンティウスは海で亡くなったと言っている。

テレンティウスの戯曲
Homo sum, humani nil a me alienum puto
-- 「私は人間である。人間に関わることなら何でも自分に無縁であるとは思わない」。テレンティウス『自虐者』より。

プラウトゥス(en: Plautus)同様、テレンティウスは後期の古代ギリシア喜劇(en:Ancient Greek comedy#New Comedy (nea))を翻案した。古代ギリシア演劇の再発見という意味で、単なる翻訳家に留まらなかったが、登場人物やシチュエーションをローマ化するのではなく、説得力のあるギリシアを舞台とした。

テレンティウスは苦労して自然でくだけたラテン語で書いた。内容も愉快でざっくばらんである。テレンティウス関する最初期の注釈者は、ヒエロニムスの師であるアエリアス・ドナトゥス(4世紀後半)である。中世とルネサンス期を通して人気があったことは、テレンティウスの戯曲の一部または全てが収められた多くの写本が証明し、学者Claudia Villaは800年以降に書かれたテレンティウスの写本は650冊あると見積もっている。中世ドイツのベネディクト会律修修女で劇作家のロスヴィータ(en:Hrosvit)は、教養ある人間は異教のテレンティウスの戯曲のキリスト教版を読むべきで、そのために自分は戯曲を書いたと言い、一方マルティン・ルターは、「人は万物の霊長である」という洞察に切り出すのにしばしばテレンティウスを引用したばかりでなく、子供の学校教育のために彼の喜劇を推薦した[7]。

テレンティウスの6つの戯曲は次の通りである。

兄弟(en:Adelphoe)
アンドロス島の女(en:Andria (comedy))
宦官(en:Eunuchus)
自虐者(en:Heauton Timorumenos)
義母(Hecyra)
ポルミオ(Phormio)
作曲家フラックス(en:Flaccus (composer))がテレンティウスの『義母』の一節(1行)につけた旋律は、無傷で残っている古代ローマの音楽のすべてであると言われてきた。しかし、最近では、それは贋作であると言われている[8]。