忘れ得ぬ私の思い出 | mitosyaのブログ

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個人誌「未踏」の紹介

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       「共感」                                                         
キャンプのせいだったからだろうか?---焚火を囲んでいたからだろうか?---酒が少し入っていたからだろうか?---闇と、川の瀬音に包まれていたからだろうか?---その日は、テレビを見ていなかったから?---新聞を読んでいなかったから?---音楽を聞いていなかったから?---電話を受けていなかったから?---流木が様々な炎の色を見せ---火の粉がはじけ飛び---暖かさにエネルギーがあって---闇が半身を照らし---その人の横顔がフェルメールの絵のように浮かびあがって---瀬音はボレロより単純で---それでいて、会話がとぎれた沈黙の中で聞いていると---どんな現代音楽よりも複雑で---包まれる夜気と木々の眠りがあって---星も雲間にあらわれ---人は自然の中で異形だけど---しばし一体を許されて---その人と私は、シンパシーへと誘われたのだろうか?---私は手術後一年で---声に力もなく---考えも散漫で---転移の不安もどこかに残し---自分からしゃべることは少なく---自分のことばかり考えていて---人はどうせ理解してくれないだろうと---でも質問には答え---何か労られているような心になって---いつしか病気の話をして---「助かったから、いま生きていることが不思議ではなくて」---「いま生きていることが無条件で不思議で」---「生きてることだけで」---「不思議」---「ほんとに不思議」---「生きてるだけで」と---無理がなくて、嘘がなくて---引き合って---このシンパシーには境がなくて---私があなたで、あなたが私で---木や生きものへとは違った---生きてるもの同士の哀切があって---人とのはじめてのシンパシー---焚火を囲んでいたからだろうか?---闇と、川の瀬音に包まれていたからだろうか?---このシンパシーには、人を原始に誘うものがあって---焚火を囲む瞳に---瀬音を聞く耳に---遠い遠い記憶をよみがえらせ---一体へ---唯一へ---合一へと---偶然に出会ったもの同士が---闇と、火と、静寂と---あの夏の夜の、忘れ得ぬ私の思い出---