死を前にした人たちも | mitosyaのブログ

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個人誌「未踏」の紹介

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 死を前にした人たちも その頃は―――どこへ行くのかを知っていた―――彼らは神の右の手へゆくと―――その手もいまは断たれ―――神さえも見あたらない―――

 多く、どこへ行くのか知ってはいないのです。ここを去らねばならないことは知っているのですが、何処へ連れていかれるのかは、考えたこともないのです。ただ闇、果てしない闇。その時になって、はじめて、せめて狐火であっても欲しいと思うのですが、何も用意してこかなかったことを思い知るのです。

 苦痛にはただ一人の知人があって―――それは「死」―――二人はそれだけで―――十分な社会―――苦痛は下級政党―――二番目の権利しかないのだから―――

 生命が別れる時、引き裂かれる痛みもなく別れられるはずがない、愛した、忘れられないこの世界と、引きはがされる生命が、苦痛の叫びをあげないわけはない。たとえモルヒネで麻痺させられたとしても、生命が苦しまないわけはない。苦しんで苦しんで、別れを告げる時、死という知人が来て、優しく、労ってくれるのでしょう。死は生命の友人だから、十分にその人が苦しんだと思えば、許してくれるもの。

 私は一生を終えるまでに すでに二度終えた―――だが 私にはまだ残っている―――不死が第三の出来事のベールを―――取り去るのを見ることが―――

 父が死に、母が死に、友人が死に、いくつもの別離を思い知らされていく、人の一生というもの、貴女にとって、自分の死にも等しかったもの、その度に、孤独を固めていった貴女。白い服をまとい、人生を拒否し、限られた自然の中で、自然を越えるものの在処を見ようとした貴女。それは不死が第三のベールを取り去りににくるまで続けられた。