ハヴェル先生の十年後(西永良成 訳) クンデラ(1929~  ) | mitosyaのブログ

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個人誌「未踏」の紹介

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ハヴェル先生の十年後(西永良成 訳)

 

  クンデラ(1929~  )

 

 

「いや、別に私は伝説や寓話が不滅だなんていおうとしているのではありませんよ。伝説や寓話だってやはり古びてゆくわけで、それとともにそこに出てくる人物たちだって、同じく年をとってゆくのは確かなわけでしょう。ただ、その人物たちが年取ってゆくといっても、彼らの顔立ちがなんら変化することも変質することもなく、ゆっくり影が薄くなり、消え去ってゆき、しまいには空間の透明さと区別がつかなくなってしまう、といった具合なんですな。お伽噺の長靴をはいた猫やコレクターのハヴェルだけがやがて消え去ってゆくのではありません。モーゼやアテナすなわちバラスだって、あるいはアッシジの聖フランチェスコだってやがて消え去ってしまう」

 

 

「あなたは子供をもつべきなんですよ」と、女医は答えた。
「そうすれば、そんなにも自分のことばかり考えなくなるでしょう。私だって、年をとってゆきますよ。でも私はそんなこと考えもしない。息子が大きくなるのを見ながら、この子が大人になったらどんなふうになるだろうって思っているの。すぎ去ってゆく年月のことを歎き悲しんだりなんかしないわね。昨日、息子が私になんていったかご存知? 人はどっちみち死んでしまうんだから、医者なんて何の役に立つんだろう、ですって。どう思う?あなただったらなんて答える?」

 

 

 肉体の快楽は、無言のままだと味気ない単調なものでね、快楽のなかでは一人の女が別の女の模倣をするに過ぎない。そこでは、すべての女がすべての女の中で忘れ去られてしまうんだな。しかしながら、わたしたちが愛の快楽に突進するのは、私たちのための思い出としてなのだ。その輝かしい特質がまばゆい線によって私たちの青春を私たちの高齢に結びつけてくれるようにするためにね。それが私たちの記憶を永遠の炎のなかに置き続けてくれるようにするためにね! ねぇ、きみ、きみは知らねばならないよ、その瞬間に発させられた言葉だけが、あらゆるもののうちでもっとも平凡なその瞬間を光で照らし、その瞬間を忘れがたいものにしてくれるんだってことを。私は人によく女のコレクターだなんていわれるが、実をいえば、むしろ言葉のコレクターなのだよ。 私を信じてくれて結構だ。きみは昨日の光景を決して忘れることはないだろう。そのことで、君は一生幸福になるだろう」
 それから彼は、青年に会釈してから、競走馬に似た女の腕をとり、湯治客の散歩道を一緒にゆっくりと遠ざかって行った。