前回
クララ・シューマンが元の所有者だった
ブラームスの横顔の額装写真について書きました。
ブラームス・ポータルにあるブラームスの該当写真のページです⬇️
裏に筆記体のドイツ語のメモがあり、
手書きで読めない
とあきらめていたところ
awayさんがChatGPTを使って
解読してくださいました。
awayさんのブログです⬇️
awayさんは
現在
ブラームスのOp.118−3に取り組まれ
記事に書いていらっしゃいます。
(勉強させていただいてます)
クララとブラームスの関係について書いた
拙ブログ記事を読んでくださり
2人の関係の変化について
共感のコメントをくださいました。
(ありがとうございました!)
写真裏の手書きメモの翻訳は
前回のブログのコメント欄にあります⬇️
興味深い内容ですので
ここで改めて
ご紹介させていただき
そこから
新たに調べてわかったことを
(メモを書いた人物や経緯)
を追加しました。
awayさんには
内容のアップを
快くご承諾いただきました。
ありがとうございます!
メモ・ChatGPTの翻訳
以下は
awayさんにいただいた
関連部分のコメントを
そのままアップしました。
(改行のみしています)
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額装の裏側の白地部分の手書きのドイツ語ですが、
ChatGPTに投げて解読してもらいました。
AI翻訳は結構適当なことを言うこともあるので半信半疑部分もありますが、
一応「学術レベルで全文翻刻(ドイツ語原文復元+日本語訳)」させたので、
少しは信用できるかと。
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史料情報
媒体:写真裏面貼付メモ
言語:ドイツ語
筆記体:19世紀ドイツ語 Kurrent 系
関連人物:ヨハネス・ブラームス(写真資料との照合による)
全文翻刻(推定復元)
Johannes war sehr unterhaltend und
freundlich, hatte den gewohnten Geist
ich erinnere mich des jungen Meisterstücks,
daß daß die Frau in den Jahren der Herr
wieder ernannte früher – Hr. K. ist nun
von Math. beliebt, von Marie blumen(?)
für eine erwiesene Gefälligkeit [dankt]
als das Bild auf ein 2. Mal erschien.
Ach! Wenn wir unterkannt. Wenn wir …
行別注釈
1行目
Johannes war sehr unterhaltend und
Johannes = ブラームスの名
war sehr = とても~だった
unterhaltend = 話し上手な、愉快な
→ 「ヨハネスは非常に愉快で」
2行目
freundlich, hatte den gewohnten Geist
freundlich = 親切な
den gewohnten Geist = いつもの気風・気質・精神
→ 「親切で、いつもの気風を備えていた」
3行目
ich erinnere mich des jungen Meisterstücks
ich erinnere mich = 私は思い出す
jungen Meisterstücks = 若き日の名作/若き巨匠の作品
→ 「私はその若き名作を思い出す」
4–6行目(判読難)
ここは文法的に崩れており、後年の走り書きと思われます。
全文日本語訳(自然訳)
ヨハネスは非常に愉快で、
親切で、いつもの気風をたたえていた。
私はその若き日の傑作を思い出す。
かつて夫人は幾年にもわたり彼を迎え、
K氏も今は再び……
マリーにも愛されていた。
ある厚意への返礼として、
この写真が二度目に現れた。
ああ、もし私たちが……。
メモ・ChatGPTの分析
awayさんよりいただいた
2回目のコメント、
ChatGPTによる
メモの分析結果です。
こちらも
関連部分の内容を
そのままアップしました。
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史料学的評価
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1. これはブラームス本人の筆跡ではない可能性が高い
理由:三人称で Johannes と書く
回想調
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文体が私信メモ風→ 所蔵者・知人・遺族の注記の可能性大
2. 「Marie」は重要
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ブラームス周辺の Marie として候補:
・Marie Schumann←このマリーですね!
・Marie Baumayer
・Marie von Ebner-Eschenbach
その他私的交友人物の可能性。追加史料が必要です。
3. 「写真が二度目に現れた」
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これは
・同じ写真が再発見された
・再複製された
・再び額装された
など来歴記録の可能性があります。
結論
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この文書は
ブラームス写真の由来・人物印象・交友関係を記した
後世のメモ である可能性が高いです。
メモを書いた人物
というわけで
手書き文は、
ブラームスでもクララでもありませんでした。
クララ所有の写真をもらった人物。
“ヨハネス“と名前で呼ぶほど
ブラームスと親しい。
マリー・シューマンも知っている
シューマン家の友人。
“厚意の返礼“で
このクララ所有の写真を贈られた人物は
写真が
“二度目に現れた“
と書いていますから、
以前にも写真を目にしている。
謎の人物の正体は
ユリウス・アルガイヤーと思われます。
ChatGPTが
文章でないために判読難とした
下に追加された
後年の走り書きの部分に答えがありました。
(ここからは頑張って(笑)自力で読みました)
Photographie von Julius Allgeyer,Karlsruhe 1866
J.Allgeyer-Aufnahme
Nachlaß von Clara Schumann !!
Brahms-(読めず、、、)Nr.4.
ユリウス・アルガイヤー(所有)の写真、
カールスルーエ、1866
J・アルガイヤー撮影
クララ・シューマンの遺品!!
ブラームスー(この後ろは読めず、、、)4番
走り書きは
この写真を手に入れた
ブラームス研究所の所長
ホフマン氏によるものかと考えられ
クララの遺品であることに
びっくりマーク2つ(!!)に
驚きと喜びを感じました
アルガイヤーについては
シューマン・ポータルに詳しく載っています⬇️
1854年頃
ブラームスとクララ両人と知り合った
アルガイヤー。
1860年にカールスルーエで写真館を始め
1864年からは
ブラームスと
指揮者のヘルマン・レーヴィの3人で
非常に親しくしていたようです。
1866年に
ドイツ・レクイエムを作曲していた際
ブラームスはアルガイヤーと
数ヶ月一緒に暮らしていたとのこと。
シューマン・ポータルや
リッツマン著・編集
An Artist's Life Based on Material Found in Diaries and Letters
(クララの日記や手紙をまとめた伝記)
の序文にも書かれているように
クララ亡き後
長女マリーは
アルガイヤーに
クララの伝記を依頼していました。
アルガイヤーが友人であり
クララは自分や子供の写真を
撮ってもらったり
アルガイヤーが友人であった
画家フォイエルバッハの伝記を書き
それをクララが熱心に読んでいたことも
依頼の理由と思われます。
伝記執筆を
承諾したアルガイヤーが
マリーからお礼として
このブラームスの写真を
贈られたのではないでしょうか。
若き頃
親友ブラームスを撮影した
アルガイヤーは
ここで
自分の撮影写真と再会したわけです。
その経緯が
写真裏の手書きメモと
なったと思われます。
残念ながら
アルガイヤーは
クララの伝記を執筆半ばで亡くなり
リッツマンが
マリーから頼まれて
その原稿を引き継いで完成させたのが
上記のクララの伝記となりました。
同じ写真が
この件を調べるために
ブラームスの書簡集
Johannes Brahms LIFE AND LETTERS
(Selected and annotated by Styra Avins
Josef Eisinger and Styra Avins英訳)
もチェックしたところ
なんと
同じアングルの写真が
掲載されているではありませんか!
(すっかり忘れていた)
全く同じ?
でもこれは
バーデン=バーデン・ブラームスハウス博物館
Brahms-haus Museum所蔵の写真で
元の所有者は
ブラームスの父です。
1866年に
ブラームスの父が再婚した時に
プレゼントしたと書簡集の説明にあります。
同じ写真を焼き増ししたのか
(この時代には
焼き増し技術が生まれていた)
同じアングルで数枚撮ったのか
何枚同じ写真が
存在したかはわかりませんが
ブラームスは
1枚は父に
もう1枚はクララにプレゼントしたのですね。
1枚の写真
裏の手書きメモから
ドラマが垣間見えて
調べながら
ワクワクしました。
awayさん、
どうもありがとうございました!
お読みくださりありがとうございました。



