今日は
ブラームスの作品
ピアノ三重奏曲第1番
ロ長調 作品8
についてです。
1854年版と1889年版
1854年に作曲
1889年に改訂。
ブラームスにしては珍しく、
初版を破棄せず、
両方の形が残っています。
現在よく演奏されているのは
改訂版。
どんな曲だったっけ?
と思われた方
あぁ、あの曲ね
と思われた方も
よろしければこちらをどうぞ〜
改訂版の抜粋(最初から3分)です⬇️
ピアノ:アレクサンドル・カントロフ
ヴァイオリン:ダニエル・ロザコヴィッチ
チェロ:ゴーティエ・カプソン
ブラームスの作品の中で
本能的に一番好きです。
聴くと
多幸感につつまれて
泣きそうになります。
上の動画の
ロザコヴィッチさんや
カプソンさんらの表情、
これを聴いたり、演奏したら
湧き出る感情で
こういう表情になるの、すごくわかる〜
と思いました(笑)
絶対音楽としてだけでなく、
作品の背景を調べると、
多幸感に納得がいきます。
なぜ両方を残したか
初版と改訂版が残っている理由は、
ブラームスが
フリッツ・ジムロック
(ブラームスの楽譜出版経営者で友人、
ヨアヒムに妻の不倫相手と疑われたことでも知られる)
に出した手紙(1890年12月13日)
からわかります。
(前略)ハッキリと言い添えたいのは
古いほうは悪いとはいえ、
新しいほうが良いとも言わない。
君が古いほうをつぶそうが
新しく出版しようが
私には正直なところ同じこと。
(中略)
古いほうは
これからもあまり売れないだろうが、
ひどいところが
たくさんあるからではなく、
不必要に難しいから。
初版は演奏が難しいので
楽譜が
あまり売れなかったようです。
聴き比べると
改訂版の方がスッキリとまとまっています。
ダイジェスト版のようにわかりやすく
聴きやすいです。
ブラームスとしては
初版も改訂版も長所・短所があり
1つに決めかねたようです。
1854年版
初版から切り捨てられたパートも
美しく
若い頃のブラームスの
作曲にかける意気込みも感じられ
色々盛り込まれて
聴くほどに好きになります。
⬆️1854年版
ピアノ:ジェレミー・デンク
ヴァイオリン:ジョシュア・ベル
チェロ:スティーヴン・イッサーリス
最初のパートでの大きな違い、
初版は
チェロに重ねるように
ヴァイオリンがすぐ入ってきます。
作曲当時
ヴァイオリニストの親友
ヨアヒムとの交流が密で
作品の相談や
演奏をともにしたので
ヴァイオリン重視の流れが
自然だったのでしょう。
改訂では
最初のヴァイオリン部分は
省かれシンプルに。
的が絞れベターに感じます。
シューマン夫妻との交流
作曲時期の1853〜54年は
ブラームス20歳。
ロベルトとクララに出会ってから。
(出会う前に手がけ
ロベルトが作品1にするよう勧めた
ニ短調の三重奏の幻想曲は
破棄されたと思われ
今回取り上げた三重奏曲は
その後の作曲と考えられます。)
長調で始まり短調で終わる
まれなパターン
とはいえ
主に第1、第2楽章からあふれる
幸せオーラは
どこから来たのでしょう。
ブラームスが
シューマン夫妻宅を訪問し
自作のソナタなどを演奏すると
ロベルトやクララが
絶賛
才能を認められ、
ロベルトの音楽評論誌
「新音楽時報」で世に紹介されます。
音楽家としても
人としても
ロベルトはすっかりブラームスに入れ込み
すでに完成していた作品の出版や
売り出しの手伝いまで
ロベルトが道筋を立てます。
(ライプツィヒへ行って
自作を自演するよう強く勧め、
実際そのやり方が功を奏し
大成功します)
さらに
ブラームスの父親に
息子の素晴らしさを手紙に書いて送り
親子を喜ばせるなど
至れりつくせり。
ロベルト、
体調が悪いのに
面倒見がよくて最高過ぎる、、、
運命の扉が開き
ブラームスにとって
夢のような日々。
その時期に作り始めた三重奏曲が
ハッピーモードなのも
不思議はないように思います。
シューマン夫妻との
出会いと交流の幸せが
いっぱいつまった作品なのです。
その
ピアノ三重奏曲があと少しで完成!
の時、
1854年2月27日に
ロベルトはライン川に身投げ。
一命を取りとめますが
精神科の病院に入院。
ブラームスの音楽活動は
天国から真っ暗な闇へ突入します。
ロベルトの病や
クララへの恋愛感情に悩む前の
作品ゆえに
その後のブラームス作品とは
違った趣を感じます。
どれほど幸せだったかというと
晩年のクララへの誕生日祝いの手紙に
クララとロベルトとのことが
人生で最も美しい経験で
最高の財産で最も高尚
と書いているくらいです。
曲に現れる性格
1854年6月11日に
クララが第8子のフェリックスを出産。
その数日後に
ブラームスは
シューマンの主題による変奏曲
嬰ハ短調 作品9
をクララに送ります。
クララは
(前略)
この作品は
正真正銘のブラームス
真面目でユーモアがある
それが私の知るあなたです
(後略)
とお礼の手紙(6月18日)
に書いています。
ここで取り上げた三重奏曲は
作品8で
作品9である変奏曲のひとつ前になり
同様のブラームスを感じます。
第2楽章には
フレーズの終わり方や
ピチカートの使い方など
ユーモラスな響きを感じます。
第3楽章のアダージョは
どちらかといえば真面目?
のちのピアノ協奏曲第1番(作品15)
第2楽章のアダージョ
との類似を感じます。
協奏曲では
クララの穏やかな
ポートレイトを描いたアダージョ。
すでにこの時期
クララへの敬愛を三重奏曲で表現し、
のちの協奏曲で
展開させたのでしょうか。
ピアノ協奏曲のアダージョの方が
悲しみと憂いを感じるのは
ロベルトの入院・逝去後の
クララのポートレイトだから?
不満のまま出版
ブラームスはクララに
変奏曲の楽譜を送ったあと
親友ヨアヒムに手紙を書いています。
(6月19日)
ロベルトの一大事に
クララの元へ駆けつけ
数ヶ月経ったこの頃
ブラームスは
クララに恋愛感情を持ち
この手紙で
ヨアヒムに打ち明けたのでした。
その
恋バナと一緒に
(前略)
三重奏曲と変奏曲は
ブライトコプフ・ウント・ヘルテル社からの
出版が決まった
(後略)
と知らせながらも
自分に厳しいブラームスは
変奏曲を
取るに足らない作品じゃないだろうか
こんな子供だましを誰も欲しがらない
と書き
三重奏曲については
出版を取りやめたい
あとで必ず変更するつもりだから
などと満足していない様子がうかがえます。
それでも出版した理由は
手紙の内容から察して
金欠
友人の
グリム(後に一時婚約したアガーテを紹介)や
ヨアヒムに
借金していたようで
この出版の報酬を
グリムの支払いに当て
ヨアヒムへの支払いは
できれば
もうちょっと待ってほしいんだ。
すぐに一文なしにならなくて済むように。
とお願いしています。
仕事よりも
シューマン一家のサポートを
優先しているので
お金がなかったのです。
そんな思い出があるので
35年後の
1889年に改訂版を出して
演奏した時には、
ケルンでの演奏会に、
この曲でお金を返した
グリムを招待しています。
(前略)
僕らが若い頃に作った
ロ長調の三重奏曲をまだ覚えてるかな
また聴いてみたくないかい?
カツラはつけずに
クシでといて
さっぱりさせたんだ
(後略)
と書いています。
1889年改訂版の頃
1880年代のブラームスとクララの関係は
以前にも書きましたように
交流はありながらも
誤解などで
心の距離を感じる頃です。
80年代に
絶交となったヨアヒムには
自作の演奏を依頼し
1887年にようやく再会、共演。
1888年は
シューマンの交響曲第4番の
初版の良さに気づいたブラームスが
その出版の許可をクララに取ろうとした頃です。
(後にクララの勘違いで
ブラームスに激怒する作品)
同年クララは
三男フェルディナントが
病気で働けなくなり
孫たちの養育費を出すことになり
経済的に厳しい状況となります。
ブラームスは資金援助を申し出
一度は断られ
2度目は断られぬよう考え抜いて
お金を渡すことに成功しました。
日記に残る、
この時のクララの反応は
“とても古くからの友人に
お金を送り返せるだろうか“
とあり
以前のような“親友“という言葉がなく
単に“古い友人”と記す
当時のクララの
ブラームスへの心の距離を感じます。
1880年代
恋愛関係にあったと言われる
シュピースと
友人モードになるのと
入れ違いのように
昔の親友ヨアヒムとの関係が復活。
けれど
ロベルトの作品集編集の件で誤解が生じ、
クララの自分への心の距離も
薄々感じていました。
三重奏曲の改訂は
そんなブラームスにとって
過去の幸せな時代を
懐かしむ作業だったことでしょう。
心の距離を感じて
その後もクララに
勘違いされて激怒されても、
クララへの執着
というか
永遠の敬愛は
一体なぜそこまで思い続けるのか、
一途さは
不思議なほどです。
決して諦めることなく、
最後まで敬愛を伝え続け
クララに本心が伝わった時
2人の仲が
昔のように戻ったのは感動しかありません。
主な参考文献
Johannes Brahms LIFE AND LETTERS
(Selected and annotated by Styra Avins
Josef Eisinger and Styra Avins英訳)
Clara Schumann:
An Artist's Life Based on Material Found in Diaries and Letters
(Berthold Litzmann編集・著)
ウィキペディア
お読みくださりありがとうございました。
