今日の内容は

ヨハネス・ブラームスと

ヨーゼフ・ヨアヒムが

出会った頃から始まります。

 

 

 

 ブラームス・Life and Letters

 

ブラームスの手紙を編集した伝記

 

Johannes Brahms: Life and Letters

(Styra Avins編集)

 

今回は1840年代後半から

1853年、

ブラームスが学校を卒業

音楽家の道を目指し

20歳で

シューマン夫妻と出会ったところまで読みました。

 

 ヨアヒムとの出会い

 

地元のハンブルクでは

才能を評価されながらも

芽が出ないブラームスに

突破口を開いたのは

2歳年上のヨーゼフ・ヨアヒム

 

既にヨーロッパで

ヴァイオリニストとして名声を得ていました。

(メンデルスゾーンに認められて

ロンドン公演を成功させたり

フランツ・リストの

お気に入りでもあり、

宮廷楽団の副楽長等々の

輝かしい経歴)

 

ブラームスは

ハンガリーのヴァイオリニスト、

レメーニと演奏旅行中に

彼の古い友人の

ヨアヒムを訪ねたことから

親交が始まったと本にあります。

 

ヨアヒムは

ブラームスの類まれな才能に

衝撃を受けたそうです。

 

その出会いの印象は、

ブラームス逝去後建てられた

マイニンゲンの

ブラームス記念碑のスピーチで

ヨアヒムが語っているようです。

(残念ながら英訳は見つけられませんでしたが

ドイツ語の資料はあるようです。)

 

それからというもの、

お金に困っていたブラームスを助けるために

コンサートをアレンジしたり

音楽家として認められるよう

リストに紹介したり。

 

ブラームスが

ゲッティンゲンにいるヨアヒムを

訪ねたいというと

(これ以上扶養する義務はないと怒った父の元へ

お金が稼げないまま帰りにくかったのでしょう)

その夏は一緒に過ごそうと誘います。

 

お金がないのに家に帰らず

よく知らない人に頼ることを良しとしない

ブラームスの両親を

説得するために

ヨアヒムは

ブラームスの父親を

安心させる手紙まで書いています。

 

ブラームスの性格や才能をベタ褒め。

 

ヨアヒムの友情と音楽への熱い想い、、、

泣ける、、、

 

ヨアヒムは

ブラームスとジョイントコンサートをして

お金の心配をなくしました。

 

そして運命の時へ。。。

 

ヨアヒムが勧めて紹介の手紙を書いた

シューマン夫妻を訪ねたのでした。

 

 ラインの旅

 

その行程と手紙を見て、ハッとしました。

 

頭に浮かんだのは

ブラームス交響曲第3番

 

この作品は

ヨアヒムとの友情の亀裂と修復の願いが込められたのではないかと書きました⬇️

 

音楽をどうとらえるか聴くかは

人それぞれですので

これは個人の感じ方として受けとめていただければ幸いです。

 

ブラームス、ヨアヒム、友情、シューマン、ライン川

 

これらのワードが当時の出来事としてまとまって

交響曲第3番の郷愁のイメージが繋がったように感じたのです。

(突っ走りすぎ〜と思われた方、スルーしてくださいね)

 

ブラームスは

デュッセルドルフの

シューマン家を訪ねる行程で

まずライン川の旅を楽しんで

川沿いの街メーレムの

ダイヒマン家に滞在し歓迎されます。

 

音楽、特にシューマン愛好家で

多くの音楽家が集う場でもありました。

ヨアヒムの紹介で訪ねたと思われます。

 

この時期に知り合った音楽家たちとは

長く友情が続いていたようです。

 

人生の終わり近くに

クララ・シューマンと揉めた

シューマンの交響曲第4番初稿版を編集・出版した

フランツ・ヴュルナー

この時期に知り合ったようです。

 

(クララはヴュルナーがワーグナー派で

シューマンと

縁もゆかりもないのに

関わるのが許せなかったようですが、

ブラームスにとっては

派閥の関係ない

昔からの友人とわかります)

 

この旅の途中で

ブラームスは何度かヨアヒムに手紙を出し、

ライン川の旅が素晴らしく、

出会った人々が

素敵な人ばかりだったと綴っています。

 

会ったら

ラインの旅の話をするから

と熱く書いており

きっとヨアヒムも

直接聞かされたのだと思われます。

 

元々、ロベルト・シューマンの才能を尊敬し

10代後半(1850年)、

自分の作品を

見てもらおうと送ったブラームスでしたが

(その時は未開封で返却されました)

メーレム滞在中に

シューマンの作品をよく知る機会を得て

さらに尊敬の念が増したと

ヨアヒムに書いています。

 

母への手紙にも

ラインの旅が楽しかったと書いているので

よほど強い印象があったのでしょう。

 

そして

ライン川沿岸のデュッセルドルフのシューマン家を訪問。

格別の歓待を受け

運命の扉は開き、

作品出版へと話が進んだのでした。

 

ライン川沿いを進む

シューマン家訪問の旅は

ヨアヒムとの友情がきっかけで始まり、

その後の音楽活動にも関係する

音楽家との友情の始まりでもあり

シューマン夫妻との友情の始まり。

 

ブラームスの記憶に強く残っていたかもしれません。

 

 交響曲第3番とヨアヒム

 

交響曲第3番は

 

・シューマンの交響曲第3番

「ライン」第1楽章との関連を指摘されている

 

・ヨアヒムのモットー

F.A.E.をもじった

ブラームスのモットー

F.A.F.と

変化型のF.As.F.を使用

 

・ライン川沿いの

ヴィースバーデン滞在中に作曲

 

・本作品のベルリンでの指揮を、

離婚裁判で仲違いした

ヨアヒムに依頼、

その手紙の中で

謝罪とも取れる釈明をしている

 

などがあり

聴いていると

のどかな散策や川の流れる様子、

ワルツが悲劇的な曲調になったり(カップルの悲劇?)

寂しげだったり、怒りの爆発だったり

いろんなイメージが浮かび

途切れそうでも途切れない終わり方は

今までの長い時間と

これからも続く響きにも聴こえます。

 

出会った頃の

ブラームスとヨアヒムの熱い友情と信頼が見える手紙を

後年の出来事を知ってから読むと

胸に迫るものがあります。

 

この後のクララ・シューマンとのつながりも

ヨアヒムがブラームスの1番の理解者であり

事態を把握していたでしょう。

 

交響曲第3番とヨアヒムに関連があるかどうか

実際のところはわかりませんが

少なくとも

ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲」がきっかけで

1887年に友情が回復できてよかったと、

出会いの話や手紙を読んで思いました。

 

ブラームスの才能と人柄がそうさせたとはいえ、

才能を信じて

全力で応援してくれる友情は

そうそう得られるものではありませんよね。

 

カラヤン指揮、ベルリンフィル演奏のブラームス交響曲第3番抜粋⬆️

 

 

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お読みくださりありがとうございました。

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