今日はブラームスの書簡集から

子ども時代の話と家庭環境の話です。

 

過去の伝記の誤った情報が未だ残っていることもわかりました。

 

 

シューマンの伝記を読みながら

ブラームスの書簡集の最初の方を読んでいないことを思い出し、

クララとシューマンの裁判のページで休止して

ブラームスの本を取り出しました。

 

 

ブラームスは貧しかったのか

 

ブラームスの生まれた家の写真を見ると

とんがり三角お屋根の集合住宅です。

 

ウィキペディアにも画像があります⬇️

 

 

ブラームスの書簡集にも

同じ写真があり、1897年撮影とあります。

ブラームスは1833年生まれなので、64年後の写真です。

ブラームスが亡くなった年です。

 

これを見ると

 

一部屋が家族用にしては狭そうで

古く傷んだ様子なので

ブラームス一家が

貧しくて苦しい生活だったような印象を持ちます。

 

書簡集の編者の解説によると

お金の工面には苦労していたが貧乏ではなかったようです。

 

未成年で酒場や売春宿で演奏して

お金を稼がされた話は

事実ではないだろうとのことです。

(法律で禁止されていたので、まずあり得ないそうです)

 

上記の集合住宅の付近は

ブラームスが生まれた頃に治安が悪くなり始めたので

彼が生まれて8ヶ月後に他所へ引っ越したのです。

(同じ本の別の箇所には6ヶ月後と書かれており

どちらが正しいかわかりませんが、

生後1年以内に引っ越したことには間違いないようです。)

 

後に地域はスラム化、

写真はその頃ですから

ブラームスが住んでいた頃とは雰囲気は違うでしょう。

 

編者の解説と

母親が亡くなる数日前ブラームス宛に書いた手紙を読むと

子供達には教育を受けさせ、

習い事もさせピアノも購入するなど

中産階級に属していたことがわかりました。

 

ブラームスは学校で算数、フランス語、ラテン語、英語のレッスンを受け

カリキュラムは他に歴史、数学、自然科学、体育、音楽、美術などもあったので

これらの授業も受けていたと思われます。

医師や市の高官、経営者らの子息たちも学んでいた学校だそうです。

 

お金の工面に苦労していたのは

ブラームスの父親が浪費家で

次から次へと買い物(楽器、家具、動物など)したり、

クジで賭けたりしていたため、

母親が裁縫で稼いでやりくりしなければならなかったからのようです。

 

ここでロベルト・シューマンの浪費癖を思い出してしまいました。

少し似てます?

 

ブラームスの貧困など誤った情報が広まったのは

マックス・カルベックというウィーンの音楽批評家が書いた

ブラームスの伝記に起因するそうです。

 

ブラームスの書簡集の編者によると

カルベックはDuを使うような親しい友人ではなく、

それも人生後半の20年での付き合いなので

伝記のブラームス子供時代や家族の話は不正確な内容が多いとしています。

追記:2025年7月7日

「新装版 ブラームス回想録集 ブラームスは語る」では

演奏会や食事で同席者としてカルベックの名が何度も出ており、

親交のあることがわかりますから

知り合う前の話を指摘していると思われます

 

ですが、

生存中の友人が書いた伝記だからでしょうか、

そのまま鵜呑みにした以降の伝記作家らが

カルベックの書いた内容を事実として引用、

誤った情報が広まったようです。

 

母からの最後の手紙

上記に書いた

ブラームスの母親が亡くなる数日前にブラームスに宛てた手紙というのが

長文で、「遺書」ともいえます。

 

これには、

夫との出会いと結婚についてや

苦労した内容

子供達への愛など細々としたことが会話のように書かれていました。

 

ブラームスが最初に大成功をおさめた「レクイエム」は

シューマンの死がきっかけで

母親の死がその完成をうながしたとのこと。

 

母親の手紙を読むと、

直接的ではないのですが

ブラームスが読んだ後に考えた結論のようなものが

レクイエムの歌詞の選択に見えて

つながりを感じました。

 

手紙を読んで長年の母の思いを改めて知り

ブラームスの作品づくりに影響したのでしょうか。

 

 

ブラームス ドイツ・レクイエム抜粋版

アバド指揮 ベルリンフィル

 

続きです⬇️

 

 

お読みくださりありがとうございました。

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