クララ、 ブラームスと心の距離④の続きです。
といっても本線から外れ、
ブラームスの新ミューズ、
エリーザベト・フォン・ヘルツォーゲンベルクと
クララ・シューマンの四女
オイゲーニエ(オイゲニー)・シューマン
そして
19世紀後半イギリスの女性作曲家
エセル・スマイス
を中心として
交流関係を大まかに追いたいと思います。
ブラームスとエリーザベト
外交官だったエリーザベトの父は音楽をたしなみ、
ショパンと交流があり
そのつながりで ブラームスとも繋がりができ、
娘のエリーザベトのピアノレッスンを見る流れとなったようです。
エリーザベトとオイゲーニエ
1874年、
クララが長女マリーを伴って治療・療養で家を空けていた時に
オイゲーニエはクララより先に
エリーザベトに初めて会ったと回想記にあります。
エリーザベトはブラームスの勧めで
ドイツで音楽の勉強を続け、
夫となる作曲家で音楽教師のヘルツォーゲンベルクと知り合います。
ベルリンに来た時にクララと知り合い、
オイゲーニエとの友情も深まりました。
クララとオイゲーニエ
ピアノ教師となったオイゲーニエは母クララを尊敬し、
母の演奏こそ理想であり、
超えられない劣等感を抱えていました。
シューマン家に一流の音楽家たちが集う中
その場に自分がいることは
単にクララの子であったからで
別世界の人たちと考えていました。
エリーザベトは最初は自分の友人で
生涯の友にもなりましたが
優れた音楽的才能によって
次第に母の友人としての意識が強くなったようです。
スーパースターの娘という立場の難しさを
オイゲーニエの回想記を読んで感じます。
オイゲーニエは母を絶対視していて
非常に謙虚
自分を「凡人」とみなしています。
ところが
クララの日記を読むと、
オイゲーニエのピアノの才能を特別と感じていて、
シューマンの曲の理解者として
引き継ぐ者としての希望を書いてもいます。
身体が丈夫ならコンサートピアニストを目指せるのに、とも。
野心があれば、
そして健康状態が良ければ
ロベルトの曲の表現者として
クララの後継者になれたかもしれません。
オイゲーニエのパートナー
オイゲーニエの回想記にパートナーについての記述があります。
1878年のブラームスへの手紙にも書かれており、
英語版ではbetter-half(配偶者、パートナー)と表記。
この時、ブラームスはクララにイタズラを仕掛けようとしており
その協力をオイゲーニエに頼む手紙を出した返事です。
better halfに対してブラームスは
your better half or any other half
貴方のより良い半分だか他の半分だかが、、、
とユーモアのある返しをしていて面白いです。
オイゲーニエのベターハーフはマリー・フィルンガー。
オーストリア出身の歌手です。
彼女もまたブラームスの勧めで
1874年からベルリンの音楽大学で学び
ヨアヒムの妻アマーリエの指導を受けたようです。
そこでオイゲーニエと知り合ったのでした。
19世紀後半のLGBT+、
イギリスのオスカー・ワイルドや
後年のアラン・チューリングらの身に起こったことを考えると
オイゲーニエのカミングアウトは勇気のいることだったのかもしれません。
が、
自然体でごく普通に何気に書かれているので、
「カミングアウト」と書くのも変な感じです。
LGBT+の法的な歴史を検索したら、
男性の方が明文化されて厳しかったようです。
ナチスドイツ時代以外はドイツよりイギリスの方が
法的に厳しかったのかなと感じましたが、
実際にはどうだったのかは調べていません。
エセル・スマイスとエリーザベト
ここでブラームスの新ミューズ、エリーザベトの話に戻ります。
イギリスの作曲家であり女性参政権運動家でもあったエセルは
1877年にライプツィヒで
作曲家で音楽教師のハインリヒ・フォン・ヘルツォーゲンベルクに学び
妻のエリーザベトと知り合います。
オイゲーニエもエセルも
自身の回想記でエリーザベトを絶賛しているので
ブラームスだけでなく
あらゆる周囲の人を魅了したのだと思います。
エリーザベトとハインリヒ夫婦には子供がいませんでした。
それもあってか、
エリーザベトはエセルを「うちの子」
(enfant de la maison)と呼び
夫婦にとって親しい間柄となります。
しかし実際に親しかったのはエリーザベト。
2人は1885年まで恋愛関係が続きました。
ヘルツォーゲンベルク夫妻は
非常に仲の良い夫婦として知られています。
ですからエセルとエリーザベトの関係が
世間一般(?)の不倫とは少々違う気がします。
LGBT+をお互い理解した上での夫婦だったのか、
エセルを妻の親友としてハインリヒが受け入れていたのかはわかりません。
友情と恋愛と夫婦の定義とは?
クララやオイゲーニエが夫妻を素晴らしい関係と書くのを読んでいると、
皆が幸せな関係だったのなら
それで良いのだという気になります。
1885年に
エリーザベトとエセルの関係が終わった理由も複雑です。
エリーザベトの姉の夫がエセルを愛してしまったのです。
姉夫婦は結婚する時、
お互い他に好きな人ができたら別れよう
とモダン?な約束をしています。
ところが実際その状況になり
夫側が別れたいというと
妻は別れたくない、という話になります。
そして妹のエリーザベトは当然ながら
自分の恋人と義兄の恋愛で
状況はさらに複雑になりエセルとの別れとなったようです。
(エセルの回想記はエリーザベトについて調べるために
関係箇所を大雑把に読みました。)
、、、もう何が何だかわからない恋愛模様。
Every family has a skeleton in the cupboard.
どの家庭にも知られたくない秘密がある
ということわざを思い出しました。
まとめ
この話をどうまとめる!?
エリーザベトは男性といる時と女性といる時の自分は違う、
とエセルに話していたようです。
エセルは明確なカミングアウトはしていませんが、
男性よりも女性の方が恋に落ちやすいと書いており、
恋人となった人も男性より女性が多かったようです。
エリーザベトとエセルの関係が
どこまで周囲に知られていたのかはわかりません。
(同時期に友人の
オイゲーニエとマリー・フィルンガーが同性カップルだと
ブラームスら近しい人は知っていても
夫婦+恋人というのはまた別の問題もありますし、、、)
エリーザベトとエセルが恋愛関係だったのであれば、
ブラームスとは
音楽を中心とした強い絆で結ばれた敬愛関係であり
恋愛関係はなかったと思われる
というのをこの記事のまとめとします(笑)
追記:ドイツ語の名前の発音、表記が統一されておらず申し訳ありません。
文献検索では
日本語表記がまちまちでどれが良いかわからず、
調べたタイミングで見つけた表記を使い、
Marieはマリーエ
Eugenieはオイゲニーになっています。
ドイツ語の発音を調べると
Marieはマリー(リにアクセント)
Eugenieはオイゲーニエ(ゲにアクセント)
でした。
参考文献とどのように統一するか悩ましいところで
今後どうするか考えて、
過去記事を含め修正していくかもしれません。
*マリーエをマリー、
オイゲニーをオイゲーニエに統一修正中です
お読みくださりありがとうございました。