1868年4月ブレーメンにて

ブラームスのレクイエムの初演。

 

クララは落ち込みながらも

周囲に促されて行くことにします。

 

前日のリハーサルでヨアヒム夫妻らと合流。

 

そして本番当日。

 

レクイエムの演奏はクララの心を捕らえて離しません。

 

指揮棒を持つブラームスを見ながら

夫ロベルトの言葉を思い出します。

 

彼(ブラームス)が魔法の杖を手にし

合唱やオーケストラに魔法をかければ

われわれの精神世界に一層神秘的な輝きが広がるだろう

 

(シューマン創刊「新音楽時報」の‘新しい道‘より)

 

 

ロベルトの予言が現実のものとなるのを

この日

クララは目の当たりにしました。

 

その場にいる観客全て

敵対者をも魔法にかけてしまった、と。

 

それまでもブラームスは

音楽家として認められてはいましたが、

このレクイエムの大成功によって

名声が確立、不動のものとなります。

 

 クララの涙

 

その夜の食事会は友人らが大勢集まりました。

ブラームスの友人で責任者でもあったラインターラーがスピーチをし、

クララはその言葉に心を揺さぶられ泣いてしまいます。

 

ロベルトが生きていてこれを見ることができたなら、

どれほど喜んだことだろう

 

そう思わずにいられなかったのです。

 

‘ロベルトのヨハネス‘とクララが呼ぶほど

ロベルトはブラームスの才能に惚れていました。

 

夫と共にブラームスの才能を確信したクララは、

夫亡き後もずっと音楽面でブラームスを支えてきました。

(一方的にクララが支えられていたのではなかったのです。)

 

クララの親しい友人(ジェニー・リンドも含めて)は

ブラームスの態度がクララにあまりに失礼だと

ブラームスと縁を切るよう言いましたが、

クララはその意見を聞かず、ブラームスと親交を続けました。

 

ブラームスは作品をクララにいつも送り、

意見を聴き参考にしてきました。

 

クララは自分で弾いたり、

親しい音楽家らと試演し、

どの部分が良かったか、うまくいかなかったか、

事細かに、率直に意見を伝え、

それを元に

ブラームスは修正、削除などもおこなってきました。

 

大晦日に分厚い楽譜の束を送るブラームス、

それを嬉々として見るクララ、、、

(ヲタと呼んでいいですか)

 

ブラームスとクララの恋愛もどきの話が一般的に広まっていますし、

私もそこから二人の関係性に興味を持ちました。

(本当はどうなの?と)

 

ところが、

日記や手紙を読むと、

実際にはヨアヒムを含めて

作品や音楽について率直に語り合い、共に演奏、

ブラームスの作品をより良いものにするために努力を惜しまない

音楽で深く繋がった“チーム・シューマン“としての絆を強く感じました。

 

時にヨアヒムとクララのアドバイスが食い違い、

ヨアヒムのいう通りにしたら

クララが

どうしてそんな変更をしてしまったの!?

ということもあったり、、、。

 

クララはブラームスの才能を高く評価し

作品の良さを広めようと

知り合いの前やリサイタルで弾きもしましたが

わかってもらえず悔しい思いもしてきました。

 

ブラームスには

そういった作品の押し売りをやめてくれと言われ傷つきもしました。

 

そんな何年もの思いが

このレクイエムの成功の瞬間に

走馬灯のように駆け巡ったことでしょう。

 

引退勧告めいた手紙で

友情にヒビが入りかけた時期でしたが、

熱い思いが込み上げたようです。

 

 ブラームス、パニくる

 

この時のブラームスのクララへの思いは

伝記には書かれていませんが、

きっと言葉に尽くせぬ感謝があったと思います。

 

3月にクララから反論の手紙を受け取りつつも

すぐに帰らず泊まっていくようにクララに強く勧めたようですから。

 

ブラームスは手紙に余計なことを書いて怒らせてしまった、、、

どうしよう、、、と

半ばパニックで悩んでいたようです。

 

9月に言い訳のような手紙をクララに送っています。

 

ブラームスにはちゃんとした理由があって書いたのであって、

悪い意味はなく、

悪かったのは時期やタイミングだったのだろうか、、、

過去にクララとは

音楽家の引き際の話もしていたし、

実際に引退するべき時期より早い時の方が話しておきやすいかなと思ったり

など

あれこれ考えている様子が手紙に見えて

ブラームスが可哀想になってきます。

 

実際クララは

引き際が大事ということで、

かつて大先輩に、

 

公演はやめて引退し教える方に専念されてはどうでしょう

 

とそれとなく書いた

引退おすすめレターを出したことがあるのです。

 

ブラームスを批判できる立場ではないのです。

 

というか

演奏旅行がクララの心の支えだと理解していなかったのが

ブラームスの敗因ですが

クララの衰えを指摘したつもりは全くなく

演奏旅行に行かない方が人生は楽なのでは

というつもりだったのだと思います。

 

この言い訳レターを出してすぐ

クララのお誕生日に送ったものが

後の交響曲に関係してきます。

 

まだ続きます。

 

お読みくださりありがとうございました。

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