昨日の続きです。

 

恋人同士のような手紙のやり取りから一転、

ブラームスの

“僕を絶賛して無理に作品を人に勧めないで“

的な手紙で

ブラームス本人から熱狂的信奉者扱いされ

たしなめられたクララは

非常に傷つき(音楽家としても1人の人間としても)

反論の手紙を送ったところまで書きました。

 

この手紙の前ごろに恐らくアガーテと知り合い、

(クララらとその地を訪問しているので)

その後、夏を共に過ごし愛を育んだと思われます。

 

 

伝記はシューマン家の依頼で知人が書いているので、

シューマン家にとって不利なことやゴシップなどはほぼ載っていません。

 

というか、

ゴシップ的な噂を打ち消し、

真実を伝えたいという思いから信頼できる著者に伝記を頼んだようです。

 

当時、

シューマンの自殺未遂もニュースになったり、

ブラームスとクララの関係を疑うゴシップで

ブラームスが悩んでいたと書いた記事も読みました。

 

ブラームスの恋

 

アガーテと出会う前は

クララがツアー中の留守番をし、

子供達の面倒をみるなど支えながら、

叶わぬ恋に悩んでいたはず。

 

このままでいいのか。

 

そんな時に年の近いアガーテに出会い、

新しい恋に落ちていくのは自然でしょう。

 

 

クララの悟り

 

一方のクララ、

 

手紙で傷つけられた後、

夏休みを共に過ごし、

ブラームスとアガーテの恋愛に気づいたと言われ、

その後、夏休みを早めに切り上げます。

 

去った理由は伝記にはありません。

 

ただ11月に

長いこと手紙が書けなかった友人にその理由を

 

ひどい夏を過ごしました

9月になっても惨めな気持ちのままで

何をする気力もありませんでした

11月になってようやく少し回復したのです

 

と書いています。

 

ひどい夏、、、

 

ひどくなった理由は書かれていません。

 

これがブラームスの恋愛によるショックと

ブラームスの書簡集の著者は推測していました。

 

12月になっても

ヨアヒムへの手紙にひどく落ち込んでいる様子が書かれています。

 

クララが夏休みに、かくれんぼで木の幹につまずいて

頭から転けてしまうというアクシデントもありましたが、

それだけで何ヶ月も落ち込むようには思えません。

 

伝記や手紙を読んだ範囲では、

ブラームスに恋人ができたことが影響したのでは、

と私も考えました。

 

それまでは、

ブラームスがクララに愛情たっぷりの手紙を書き、

常に心の支えとなってきました。

 

クララも

ブラームスの支えなしには生きていけぬほど頼りにしていました。

 

ヨアヒムも同じく支えた大事な人なのですが、

クララとヨアヒムの手紙の内容や表現は、

ブラームスとの繊細で感情に溢れた表現とは印象がかなり違います。

絆は強いけれどシンプルでまっすぐ、無駄のない表現、

「友情」とわかります。

 

クララがもし

ブラームスへの自分の気持ちが

「友愛」以上の「愛」だと気づいたとしたら、

恐らくこの夏の出来事かもしれない。

 

心が離れて初めて気づく、、、か?

 

と同時に、

25歳のブラームスが愛したのは23歳のアガーテ。

クララは7人の子どものいる39歳になる年。

演奏などの過労でリウマチの症状も出始め、

身体の衰えを感じます。

 

自分の年齢を意識したに違いありません。

 

その翌年夏のブラームス宛の手紙に

 

永遠に若くいられたら、、、

 

と書き、

 

日記にも、

 

歳をとりたくない、

老いてもいいと思うのはロベルトのことを思う時だけ

 

とか、

 

夫亡き後、

あなたには子供がいると慰められ

その通りだけれど、いずれは巣立つ

その時ひとりで生きていくことになる

私には人生を美しくする愛が必要で

それなしには生きていけない

 

と綴っています。

 

ブラームスの友愛が消えるのを

アガーテの存在から意識したのかもしれません。

 

ブラームスに書く手紙の間隔は空き、

書いても、

頼まれた曲のアドバイスが淡々と書いてあったり

知らせるようなニュースは何もない

などとあっさりです。

(その後徐々に温かさは戻っていきます)

 

ブラームスはどう感じていたでしょう。

 

アガーテと秘密の婚約をしながら

(隠していたのはクララを刺激しないためとも言われています)

結婚へ進まず

解消となった遠因を感じる出来事は

ブラームスのピアノ協奏曲第1番の2回目のお披露目です。

 

ピアノ協奏曲公演

 

1859年1月の初演は

ヨアヒムの指揮でなんとか成功をおさめたものの、

次のライプツィヒ公演は失敗に終わり、

野次に悩まされるものとなりました。

 

約1週間後にブラームスはクララに手紙を書いています。

 

それによると、

ブラームスはクララが演奏旅行を終えて

聴きにきてくれると思い込んでずっと待っていたのに、

(ライプツィヒはクララの故郷)

来なかった。

 

知り合いもいない中、失敗に終わった公演。

 

3月24日はヨアヒム指揮で演奏するので

聴きにきてほしい

約2ヶ月後なので

さすがにそこまでツアーはしていないでしょうから来られるはず

 

といった内容。

 

クララは、

ブラームスから手紙をもらう前に、

別の友人から公演失敗を聞いていたのに、

ブラームスの上の手紙をもらっても

すぐに返事を書きませんでした。

 

理由は、

慰めや励ましの手紙を書いても、

ブラームスからそっけない返事が来て

深く傷つけられるのが怖かった、と。

 

批判的な手紙の傷は相当深かったようです。

 

内容は以前の熱心さは感じられず、

おざなり。

ありふれた言葉の慰めのみ。

 

そして、

3月のブラームスの公演にも行きませんでした。

 

実際クララは演奏旅行に出ていたので、

無理だったのですが、

この予定はいつ入れたのか?

 

ライプツィヒも3月も

行こうと思えば行けたのだと思います。

 

スケジュールが前もって入っていたなら、

ブラームスもヨアヒムも知るだろう間柄だからです。

 

ここからは私の推測です。

 

クララはブラームスとは距離を置くことに決めた。

 

理由は、

・ブラームスの作品を推して、本人に見当違いな批判をされ深く傷ついたから

・ブラームスに恋人ができたから、今までの関係ではいられない

 

クララはブラームスへの手紙に

 

ロンドン公演を終えて去るのがつらいのは、

ヨアヒムがいるから

彼がどれほど私の心に寄り添っているか痛感する

 

といった当てつけとも取れる文を書いています。

 

こういうのを見ると、

クララはブラームスの恋愛で失恋したかのように傷ついたと思うのです。

 

クララの支えなしの音楽活動

 

公演にも来てくれず、手紙もそっけない。

 

これはブラームスが望んでいたことでしょうか。

 

ブラームスは才能があるのに自信がなく、

音楽的知識などに不安があり、

シューマン夫妻やヨアヒムら友人にアドバイスを求め続け、

作品を変更したり破棄したり、

かなり頼っています。

 

もう頼れなくなるかもしれない、、、

励ましもなく、

アドバイスもなく、

協奏曲も失敗してこの先やっていけるのだろうか

 

そう思っても不思議ではありません。

 

クララの作品へのアドバイスは、

手紙にも残っていて、

 

楽譜でフレーズを書き、

この部分がxxがいい、

この部分はありふれて〇〇の作品のよう

など専門的+一般的目線両方から事細かく書いています。

 

ブラームスの婚約解消は、

協奏曲の公演失敗で怖気づいたとか、

経済的不安でアガーテを養う自信がないとか、

作品失敗の度に妻の反応や眼差しが怖い

(アガーテが実際それに近い反応を見せたのかも)

といった理由と共に、

 

クララの態度の変化が影響したのではないか。

 

クララとアガーテを天秤にかけた時、

自分に必要な人はどちらか、、、。

 

解消したなら、

ブラームスとクララが恋愛になるかというと

一度ヒビの入った器は元には戻らないのでは、、、と思うのです。

 

やはり婚約解消とはいえ、

後年まで彼女への想いが断ち切れなかったブラームス。

 

同年代の恋人同士と母に近い立場のクララ。

 

師の妻とブラームスの仲を疑うゴシップに負けたくない

ロベルトの名誉を守りたいという生真面目な性格もあって

友人以上の関係は築かなかったのではと考えます。

 

婚約解消はクララの耳にも届き、

1860年2月、ブラームスの手紙に、

アガーテのことを書いています。

 

演奏会に来た彼女を

友人の中に遠目で気づいた、と。

 

可哀想で頭から離れない

彼女の悲しみが全て伝わってきた

演奏会に現れた彼女の強さを賞賛する

といった痛みを共感する内容や、

 

ブラームスが婚約まで深入りしなければよかったのに

(傷が浅くて済むから)

と少し責めるような印象。

 

でも、これは本心なのかなぁ、、、

失恋の悲しみはクララも共感した面もあるかも、、、

 

もしかしたら解消にほっとした部分もあったかもしれない、

なんて、

ちょっと意地悪な気持ちで見てしまいます。

 

クララの手紙は

この手紙の数ヶ月前くらいから、

温かみが少し戻るのを感じます。

 

とはいえ、

以前の恋人並の情熱的な表現は見当たりません。

 

ブラームスのクララ宛の手紙は

ブラームスに強く請われて返したり、

読んだ後全て破棄の指示のためあまり残っておらず、

当時の2人の関係ははっきりとしないままです。

 

クララは、

この手紙の少し前の1859年11月に

ブラームスが送ってきたアヴェ・マリアの美しさに魅了され

感謝の手紙を送っています。

 

バッハの壮大なパストラーレを

時々一緒に弾いた時の気持ちが完全によみがえった

と書いています。

 

ブラームスのアヴェ・マリア⬆️

 

ひび割れた器の金継ぎの始まりを感じる手紙です。

 

1858ー1860年の2人の熱量や関係性の変化は

実際どうだったのか、

謎も多いままですが、

友情が続いてブラームスの音楽生活にプラスであったのは

間違いないと思いました。

 

皆さんはどうお感じになったでしょうか。。。

 

お付き合いくださりありがとうございました。

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