クララ・シューマンの伝記は

ロベルト亡き後、

クララが一家を支えるために

ツアーに明け暮れる日々に進みました。

 

ある時を境に、

クララのブラームスへの手紙の表現が変わるのを感じました。

 

伝記に収録されているクララやブラームス、ヨアヒムらの手紙は

著者による抜粋。

それだけで判断するのはリスキーなので、

他の資料や年表などを参考にしましたが、

手紙を全て追ったわけではないので

個人的印象、感想となります。

 

ラブレター並の雰囲気が

一気に消えた時期について書きたいと思います。

 

この頃2人の関係は器にヒビが入るも

長い年月をかけながら、

金継ぎをしたように美しい友情に昇華したのかもしれない、、、

そんな思いがよぎりました。

 

 

変化を感じたのは1858〜1860年。

 

この時期です⬇️

 

 

ブラームスがアガーテ・フォン・シーボルト(23歳)と交際を始めた頃。

 

このことがいきなり起こったのではなく、

その前から2つ気になることが手紙にありました。

 

ブラームスふさぎ込む

 

ロベルトが亡くなった後、

ヨアヒムやブラームスが悲しむクララを支えて

家に滞在。

 

ヨアヒムが去った後、

ブラームスの落ち込みがひどくなり、

クララが逆に心配する様子が

ヨアヒム宛の手紙に書かれています。

 

元々無口なブラームスで気難しくもあるので、

珍しいことではなかったかもしれません。

 

伝記とは別のどこかで読んだのは、

最後に再会したロベルトとクララの絆の強さに

ブラームスが圧倒され、

クララをあきらめた、とか。

 

もしかしたらその時のことでしょうか、、、。

 

ブラームスを溺愛していたロベルトが亡くなったのですから

それだけで落ち込むに十分。

クララのことかどうかはわかりませんでした。

 

ブラームスの言葉に傷つく

 

1858年6月のブラームスの手紙がクララをひどく傷つけます。

 

クララがブラームスの作品を推すのを批判する内容です。

 

音楽は民主主義だとか

クララのやり方は貴族的だとか、

要は、

 

人は誰かに指図されて音楽作品を好きになれるものじゃないから、

作品を誉めたり聞かせたりして人に押しつけないでほしい

 

ということです。

 

クララは、

 

人に無理強いしてるつもりはない、

ブラームスの作品でもダメと思うところは指摘しているから

ブラームスのものならどれも誉めているわけではない

 

と反論しています。

 

クララとしては

夫ロベルトの時と同じようにしているだけで、

人が気付かない才能を紹介したいだけ

 

ブラームスの成功はロベルトも願っていたはず

 

そして

無一文に近いブラームスに

音楽で食べていけるようになってほしい

 

自分を支えてくれた彼にお返しをしたい

 

などといった気持ちがあったでしょう。

 

けれどブラームスは自信がないので、

無愛想で単刀直入な言い方で傷つけてしまったのかもしれません。

 

ブラームスの「音楽は民主主義」というのは確かにそうですが、

それをクララのやり方に当てはめたことで

クララは

長い間感じたことのないほど傷ついたと返事に書いています。

 

ブラームスの非難の仕方は、

まるでクララがブラームスを神のようにあがめているように書いている、

そんな非難は不当だ、と。

 

この手紙のやり取りは、

ブラームスがアガーテと出会ったであろう頃になります。

 

偶然なのか、

ブラームスの心の微妙な変化がにじみ出たのか、、、。

 

このやり取りの後、

夏休みをクララや子どもたち、ブラームス、アガーテ、グリムらと過ごし、

ブラームスとアガーテは密かに交際を始め、

(別の資料によると、

クララはブラームスがアガーテの腰に手を回すのを目撃したらしい)

 

夏休み後、

クララがブラームスに送った手紙が伝記にあるのですが、

 

味も素っ気もない。

 

クララの変化は(偶然かもしれませんが)

手紙だけではなく

ブラームスの音楽家人生に影響しそうな、

もしかしたら婚約解消に影響したのでは、

と思わせる出来事がありました。

 

 

続きは後日に。。。。

 

お読みくださりありがとうございました。

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