前回、

クララ・シューマンとヨハネス・ブラームスの関係について

伝記の感想を書いた時、

 

sacrifice

 

これをどう訳そうか悩みました。

 

クララも伝記の作家も

ブラームスのクララへの行為を

この単語で表現しています。

(英語翻訳版

オリジナルのドイツ語はわからず)

 

献身と犠牲。

 

日本語に訳した時

私の感じ方ではどちらが近いか、となると

犠牲かな、と。

 

クララの伝記には今のところ、

(ロベルトが入院して1年以上経過)

ブラームスの気持ちについて詳しいことは書かれていません。

 

以前、ブラームスが親友ヨアヒムへの手紙で

はっきりとクララを愛していると書いたのをオンラインで読んだので

(自筆ではないのですが)

ブラームスは恋愛感情を持っていたと思います。

 

となると、

やっぱり献身というより犠牲。

 

本当はクララと結ばれたかったに違いない。

 

ロベルトとのつながりもあったけれど、

クララへの恋愛感情があったから

全身全霊で支えた。

 

けれど恋愛は叶わなかった。

 

これは献身という綺麗な言葉では足りない。

 

2人の距離は近づいたり離れたりしながらも一生続き、

ブラームスは他の女性と恋愛もするけれど、

クララとほどの深い心の絆は結べなかったのかもしれない。

 

でも尽くしたのはブラームスが一方的でもなく。

 

クララはロベルトの時と同じように、

作品を演奏会で演奏したり、

出版社の人間に聞かせて作品を購入させるなど

営業的役割もしています。

 

ブラームスの性格を嫌悪する親友が交流を止めるように言っても、

作品を嫌悪する親友とケンカしてでも

ブラームスの味方であり続けました。

 

ブログで何度か書いた

オペラ歌手のジェニー・リンドとクララは

心の通じ合う素晴らしい関係だったのですが、

(クララはリンドに惚れ込んでいた)

ブラームスのことでこの時期関係が悪化。

 

リンドはロベルトの入院で

クララを再び支えようと一緒に公演をする話になるのですが、

ブラームスの作品を認めずケンカになります。

 

リンドはその後も明言はせずとも

プログラムに入れないよう手紙に書いてきますが、

クララもぼやかしながらも返事で

はっきりと自分の信念を貫きブラームス側に立っています。

 

公演はリンド人気で経済的助けになりましたが

クララはブラームスへの無理解に怒り

屈辱を感じました。

 

ある時、

ブラームスが自分自身のことを色々話したと

クララは日記に書いていて、

ブラームスの誤解されやすい性格を心配、

横柄な態度でありながら

彼の内面の優しさ、繊細さをよくわかっていたようです。

(彼のクララ宛の手紙を読んだり、

日記に書かれた行動でよくわかりました)

 

実際、

クララの友人たちは、

ブラームスの印象や振る舞いから

クララにとって良くない人物と感じていました。

 

また、

ブラームスの作品は、

ロベルトの時のように新風を感じるものであるけれども、

ロベルトのような繊細な美しさ、

ロマンティックさというよりは

激しさのようなものが聴く者をたじろがせたり、

受け入れ難い先入観を持たせてしまうのかも、

とクララは書いています。

 

クララはブラームス自身と才能の

真の理解者だったと

日記を読んで伝わりますし、

ブラームス自身も認識していたからこそ、

恋愛は叶わずとも離れ難く、

一生の親友+それ以上の心の絆のある関係でいられたのだと感じます。

 

それにしても、

 

伝記だけでは

クララ以外の目線がわからないので

疑問が湧くのは、

 

ブラームスがクララを情熱的に愛していると

周囲に気づかれなかったのか???

 

視線や献身度で

気づきますよねぇ、きっと。

 

一方クララだって、

 

息子のようなどと書いてますが、

それは年齢的な意味でだけで、

精神的には頼りにしていました。

 

自分の子供たちは幼くて悲劇を理解できず、

気持ちを打ち明けられないと書いてます。

 

ブラームスにだけ

心の全てを打ち明けられるとも書き、

日記を読んでいると

恋愛にしか思えない情熱。

 

会えないと辛い、離れるのが辛い、

彼にしか救われないというような熱い熱い文章。

 

その文章とセットに書かれる

愛するロベルトについての文章がなければ

完全に見誤ります。

 

ロベルトの入院や経済的負担、

コンサート活動などの多忙さで

顔面神経痛が出るほど

心身ともに弱り果てたクララ。

 

藁をもすがりたい絶望感なのに

人に頼るのは頑ななほど良しとせず。

 

金欠でも援助金は全て断り

(親密であった故メンデルスゾーンの兄弟からだけ

預かるという形で受け取ります)

 

絶対に弱音を見せたくない必死なクララ

その弱い部分を

丸ごとブラームスにだけ、ぶつけてすがるのです。

(もしメンデルスゾーンが存命なら、

彼には打ち明けていたと思います。)

 

仕方がないけれども、

 

これをされたブラームスが

当時音楽界のトップメンバーであり心身ともに美しい女神のようなクララに

かなり年上とはいえ

自分の両親も母がかなり年上だったこともあって違和感も少なく

本気でメロメロになってしまうのは仕方ないですよね。

 

クララも罪な人です。

 

というか、

 

愛って何なのでしょう?

 

結婚って何なのでしょう?

 

ここまで互いを理解し才能を尊敬し必要とし合うって、

(別々の目的地に向かい途中で別れるも

つらくてクララの元へ戻ってきてしまうブラームス(涙)

ブラームスと会えないときは彼の手紙だけが心の支えのクララ(涙))

 

メンタルだけに注目すれば、

クララにとってブラームスは

ロベルトと同じ次元ではないのか?

 

考えれば考えるほど

人間の感情への謎が深まります。

 

皆さんはどうお感じになったでしょうか、、、

 

思いつくまま書き流した文章で、

重複したり読みにくいかと思います。

ごめんなさい〜

 

シューマン・ピアノ協奏曲あれこれ

 

ユジャさまらの聴き比べをした後も

サー・スティーヴン・ハフの演奏をヘビロテしつつ、

他のも聴いたりしました。

 

その中で

ピアノとオーケストラのバランスが見事だと思ったのがこの演奏です。

⬆️ピアノ:フランチェスコ・ピエモンテージ

リオネル・ブリングイエ指揮

WDR交響楽団。2023年5月

 

ピアニストからもオケへ寄り添っていく

語り合う調和を音に感じます。

 

第2楽章の木管楽器陣のニュアンスが特に素晴らしいと思いました。

 

 

こちらはオーケストラではなく、four hands。

手に入れやすい楽譜はこちらのパターンかと思います。

 

音色など当然オーケストラとは違いますが

ピアノ2台でも想像したような無理矢理感はなく、

聞き応えあるなぁと思いました。

 

いただいたお花がかなり日がたち、すっかり萎れたものを超短く切って水に浸したら

元気に花開きました。もうダメかと思っていたのに。

生命力に感動。

 

お読みくださりありがとうございました。

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