クララ・シューマンの伝記・上巻を読み終わりました。

 

オリジナルでは1巻にあたり、

1950年の

ドレスデンからデュッセルドルフへ引っ越すところまでになります。

 

下巻は2巻・3巻。

これからロベルトの具合がさらに悪くなり、

ヨアヒムとの親交、

ブラームスとの出会いへと続きます。

 

ああ、気が重い。

 

上巻は

クララとロベルトが交際を禁止されて

隠れて文通するしかなかったことで

逆に当時の2人の気持ちや出来事が後世に残ることとなりました。

 

下巻は、

2人の間での記録はあまりないので、

クララの日記や残された友人らとの文通からたどっていくと

著者の前書きにありました。

 

 本の訳と構成の感想

 

英語の翻訳本は

ミススペルが次第に増えていくような雑さが気になりました。

時に訳し忘れて 

andがドイツ語のundのままだったり。

古い本だから仕方ないのかな。

 

情報源はクララの日記

手紙(主にクララとロベルト)

その他の文書からの抜粋。

 

基本は年代順ですが、

テーマで数年ごとまとめた項目もあり、

若干、時が前後します。

 

著者はクララが交流のあった家族のメンバーで

長女マリーエからの依頼で

残された日記や手紙を託され書いています。

 

事実に基づいているものの、

著者の判断で取り上げる内容が選別されるので、

シューマン夫妻に寄り添い、

暴露・ゴシップ的な内容は避けていると思われます。

(夫婦間の揉め事はほぼ書かれていない)

 

それでも

かなり生身のクララ、ロベルト、

クララの父(強烈!)

そしてシューマン夫妻から見た著名な作曲家たちの素顔が見えてきました。

 

 ロベルトの印象が変わる

 

この伝記を読む前、

ロベルト・シューマンのピアノ曲は

それほど好きではありませんでした。

 

彼のプロファイルには

精神状態の悪化など不安定で暗いイメージが拭えなかったのと、

どちらかといえば、

ピアノならリストやショパンが知名度が高くて人気もあったので、

あまり意識しない作曲家でした。

 

が、しかし、

 

手紙などを読むうちに

彼の人柄や博識なところ、

作曲家としてのすごさがわかってきました。

 

改めて曲を聴き直すと、

曲の良さに気づきました。

(きちんと聞こうとしていなかった。反省)

 

この伝記と並行してロベルトについて調べ、

クララとの交際前の梅毒感染が

結婚直後から亡くなるまで次第に大きく影響したと考えられ、

彼への見方も変わりました。

(伝記が書かれた時代には感染が公になっていませんでした。)

 

精神障害は

双極性障害(脳の病気)の影響もありつつ、

 

幻覚、幻聴、その他の体調不良、

自殺未遂、精神科の病院入院などは、

梅毒のトレポネーマという細菌が

神経や脳などを蝕んでいったことが最大の原因と思われます。

 

その苦しい状況の中で、

文学やバッハやベートーヴェンらの曲を

夫婦で研究しながら

頭に溢れてくる音楽を作品にしていった

努力の人、

戦い抜いた人というイメージが浮かんできました。

 

一般的なシューマンのプロフィールに感じる

ネガティブなイメージは事実とは違うように感じています。

 

 印象に残った話

 

ブログには

メンデルスゾーンとジェニー・リンドの話まで書きました。

 

それ以外で印象に残った話で

まだ書いていないのは、

 

リストとの交流の行く末

ファニー・メンデルスゾーンとクララ

フェリックス・メンデルスゾーンの逝去

ジェニー・リンドとクララ

ロベルトの輝かしい日々

(1847年7月ツヴィッカウ、1850年5月ライプツィヒ)

 

そして下巻に登場するはずの

ブラームス。

 

ヨアヒムとシューマン夫妻から始まる

ブラームスとのつながり。

 

少年時代から知るヨアヒムより

さらに年下のブラームスですから、

既婚のクララが

自分より娘に年が近いブラームスを

恋愛対象年齢(特に最初の数年)と見たとはどうにも思えない。

 

下巻を読んだらこの考えが変わるかもしれませんが、、、。

 

これらの印象に残った話は、

後日書いていきたいと思っています。

 

 

 

お読みくださりありがとうございました。

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